五感をフル出動させた人間関係

 この週末、多摩地区の古墳をいくつか自転車で巡ってきた。古墳といえば西日本が本場だが、実は多摩川に沿っても古墳が多く、東西にベルト状に密集している。4世紀末には下流域の大田区や世田谷区で前方後円墳や円墳が造られ、5世紀末から6世紀になるとより上流の府中市周辺にも小さな円墳が造られてくる。浸食作用でできた崖線(ハケと呼ばれる)には湧水もあって暮らしやすかっただろうと想像する。

 立派に復元された「武蔵府中熊野神社古墳」。7世紀中頃で、この地域では末期のもの。珍しい上円下方墳(上が丸くて下は四角)。そばに展示館や石室の模型もあって勉強になる。

 「高倉塚古墳」。住宅に取り囲まれて中庭みたいだ。6世紀前半のものと推定されている。

 「御嶽塚古墳」の頂上。ここは西府(にしふ)駅前の公園の遊び場になっている。子どもが走り回っていて心和む古墳だ。

 「石塚古墳」。地下レーダー調査で1993年に古墳と確認されたという。住宅や道路でだいぶ面積が削り取られ、かろうじて古墳と分かる。

 ほとんどの古墳は、その上に建物が建ったり、畑になったりしていて、見た目に古墳と分かるのはごく少数。それでも3時間ほどで9つをめぐった。1500年前の人びとが何を考えて暮らしていたのかを想像しながら、いい時間を過ごした。
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 孤食」の話のつづき。
 山極寿一さんによると―人間は類人猿の対面コミュニケーションを継承しながら、相手と対面し見つめ合って「共感力」を高め、安心を得てきた。人間だけ白目があるのは、視線のわずかな動きをとらえ、相手の気持ちをよりつかめるように進化した結果だ。脳の大きさは組織する集団の人数に比例し、集団の構成人数が多いほど高まる社会的複雑性に脳が対応した。現代人と同じ脳の大きさになったのが60万年前。言葉を得たのは7万年前だから、言葉なしでも信頼関係を構築できたのだった。
 現代はどうなっているかについて、山極さんはこうも言っている。

 《直近では、人々はソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティを生み出しました。人間の歴史の中にない集団のつくり方です。嗜好や時間に応じ、出入り自由なサイバー空間で「いいね!」と言い合い、安心しあう。現実世界であまりにもコミュニティと切り離された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかもしれません。でも、その集団は、150人の信頼空間より大方は小さく、いつ雲散霧消するかわからない。若者はますます、不安になっています。
 クリスマスを一人で過ごす若者の中に「一生懸命働いた自分へのご褒美」に、自分に高級レストランを予約する人もいると聞いて考え込んでしまいます。人間は他人から規定される存在です。褒められることで安心するのであって、自分で自分を褒めるという精神構造をずっと持たなかった。それがいま、少なからぬ人々の共感を呼んでいる。やはり人間関係が基礎部分から崩れていると感じます。
 土地とも人とも切り離され、社会の中で個人が孤立している時代です。人類はどうやって安心を得たのか、生身の体に戻って確かめるために、霊長類学が必要とされているのでしょう。》

 《人々が信頼をつむぎ、安心を得るために必要なことはただ一つ。ともに時間を過ごすことです。その時間は「目的的」であってはなりません。
 目的的とは「価値を得られるように過ごす」こと。いまは短時間でより多く価値を増やすことが求められますが、安心を得るのに必要なのは、見返りを求めず、ただともに過ごすこと。互いに相手に時間を捧げる。赤ちゃんに対するお母さんの時間がよい例です。》
 グローバル化で社会が均一化すると、逆に人々の価値観は多様化する方向に向かいます。個人が複数の価値観を備え、自分が属する複数の集団でそれぞれのアイデンティティーを持つようになります。そうした時代には、五感をフル出動させた人間関係のつくり方がさらに重要になるでしょう。》朝日新聞2017年1月1日「私たちはどこにいるのか」より)

 五感をフル出動させた人間関係とは?これから考えてみたいテーマである。