言葉より古い「目」によるコミュニケーション

 雨が続いていたが、きょうは青空が見えた。用事があって武蔵境駅前の「武蔵野プレイス」へ。ここはゆったりとしたスペースが好評の市立図書館やレストラン、市民活動のための施設などがあって居心地がいい。お茶を飲みながら本が読めるし、卓球台やボルダリングの壁など中高生などが放課後遊べる場所もある。この施設があるからと、武蔵野市に引っ越す若者がいると聞いたことがある。建物の前には広場とたくさんの椅子があり、お年寄りがのんびりとくつろいでいた。
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 6月、水無月に入った。山形では田植えがそろそろ終わるころだろうか。水無月と書くが、無(な)はいまの助詞の「の」にあたり、「水の月」という意味だという。陰暦6月は、田んぼに水を引く時期だった。
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 このごろ、得体のしれない文明のなかにいる感じがする。とことん効率をめざして走らされ、あげくAIとやらが人間にとってかわる時代に突入するらしい。隣にどんな人が住んでいるかも知らず、どこで誰が作ったかわからないものを食べ、誰とも話をせずに一日を終える。これでいいのか。
時代は過ぎて、さまざまな文明を通過しても、人間は動物としての「ヒト」から離れるわけにはいかない。そんなことを最近しきりに思う。
 ゴリラ研究の山極寿一さん(京大総長)によると、類人猿とヒトの脳のサイズの比較から、ヒトには集団規模とコミュニケーションの関係が決まっているという。
10人~15人  共鳴集団:スポーツの1チームの人数。言葉は要らずに身体の同調で動ける。
30人~50人 一致して動ける集団:顔と性格を熟知。1学級、軍隊では中隊の規模。誰かがいないとすぐわかる。一人の統率で一致して動ける。
100人~150人 信頼できる仲間:顔と名前が一致。狩猟採集民の1集落の人数。年賀状を書くとき思い浮かべられる関係。

 これは1月24日にあった山極さんとグレートジャーニーの関野吉晴さんの対談で聞いた話。これに関野さんが反応して、南米の先住民ヤノマミの集落もだいたい100人から150人で、これより大きくなると集団に緊張関係が出てきて、200人を超えると敵対関係が爆発して二つに分かれると言う。
 山極さんによると、ヒトは言語の前に目でコミュニケーションをとっているという。ヒトにはゴリラやチンパンジーにない特徴として「白眼」があり、これが自分以外の人の「気持ち」を知る能力につながっている。人間にとって言葉以前の古い能力である。

 言われてみると、犬や猫にも、チンパンジーにも白眼はない。白眼は偉大だな。
 それにしても、本来的なヒトとしてのコミュニケーション能力を、われわれ現代人はきちんと発揮しながら暮らしているのだろうか。一人で飯を食うほうが効率的だなどとしながら、退化させているのではないだろうか。
(つづく)