伝統の森は「妄想」からできた

きょうもカンボジアの村「伝統の森」の紹介つづき。


2002年に森本さんが土地を購入したとき、ここはもともと荒地で、切り株を掘り起こし、土地を平らにするところから開墾した。
いま生い茂る木々の多くは、その後再生したり植林されたりしたものだが、以前からあった大木もある。
大きな木には霊が宿っているとされ、祠を建てておがむ。日本とも共通の感性である。


村の周りには大きな沼があり、魚を獲ることもできる。魚は自由に売ってよいので、いい副収入源になる。
朝行くと、蓮が大輪の花を咲かせている。


綿の花をはじめてみた。黄色い花がとても可憐だ。
左が花のあとの実で、もう中には白い綿がある。
いやあ、知らないことばかりだなあ。


頼るべき組織も資金もないなか、森本さんは、カンボジアの伝統の絣を復活させようと、カンボジア中をさがしてベテランの織り手を集め、若い研修生を募って技術の継承をはかっていた。
そして1999年11月、所要でバンコクに飛んだとき、飛行機の窓からカンボジアの森を見下ろしていると、突然ひらめいた。森をつくる!
養蚕の桑も、草木染の原料もある森の中で布をつくる。本当に良い布は、良い自然が必要だ。そこに形成されるコミュニティの中で、技術も継承されていく・・・
そのアイディアを絵地図とともに書き付けたノートのページがこれだ。
「工芸村の中心にコミュニティセンターを作る」などと書いてある。
当時は、森本は頭がおかしくなったのでは、と笑われる「妄想」だった。しかし、それを実現し、いまや東京ドーム5つ分の面積をもつ村を作ってしまったのだ。
「妄想」を持て!と、森本さんは日本の若者へのメッセージとして語る。


村の子どもが地面に四角い線を引いて、石をつま先で蹴りながら進む遊びをしている。
日本のけんけんにそっくりだが、これって民族間で伝承していったのか、それとも同じような遊びがそれぞれ独自に生まれたのか。


村はアンコール王朝発祥の地といわれるプノムクーレンとアンコールトムとの中間地点にある。
村のはずれに、アンコール時代の水門の跡がある。
アンコール文明は、この一帯の水の管理をベースに栄えたから、これは重要遺跡だ。海外の調査隊が入って調べたところ、水利施設の巨大な遺構が地面から5メートルほど下に続いていることが分かったという。
ここは由緒ある土地だったのだ。


草木染は渋いというイメージがあるが、色のバリエーションはとても多様だ。
あんまりきれいなのでフェイスブックのカバー写真に使うことにした。