野際陽子が安保反対を叫んだころ

 ドクダミが白い花をつけ始めた。
 月は皐月で立夏。緑がどんどん濃くなっていく。爽やかな季節になったが、沖縄ははやくも梅雨入りしたという。
 5日から初候「蛙始鳴」(かわず、はじめてなく)、次候「蚯蚓出」(みみず、いずる)が11日から、末候「竹笋生」(たけのこ、しょうず)は16日から。タケノコごはんが食べたい。
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 きょう、気になったツイートより。
 「どうして議員や候補者はおかしな奴ばかりなんだ」とお嘆きの方がおられるようですが、日常会話において政治の話をすることがマナー違反や非常識ととられるような社会では積極的に政治に関わろうとする人がおかしな奴ばかりになるのはきわめて自然なことではないでしょうかhttp://twitter.com/furukawa1917/status/994770545488093184

 なるほど。私も娘たちに、安倍首相は・・・などと話すと、「政治の話は人前でしない方がいいよ」とたしなめられた。

 最近、下重暁子さんがメディアによく登場する。元NHKのアナウンサーで、むかし、きれいな人だなとテレビの彼女をあこがれの目で見ていた覚えがある。たぶん私が小中学校のころだったろう。
 いまは作家、評論家、エッセイストの肩書で、たくさんの本を書いているが、『家族という病』(2015年)がベストセラーになったことと、去年亡くなった女優の野際陽子さんの親友として追悼番組などに出たことでふたたび注目を浴びた。

 野際陽子さんも、かつてNHKのアナウンサーで、下重さんの1年先輩という関係。名古屋放送局では仲のよい同僚で、寮では隣部屋だったという。寮の名前が「荒田寮」で、毎晩のように飲み歩いていた二人は「荒田のオロチ」と呼ばれたそうだ。武勇伝がたくさんあるらしい。
 東京新聞夕刊に下重さんが「この道」という自伝を連載していて、きょうは「60年安保」。これがおもしろかった。下重さんが名古屋に配属されて2年目のこと。
 《1960年、世の中は60年安保で騒然としていた。岸内閣の強硬姿勢に、学生、労働者が立ち上がり、デモは最高潮に達していた。6月15日、日放労NHK労組)からの指令で私たちも名古屋でデモに参加した。
 野際さんも私も、荒田寮の東大仏文卒のディレクターの指示で、テレビ塔前から指定された公園に結集した。その頃になって社会の矛盾に目覚めた私は早大時代のノンポリを恥じていた。
 デモを解散して寮に辿りついた頃、ニュースは東大生樺美智子さんの国会前での死を、伝えていた。衝撃が走った。私達は、寮の一部屋に集まり、自分達に何ができるかを話し合った。・・・》
 下重さんの文章にも当時の高揚した雰囲気が感じられる。
 野際陽子さんと腕を組んで「アンポ、ハンタイ!」とデモ行進をし、寮で真剣に議論をする下重さんの姿を思い浮かべると、不思議な感じがする。いま、NHKの現役のアナウンサーが国会前で「安倍内閣は総退陣しろ!」などと叫んだら、どんな反応が来るだろうか。時代の移り変わり、政治意識のというより政治文化の違いに気づかされた。

 安倍内閣の酷い嘘つき政治を前にして、抗議集会は続いているが、参加者の数はいまいちで、まだ政権を追い込んでいるとはいえない。自分も行かないから他人を批判できないが、これはどうしたことだろう。
 韓国で、朴菫恵大統領の退陣を求めるデモに毎回数十万人が集まり、結局朴氏は大統領の座から引きずり降ろされたわけだが、これを池上彰氏までが「民主主義国家としてはまだ発展途上ともいえる」と上から目線で評論していた。はたして日本と韓国といずれが「発展途上」なのか。日本の今は、60年安保のころと比べて、より高度の民主主義を達成しているのだろうか。