安明進の「転落」その4

きのう、韓国の友人が拘置所安明進に面会した。元気そうだったという。私からの手紙と差し入れを渡し、横田早紀江さんからの「祈っています」というメッセージも伝えてくれたという。これについては、デリケートな問題があるので、今はこれ以上書かない。

『諸君』9月号で、二人のNGO活動家が安明進逮捕に触れている。
特定失踪者問題調査会」の荒木和博代表は、「こういうときだからこそ敢えて言うが、安明進氏は日本の拉致被害者救出にとって恩人ともいえる人物である」と書き、「当初、他の多くの亡命者が報復を恐れて口をつぐむなか、それを証言するのにどれだけの勇気が要り、そして彼がどれだけ逆風を受けたかを知る人は決して多くない」と指摘している。

思い起こせば、97年2月の拉致初証言の時は、安明進は顔も名前も出すことを拒み、2月8日の「ザ・スクープ」では顔にモザイクを入れ、「元工作員A」として放送した。証言を恐れる理由はいくつかあるが、一つは身の危険があったからだ。実は、安明進証言の直後の2月15日、李韓永(イハンヨン)という亡命者がソウル市内で殺害されている。彼は金正日の妻の一人、ソン・ヘリムの甥(金正男の従兄弟)で、ロイヤルファミリーの私生活を暴く証言をしており、北朝鮮工作機関に暗殺されたと見られている。当時、北朝鮮は拉致を全面否定しており、安明進「証言」に対しては、そんな人物が北朝鮮にいたことはないとわざわざ対外向けニュースで流したほど不快感を示していた。
証言をいやがる別の理由に、韓国での新しい暮らしに荒波を立てたくないという事情がある。韓国に亡命した北朝鮮工作機関の出身者は何十人もいる。安明進の先輩にあたる彼らの何人かは、日本人拉致について知っている。しかし、異郷で結婚をし平穏な家庭を築くため、近所やPTAなどでも過去を隠して生きている彼らは証言しようとしない。安明進は、何人かの親しい元工作員の先輩たちから、証言を止めろと何度も強く警告されたという。
安明進は、先輩たちの分も証言する覚悟でカミングアウトし、後に太陽政策という強烈な「逆風」で身を破滅させられたのだった。

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の三浦小太郎代表もこう書く。
「日本政府にとって、危険をおかして日本人拉致の確かな証言をしてくれた安明進氏は恩人であるはずだ。安氏に対して、日本政府や私たち国民は、もう少し彼の力になろうという発想が必要だったのではないか。安氏は脱北後、安住の地を見出すこともできず、保護してくれる国家もなかったのだ」。

安明進の逮捕は、日本政府にとって大きな失点となった。ジャーナリストの大谷昭宏氏の言い方を借りれば、安明進の事件で「日本政府は赤っ恥をかかされた」のである。何とかならなかったのだろうか。
米国であれば、貴重な情報を持つ人物を、生活丸抱えのうえで身辺警護をつけ安全を保証する措置を取ることがある。例えば、金正日の妻の一人だった高英姫(コ・ヨンヒ)の妹家族は、いま米国の保護下に暮らしているという。政治難民の受け入れに腰が引けている日本政府に多くを望むことは現実的でないが、何らかの特別な生活援助がなされていれば、安明進の「転落」は防げたのではないだろうか。残念でならない。