玉城素さんを偲ぶ会

takase222008-11-01

きょう吉祥寺で、玉城素(たまき・もとい)さんを偲ぶ会があった。
玉城さんは在野の研究者で、北朝鮮研究に革命を起こした人と言っていいだろう。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080928
代表作に『北朝鮮破局への道 チュチェ型社会主義の病理』などがある。
会には玉城さんを慕う40人を超す人が集り、こもごも思い出話を語った。
玉城さんは1926年宮城県生まれで、父親の肇さんは著名なマルクス主義学者。47年、素さんは旧制第二高等学校を中退して、日本共産党の活動に入ったというから、バリバリの左翼である。武装闘争路線のとき3年間、山村工作隊の活動にも従事したという。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E9%9A%8A
共産党を離党して、60年代から社会主義思想に関する研究を精力的に行なった。
参加者の昔話で、玉城さんの私の知らなかった面が語られ、実に面白かった。
71年、徐兄弟が韓国で逮捕された事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E5%8B%9D)では救援運動をしたという。私もこの救援署名をした覚えがある。後に徐勝氏は、実際に工作船で極秘裏に北朝鮮に渡り、事実上「工作員」の役割をしていたことが明らかになって、支援者にショックを与えたのだが、この事情については張明秀『徐勝─「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』(宝島社、1994年)が詳しい。
また、68年の金嬉老(きんきろう)事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AC%89%E8%80%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6)や民団内部の抗争で多数の在日韓国人が逮捕された77年の「池ノ端事件」(http://www.seinenkai.org/sub/sub14.php)では弁護活動に尽力したという。
北朝鮮を激しく批判する人の中に、国粋主義的な朝鮮嫌いの人がいるのは確かだが、玉城さんがそうでないことは、経歴を知ればよくわかる。
古い友人たちの話から、私が玉城さんの業績で画期的だと印象に残ったのは、以下の点だった。
第一に、早い段階で、朝鮮戦争北朝鮮が仕掛けたと結論づけたこと。
これは今では常識なのだが、左翼陣営では、朝鮮戦争アメリカ帝国主義がはじめたということになっていた。私などは70年代もずっとそう思い込んでいた。北朝鮮がやったと言うのは、左翼としては勇気のいったことだったと思う。
第二に、朝鮮戦争の際、国連安保理ソ連が欠席したすきに韓国への国連軍派遣が決まるのだが、これがソ連の遠謀だったと見抜いたこと。
ソ連は、アメリカを朝鮮での戦争に引き入れ、中国と戦わせることで、欧州での負担を軽くしようとしたというのだ。
これは当時、全く独創的な解釈だったが、本当だったのだ。
(続く)