サディストと化した民主主義の戦士たち

takase222013-04-23

卯の花がもう咲いている。
たぶん毎年、卯の花が咲くとこの日記に記録しているが、今年はずいぶん早い。卯の花とはウツギのこと。こんなに寒いのに、この花を見ると「夏は来ぬ」を口ずさんでしまう。
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人望の厚かったリーダー、トゥンアウンジョーは、融和をはかるために、人格的に問題のあった旧幹部を指導部に入れ、しかも軍事部門を握らせた。このことが「暴走」の一つの原因を作っていた。
自分自身がスパイとして拘束されたとき、トゥンアウンジョーはやはり拘束されていた部下たちに、「訊問されたらすべての罪状を私にかぶせろ」と言ったという。訊問では、自分がスパイであることを認めたうえで、軍情報部の部門と階級、命じられた任務、ABSDF内部の誰が仲間のスパイなのかなどを、ミョーウィンらの好むストーリーに仕立て上げるまで拷問される。そして、日本で問題になった検察のでっち上げ調書のもっとひどいやつができあがるのだ。
スパイは、通信機器のほか、ABSDF幹部の殺害を企てたことになっていたからそのための毒薬や武器も所持していたことになっていた。すると、「毒薬はどこにある?」「無線機は誰に渡した?」などと聞かれる。「罪状を私にかぶせろ」というのは、そういうとき「議長(トゥンアウンジョー)に渡しました」と答えろということだ。
トゥンアウンジョーへの拷問、リンチはエスカレートしていった。しかし、すぐには殺さずにじわじわと苛め抜いていったようだ。

今回、インタビューした元スパイ容疑者、オンチャイン氏の証言;
15人の集団処刑の前にも、個別に何人もがリンチで殺されていった。なかには酷い拷問にもかかわらずミョーウィンらに反抗する同志もいて、そんな一人、チョーワイがミョーウィンらの怒りをかっていきなり斬首されたことがあった。
トゥンアウンジョーは、頭を落とされたその首から血をすすらされた。さらに同じ日、チョージーというトゥンアウンジョーと親しい同志がミョーウィンに右手を刀で切り落とされた。そして、ミョーウィンは、地面に落ちた手を刀で刺して拾い上げ、トゥンアウンジョーに加えさせたのだった。
オンチャイン氏はその一部始終を見たという。こうなると、スパイ活動を自白させるために拷問しているのではなく、恨みを晴らすのを楽しむリンチである。

では、トゥンアウンジョーを含む15人が殺された2月12日の集団処刑はどのように行われたか。
この集団処刑の様子はさまざまな噂話で描写されているが、確かな情報はなかった。立ち会ったのは、ミョーウィンらスパイを摘発した側の人間だけで、証言するものがいなかったからだ。
ところが幸運にも、私は、処刑に立ち会った元護衛兵を探し出すことができた。聞くと、まだ現地のメディアも取材していないばかりか、誰にもあの日の出来事を話したことがないという。
彼は2時間にわたって、これまで極秘にされてきた処刑の様子を語ってくれたのだった。
(つづく)