戦場のダンサー真理子さんと再会

 土曜日、バンコク時代にお世話になった人と再会した。「シルクロード」、「まりこ」のママだった武山真理子さん。真理子ママは、「戦場のダンサー」として伝説の人で、多くの記事や本に書かれ、テレビ番組にも登場した。『ソング・オブ・サイゴン』というミュージカルにもなり、鳳蘭が真理子さんを演じた。
 1932年、台湾・高雄市生まれ。若いころからバレエを学びつつ、米軍基地などで公演していた真理子さんは、日劇ミュージックホールに誘われ、「京峰マリ」として看板ダンサーの一人になる。華やかなスポットライトを浴びて踊るのは楽しかったという。同じ舞台で演じていた中には、トニー谷やまだ売れる前の渥美清らがいた。
 結婚して子どもが生まれたこともあり62年日劇を辞めた。そのころ、事情があって離婚。そして観光業界紙を経営していた父が亡くなり、真理子さんはその会社を継ぐことに。ところが部下の横領で会社はピンチに陥る。ギャラが高いと聞いたアジア巡業で稼ごうと、64年、香港、タイ、マレーシア、シンガポールなどで踊った。当時、珍しかった日本女性のショーダンスは大当たり。これが彼女の転機になった。

 アジアでショーダンサーとして生きようと、公演を続けるうち、66年、サイゴンのクラブで踊る契約を交わす。これが初めてのベトナム行きだった。真理子さんは、米軍基地を主に回るようになり、73年のパリ協定のころまで7年近く戦場のヌードダンサーとして活躍した。
 「衣装はビキニ。炎天下で15分踊るんだけど、盛り上がってくると兵隊たちが『テイクオフ、テイクオフ』って言うんですよ。ビキニのひもをちょっとずらすと、歓声が『わ〜っ!』。でもそこまでですよね、サービスは。兵隊の前でヌードになったら、大騒動になりますから。踊る私の前後左右にMPが立ち、守ってくれていましたから、安心でした」
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140315
 ステージと米兵たちとの間の濃密な一体感は、踊り子としての彼女の生き甲斐にもなっていったようだ。
 

 いろいろあって、真理子さんは踊り子を卒業し、バンコクでナイトクラブ「シルクロード」のママになる。その後、居酒屋「まりこ」を経営していたが、去年、店を譲って帰国。今は板橋区の団地に一人で暮らしている。86歳になったが、元気だった。
 帰国した真理子さんを、毎日新聞記者の萩尾信也さんが去年取材し、「戦場のダンサー 激動アジアの生き証人」という動画も制作している。萩尾さんは私と同じ時期にバンコク特派員だった。https://www.youtube.com/watch?v=QbxTO2Mtm9c
 きのうは、スーパーで買って行った弁当で、お昼を一緒に食べながら昔話を聞いた。話には、報道写真家の石川文洋さんはじめ、共通の知り合いが登場するのでとてもおもしろい。実はベトナム戦争を取材したたくさんの日本人ジャーナリストが彼女にお世話になっているのだ。
(つづく)