森本さんを称える会にて

 ムラサキシキブが色づいてきた。緑から紫へと実の色が変化していく。今はグラデーションになっていて変化しつつある美しさ。
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 きのう、神楽坂で、「森本喜久男を称える会」があり、布の展示販売も行われた。コアなファンがたくさん参加し、とてもいい売り上げになったそうだ。
  13時からのトークイベントでは立ち見も入れて60~70人が会場に詰めかけた。写真家の内藤順司さん(写真)らとともに私も30分ほどお話しした。今回は、森本さんの最後のメッセージについて語った。
 まず、森本さんがカンボジアに作った織物の村「伝統の森」から、日本で織物の実演をするため、おばあさんの職人を連れてきたときのエピソードを紹介。はじめて日本を訪れたおばあさん、東京の山手線に乗ったとき森本さんにこう言った。「なんで、みんな怒ってるの?」
 通勤電車の中で、押し黙って、あるいはスマホを見つめながら、つり革にぶら下がっている人たち。カンボジアのおばあさんには彼らが怒っているように見えて驚いたのだ。そんな日本人たちが「伝統の森」を訪れ、電気もコンビニもない辺鄙な村が豊かに感じるという。
 森本さんは、そこは、豊かな貧しい村、つまりお金にしばられずに笑顔で生きられる村であり、それを日本にも広めたいと言っていたこと。日本の若者は、限界集落に行って、そこの老人たちから伝統を学び、持続可能な村づくりに挑戦したらどうかと提案していたことを紹介した。そして私自身、森本さんの考えに影響され、都会の若者が地方で暮らす可能性を考えたいと、これから3カ月間、岐阜県の田舎に通うつもりであることを語った。会場の多くの若い人がとても熱心に聞いてくれた。そして『自由に生きていいんだよ〜お金にしばられずに生きる“奇跡の村”にようこそ』を購入してくれ、一緒に語り合った。みな、この生きにくい世の中で生き方を模索しているのだなとあらためて思ったことだった。
 また、森本さんがどう「死」に向き合ったかについても話した。がんで余命宣告され手術を勧められても「ナマモノには賞味期限があるんだよ」と言って積極的治療を一切しなかったこと。死の床にあるカンボジアの老人たちが「自分の番が来た」と従容として亡くなっていった姿に深く学んだこと。生も死も自然なことだと覚って死が恐くなくなったことなど。会場にいた高齢の方ときょうFBで友だちになり、こんなメッセージが・・。私もステージ4のがんと診断されたが、きのうの話にとても感銘を受け、「手術はしない」とあす医師に告げるつもりだ、と。責任を感じてちょっと慌てた。
 待って・・・。森本さんも信念を貫くのはいさぎよいといえばいさぎよいが、家族はちゃんと治療してほしかったわけで、自分の置かれた「立場」(例えば、小さい子どもがいるとか)を考えるといろんな判断がありえる。大事な決断ですからよく考えてくださいよ、と返信したら、以前から手術する気はなかったし家族も手術を嫌がっているので、気にしないでください、とのこと。少しほっとした。
 ただ最近、がんになった人が、西洋医学への不信からか、手術、抗がん剤放射線などの「標準治療」を拒否して、安易にエビデンスのない代替治療に頼る傾向があり、目に余る。いかがわしい代替治療で、巨額のお金と生存可能期間を失わないよう、行政もメディアも啓蒙してほしい。