ひとは「死んだら終わりですか?」

仕事をしながら追悼式の中継を見ていた。
いろんなニュースをちら見し、新聞記事を読む。心がゆさぶられる記事もあるし、「いかにも」というつくりのニュース特集もあった。
なかで印象に残った一つが《ひとは「死んだら終わりですか?」大切な死者を語り、生きる遺族》という記事。
http://www.buzzfeed.com/satoruishido/3-11-shisya-kataru?utm_term=.bgGMMp54lp#.ujvDDbXO8b
中学一年の息子を失った。生きていれば18歳になるはずの息子宛に紳士服チェーンからセールスのハガキが届く。「入学式、入社式に。フレッシャーズフェア!」。
こうしたハガキが届くのを「それでも嬉しい」と感じる母親、丹野祐子さん(47)を取材したもので、「復興」についていけない被災者の思いに気づかされた。
丹野さんは、人口の8分の1、753人が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の語り部と言われる人。
もっと勉強していれば息子を助けられたと丹野さんはいう。あの日、地震の激しい揺れの後、義父が「閖上には津波がこない」と言い、丹野さんもそのとおりだと油断した。
ところが、津波のあと、近くに1933年の昭和三陸津波閖上一帯を襲ったことが記されている石碑があることを知る。そこには「地震があったら津波の用心」と書いてあった。
「この石碑に書いてあることを、忘れていたんです。わずか80年前のことです。80年で、津波に用心しろという言葉は、『閖上には津波がこない』に変わっていった。たった、たった80年です。石碑を作ったところで、語る言葉がないと、人は忘れていくし、都合よく変わっていくんです」。

この石碑は朝日新聞義捐金で作ったそうで、先人が後世の人たちのために残した警告だったはずだ。こうした警告は日本中にたくさんある。
(拙著『神社は警告する〜古代から伝わる津波のメッセージ』(講談社)にいろんな例を挙げてあるので、関心のある方はお読み下さい。)
閖上(ゆりあげ)という名の由来は、一説には、平安時代貞観地震の際、浜に十一面観音像が「ゆりあげられた」ため「ゆりあげ浜」と呼ばれたことだという。地名自体が、後世へのメッセージだったのかもしれない。
丹野さんは100年後にも3.11が忘れられないようにしなければと言う。
丹野さんたちは、14人の犠牲者を出した閖上中学校の慰霊碑をつくり、そばに「閖上の記憶」が入るプレハブ施設を置いた。碑の隣に置かれた机にはメッセージが書かれてある。

「街の復興はとても大切な事です。でも沢山の人達の命が今もここにある事を忘れないでください。
死んだら終わりですか?
生き残った私達に出来る事を考えます」

それぞれが「出来る事」をかんがえて生きていく。
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震災関連でもう一つ。ツイッターから
《家庭の食検出下限値未満 コープふくしまセシウム調査 http://ift.tt/1Xb7XxZ 福島民報 [県内ニュース] #fukushima #福島 #トップニュース》
福島県内で流通している食品はもう大丈夫。(実はとっくの前から大丈夫なのだが)
福島民報の記事は;
《コープふくしま(本部・福島市)は8日、県内の家庭の食事に含まれる放射性物質を測定した平成27年度の調査結果を発表した。対象の100世帯全てで2日分の食事の放射性セシウムは検出下限値(1キロ当たり1ベクレル)未満だった。全て下限値未満だったのは2年連続。調査は5回目で、これまでに延べ700世帯を調べた結果から「下限値以上のセシウムを含む食事を継続して取り続けている可能性は極めて低い」と分析している。
調査は昨年7月から今年2月にかけ、各家庭で家族人数より一人分多く食事を作ってもらう「陰膳方式」と呼ばれる方法で実施した。食事を均一にかき混ぜてゲルマニウム半導体検出器で約14時間測定した。測定対象の核種はセシウム134、セシウム137、カリウム40。(略)主に子どもがいる100世帯の2日間6食分をそれぞれ調べた。ほぼ全ての家庭で県産食材(水道水含む)を使っていた。》
関心のある方は、さらに以下をお読み下さい。もう「フクシマ危ない」と煽るのはやめましょう。
「なして福島の食はさすけねえ(問題ない)のか――原発事故のデマや誤解を考える」http://synodos.jp/society/16238