日本人が決して忘れてはならないこと

先週金曜は、弊社の大掃除と新年会だった。

新年会は今年お世話になった方々とうちのスタッフだけの内輪の宴会で、特別のおもてなしはないが、恒例のバグパイプ演奏は 好評だ。
奏者は元戦場ジャーナリスト加藤健二郎
スコットランドザブレイブ」、「マッサン」のテーマ(麦の歌)などのほか、「インターナショナル」と「君が代」も演奏し てもらった。大音響でいい景気づけになった。さあ今年もガンバロー!
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第二弾出てから記憶呼び起こす  (神奈川県 大坪 智 朝日川柳26日)

甘利明TPP担当大臣、「ダボス会議」に「国会の承認が得られれば行く」と言っていたが、承認なしに行って時間稼ぎ。そして『週刊文春』の第二弾がきょう27日に早刷りが出るのを待って28日夕方に記者会見をするという。
甘利先生、「記憶があいまい」だそうだが、第二弾の記事を読んでから、どのくらい思い出すかが決まるのだろう。明日の会見に注目。
安倍首相は、きょう午前の参院代表質問で、はやくも甘利大臣の続投させる意向を示した。何もかもいい加減なまま政治は進んでいく。
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天皇皇后両陛下のフィリピン訪問で、きょう複数のニュース番組がフィリピン戦の特集を放送していた。
日本軍にとってフィリピン戦がきわめて過酷なものだったこと、たくさんのフィリピン人が犠牲になったことが少しでも知られればと思う。大本営の作戦命令がいかにばかばかしいものだったのかも。
52万人の日本軍の戦没者は、ほとんどが飢えや病気など戦闘以外の原因で亡くなっている。フィリピン戦の実相を知るにつれ、この作戦責任は極めて大きいと思うようになった。勝ち目が全くないのに、日本本土への進攻を少しでも遅らせることだけのために50万人を死なせたのだ。
米軍が上陸したイロイロ島では、日本兵とともに現地の日本人移民やその子弟が山中に退避するが、その過程で、「兵隊さんの足手まといにならぬよう」と集団自決する事件が起きている。老人、子どもを含む50人以上が亡くなったという。後の沖縄戦に見られる悲惨な事件がすでにフィリピンで起きていた。それほど悲惨な戦線だった。

(写真は集団自決の慰霊碑)
BC級戦犯とその恩赦を取り上げた特集もあった。
恩赦令を出したのはキリノ大統領だが、彼は家族を日本軍に殺されていた。
《マニラ戦当時、上院議員だったエルピディオ・キリノの家族は、フィリピン総合病院に近いマニラ市エルミタ地区のコロラド通り(現在のフェリペ・アゴンシリョ通り)に住んでいた。45年2月9日午後、キリノ邸が米軍の砲撃で一部破壊されたために、妻のアリシアが長女ノルマ、長男トマスらと一緒に近くにあった実家(アリシアの母親らが住むシキア家)に避難しようとした。しかし、実家の向かいにあった日本軍の防衛拠点にいた狙撃兵に銃撃され、アリシアとノルマは即死、アリシアが抱いていた当時2歳の娘フェが地面に投げ出された。フェはしばらく泣いていたが、近づいてきた日本兵の手で刺殺されてしまう。》(まにら新聞 http://www.manila-shimbun.com/award/sp011/award208838.html
ニュース23では、加納莞蕾という画家が絵を描くのを何年も中断して200通近い嘆願書を書き続け、フィリピンのキリノ大統領が戦犯の恩赦という苦渋の決断に至ったエピソードにも触れていた。

多くの番組が、素直に「加害」の面を強調したトーンで戦争を描いていたのは珍しいなと感じたが、これには天皇皇后両陛下の姿勢が強く影響していると思う。

両陛下は、きょう、「無名戦士の墓」を訪れ、戦争の犠牲になったフィリピンの人々を悼み、拝礼したあと、マラカニアン宮殿でアキノ大統領主催の晩さん会に出席。そこで天皇陛下は、太平洋戦争でフィリピンが受けた甚大な被害に触れ「日本人が決して忘れてはならないことであり、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりです」と述べた。(共同)
いまの日本人に「加害」の歴史を教えようとしているかのようだ。
天皇制はあと100年近く存続する可能性があると思うが、いま人格的に信頼できる両陛下を持つことは日本にとって幸運である。