和田春樹氏はなぜ私に謝罪したのか―拉致報道を巡る誹謗中傷の真相その4

 和田春樹・東大名誉教授は、次のように記し、私・高世を事実上「捏造ジャーナリスト」と断じている。
 
 《(2月4日、電波ニュース社の高世仁が安明進を取材すると)安は平壌で横田めぐみをみたと言い出したのである。前年に石高に二回取材をうけたときには、安はそんなことは言っていなかったのに、である。この高世の安インタビューは二月八日にテレビ朝日で放映されたが、安を匿名で登場させた。安はこれまで何度も公衆に向かって話しているが、横田めぐみのことは話していなかったので、横田めぐみ拉致の話が報じられたあとに突然彼女を見たと言い出したのでは信頼されないと高世が考えたのであろう》(和田春樹『日朝交渉30年史』ちくま新書、二〇二二年)。

 和田氏の問題提起は、大きく二点に集約される。

 第一に、安明進氏はすでに実名・顔出しで取材に応じていたにもかかわらず、テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」では匿名で登場した。これは作為的な演出ではないか、という点。

 第二に、朝日放送の石高健次氏が前年(正確には前々年)に取材した際、安明進氏は横田めぐみさんらしき人物について語っていなかった。ゆえに、私たちの取材での「目撃証言」は虚偽だ、という主張である。

 まず第一点について。
 確かに安明進氏は1994年以降、複数の活字メディアに実名・顔出しで登場している。『月刊朝鮮』94年11月号(『現代コリア』95年1月号、2・3月号に邦訳)や『AERA』94年10月10日号などがそれである。

 しかし、ここで和田氏が決定的に見落としている事実がある。安明進氏は、テレビ取材だけは一貫して拒否してきたという点だ。石高健次氏が95年に取材した際も、動画取材は断られている。理由は「北朝鮮に残る家族の安全」のためだった。

 本人はこう説明している。活字なら、たとえ名前と写真が出ても「内容を勝手に書かれた」と言い逃れができる。しかし、テレビで顔を出して話せば、それが通用しない――。これは石高氏が著書『これでもシラを切るのか北朝鮮』で紹介している。

 そして1996年10月、私たちは安明進氏の初めてのテレビ取材に成功した。その際に提示された条件が、「匿名・顔出しなし」だった。

 97年2月4日の「ニイガタの少女」証言は安明進氏の二度目のテレビ取材であり、「匿名・顔出しなし」という取材条件は前回と同じだった。安明進氏のように特殊な環境下にある取材対象からのこうした要請には十分配慮せざるをえない。匿名は私たちの意図的な演出ではなかったのである。

 次に第二点である。
 なぜ石高氏の取材では「ニイガタの少女」が語られなかったのか。この点について、石高氏自身がこう解釈している。

 《私はこれまで安明進はじめ、数人の亡命工作員に会って話を聞いているが、彼らは全員が「日本人拉致」のことを先輩などから聞かされて知っていた。(略)彼らをインタビューして感じたのは、拉致ということ自体、我々が考えるほど情報として重大な価値があるという認識はないようだった。(略)相手が重要だと意識していない事柄は、だから、具体的に踏み込んで聞かなければ出てこない場合もあるだろう(同書)。

 実は、安明進氏は「ニイガタの少女」以外にも多くの拉致被害者を知っている。私たちがめぐみさんの写真を示し、「踏み込んで」尋ねたことで彼の記憶が呼び起こされたと考えるのが自然だ。聞き手の質問の仕方によって初めて引き出された証言を、「以前に語らなかった」という理由だけで虚言と決めつける方が、よほど不合理である。

 にもかかわらず和田氏は、最初から安明進氏の証言を「ウソ」と断定し、その前提の上に憶測を積み重ねていく。その結果、議論は事実から大きく逸脱していくのである。

 さらに、あまり知られていない重要な事実がある。

 この取材は、当初、拉致問題とは無関係のテーマで申請され、2月4日午後に行われることが1月下旬には決まっていた

 2月3日、私たちは成田空港でソウル行きの便を待つ間、たまたま空港内の書店で、その日の『産経新聞』と『AERA』に掲載された横田めぐみさん拉致疑惑の記事を目にした。これを受け、急遽、翌日の取材で安明進氏に問いただすことにしたのである。

 もし2月3日に記事が出ていなければ・・
 もし出発まで時間の余裕がなければ・・
 もし空港で書店に立ち寄らなければ・・
 もし取材日が翌4日でなければ・・。

 この証言は、奇跡的な「めぐりあわせ」の結果として生まれたのである。事前に何かを「仕込む」ことなど不可能だった。陰謀論の入り込む余地はない。


 それにもかかわらず和田氏は、横田めぐみさん拉致疑惑の背後に巨大な陰謀が存在するかのような妄想を描き、その結果、私たちを含む関係者を根拠なく貶めている。

 研究者であるならば、まず何よりも事実に謙虚であるべきだと思う。

 私は和田氏に対し、テレビ番組「ザ・スクープ」と私に向けられた捏造報道という誹謗・中傷を、公の場で取り消し、謝罪することを強く求めたい。

 なお、横田めぐみさん拉致疑惑の発覚過程については、拙著『拉致 封印された真実』(今月末発売予定)上巻第1章「横田めぐみさん拉致疑惑―問題の『原点』をたどる」で詳述している。また、和田氏の非難への反論は「安明進『捏造報道』疑惑に答える」にまとめている。関心のある方はお読みください。月末には書店に並ぶと思います。

(完)

 

和田春樹氏はなぜ私に謝罪したのか―拉致報道を巡る誹謗中傷の真相その3

 私は和田春樹・東大名誉教授への手紙(11月13日付)で、次のように書いた。

 《ジャーナリストにとって、「捏造報道を行った」という汚名は致命的です。大きな組織のバックがない私たちに頼れるものは「信用」しかありません。「信用」を失うことが職業人としての「死」を意味することは、研究者でも同じではないでしょうか。

 かつて、ある古代史研究者が、自分が埋めておいた石器をあたかも地中から発掘したかのように見せかけた捏造行為を行い、学会から追放されました。もし、和田さんが、「史料を捏造する研究者」とレッテルをはられ、それが世間に通用したとしたら、東大名誉教授のままでいられますか。》

 言うまでもないが、これは脅しの類ではない。学者とジャーナリストに共通する職業倫理を正面から問い、一片の根拠も示さぬまま、憶測だけで「捏造」と中傷したことに強く反省を求めたのである。

 というのも私は、四半世紀も前の2001年に、「ここが事実誤認です」「ここは当事者に確認すべきです」と、具体例を挙げた長文の手紙を、和田氏本人に送っている。そしてきちんと取材したうえで議論を展開してほしいと要請していたからだ。

 それだけに、2020年代になってから立て続けに、名指しで「捏造ジャーナリスト」呼ばわりされたことに唖然としたのである。

 では、なぜ和田氏は私を「捏造ジャーナリスト」に仕立て上げようとしたのか。

 理由は単純だ。安明進氏の「ニイガタの少女」目撃証言の信憑性を、何が何でも否定したいからであろう。ならば、日本における拉致問題の「原点」に立ち返ってみよう。安明進証言とは、一体何だったのか

 横田めぐみさんの拉致疑惑が表に出る決定的な契機となったのは、二人の元北朝鮮工作員の証言だった。

 まず一つ目が、いわゆる「石高リポート」の「工作員」である。

 現代コリア研究所が発行する月刊誌『現代コリア』1996年10月号に、「私が『金正日の拉致指令』を書いた理由」と題する短い記事が掲載された。そこには、拉致問題取材の草分け的存在だった大阪・朝日放送のプロデューサー、石高健次氏が、韓国の情報機関・安企部幹部から聞いた情報が紹介されている。

《その事実は、九四年暮れ、韓国に亡命したひとりの北朝鮮工作員によってもたらされた。

 それによると、日本の海岸からアベックが相次いで拉致される一年か二年前、恐らく七六年のことだったという。十三歳の少女がやはり日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。どこの海岸かはその工作員は知らなかった。少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった、海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたために捕まえて連れて帰ったのだという。

 少女は賢い子で、一生懸命勉強した。「朝鮮語を習得するとお母さんのところへ帰してやる」といわれたからだった。そして、十八になった頃、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった。病院に収容されていたときに、件の工作員がその事実を知ったのだった。少女は双子の妹だという。》

 これを、「石高リポート」における「工作員」情報と呼ぶことにする。石高氏は1995年6月23日、ソウルで安企部高官からこの話を聞き、当該工作員への直接取材を求めたが、「接触は不可能」と告げられたという。おそらく韓国側に寝返ったあと二重スパイとして現役の任務についていたのだろうと推測する。

 この証言内容は、横田めぐみさんの失踪状況にみごとに一致していた

① 拉致時期は「アベック拉致の一年か二年前」。アベック拉致は1978年、めぐみさん失踪は1977年。

② 年齢は「十三歳の少女」。完全に一致。

③ 「クラブ活動(バドミントン)帰り」。状況は一致。

④ 「双子」というキーワード。めぐみさん本人は双子ではないが、双子の弟がいる。

 そして、この拉致疑惑が一気に表舞台に噴き出したのが、1997年2月3日(月)である。

 この日、『産経新聞』朝刊と、同日発売の週刊誌『AERA』(東京都内では1日土曜に発売)が、めぐみさんの実名と写真を掲げて拉致疑惑をスクープした

 同日、衆議院予算委員会では西村眞悟議員が両記事を引用して拉致被害者救出を訴え、NHKがこれを中継。夕刊、夜のテレビニュースが一斉に後を追った。

 事態が大きく動き出した決定的な一日だった。

 あまりにも出来すぎたタイミングだったため、「事前に仕組まれた謀略ではないか」という声まで上がった。韓国の安企部と日本の「反動勢力」が結託した陰謀だとの非難もあった。

 ここでは詳細に立ち入れないが、この急展開は「仕組まれた」ものではなく、偶然のなせる業だった。『産経新聞』の阿部記者、『AERA』の長谷川記者、西村眞悟衆院議員いずれも互いの動きを全く知らないまま2月3日を迎えていたのである。

 突破口を開いたのは、横田滋さんが、早紀江さんら家族の反対を押し切って、実名公表を決断したことに他ならない。13歳の少女「横田めぐみ」の実名なしには、このようにメディアや政治の場で大きく取り上げられることはありえなかった。

 さらにその週の土曜の2月8日。私たちが4日にソウルで取材した安明進証言が、テレビ朝日の報道番組『ザ・スクープ』で放送された

安明進氏

 安明進氏はその女性を工作員学校で自分の目で見ており、私が見せた『AERA』と3日付『産経』新聞のめぐみさんの写真に「見覚えがある」と反応した。拉致実行犯は安氏の指導教官で、「あの女性は幼い頃自分がニイガタから拉致してきた」と語ったという。
「ニイガタ」というキーワードが出てきたが、クラブ活動や家族構成についての情報は持っていなかった

 つまり、石高リポートの工作員と安明進氏は別人であり、ここで複数の証言が出たことになる。ただ、前者が安企部幹部を介した「また聞き」の情報なのに対して、安明進氏は匿名とはいえテレビカメラの前で語られた直接証言である。証拠能力から言えばはるかに高い。

 政府は2月7日付で、西村眞悟議員の質問主意書に答弁書を出し、「拉致されたか否かについては確認されていない」とした。石高リポートの工作員の証言だけでは拉致は「確認」されない、という判断を示したのである。

 だがその後、5月1日の参議院決算委員会で、政府はめぐみさん失踪を北朝鮮による拉致と認定し、「全体で七件十人」と判断したことを明らかにした。警察庁は3月14日、ソウルで安明進氏から事情聴取を行っている。彼の証言が決定的な根拠になったことは明らかだった。

 安明進証言は、政府の公式見解を変え、横田めぐみさんの拉致認定へとつながったのである。北朝鮮、朝鮮総連、社民党、日朝友好促進派など、拉致疑惑を何としても否定したい側からの批判と攻撃が安明進証言に集中するのは当然だった。

 日朝国交正常化を推し進めようとする和田春樹氏もまた、安明進証言を運動にとっての大きな“障害物”として葬り去ろうとした。その一環として、安明進証言を世に届けた私たちの行為を「捏造報道」として攻撃したのであろう。

 安明進氏は「ニイガタの少女」目撃証言で一躍脚光を浴びた。とくに2002年9月の日朝首脳会談で横田めぐみさんの拉致を金正日が認めた後は、連日のようにメディアに出演し、スターのような扱いを受けた。しかし、あの歴史的な証言から10年後の2007年7月、彼は覚醒剤の所持・使用・密売容疑でソウル市内で逮捕され、その語消息を絶つ。まさにローラーコースターのような人生だった。

 次回は、これまで語られなかった、安明進氏取材の核心に触れるエピソードを紹介しよう。安明進氏の「ニイガタの少女」目撃証言の信憑性について、私はどう判断したのか。そしてなぜ私は彼を匿名で登場させたのか。

(つづく)

和田春樹氏はなぜ私に謝罪したのか―拉致報道を巡る誹謗中傷の真相その2

 和田春樹・東大名誉教授が、テレビ朝日「ザ・スクープ」における安明進証言を「捏造報道」だと断じたことに対し、私は昨年9月上旬、事実無根であるとして抗議した

和田春樹氏(wikipediaより)

 きのう本ブログで紹介したのは、それに対する10月4日付の和田氏から私宛ての謝罪文である。和田氏は、自身の主張に根拠がなかったことを認め、「ここに高世様に深く謝罪して、誤った記述を取り消し、二度とそのようなことを書かないと誓うものです」と明言した。

 さらに和田氏は、「日朝国交交渉20年検証会議第3回」(2021年6月27日)での自らの報告を掲載していたウェブサイトから、問題となった記述を削除している。
http://www.wadaharuki.com/kenshoukaigi/dai3kai.html

259字が削除された

 しかし、である。

 私は11月13日付の書簡で、和田氏に次のように書き送った。

「和田さんの書籍では、私の捏造報道が、視聴者を欺く動機で行われ(「突然彼女を見たと言い出したのでは信頼されないと高世が考え」)、数百万単位の視聴者を対象とする名の知れた報道番組で流され、「めぐみさん拉致を決定的に確認するものとして受け取られた」(30年史)と、捏造が世論形成に大きく影響したと書かれています。

 和田さんが行なってきた、また書籍が人目に触れることで現在も進行中の誹謗中傷行為に対して、和田さんから私個人への一通の謝罪文が“非対称”であることは、誰が見ても明らかです。和田さんは、この執拗な誹謗中傷をマスメディアで広く拡散しているのですから、その訂正と謝罪、私の名誉回復も何らかの公の形でなされるべきでしょう。例えば、問題のウェブサイトでは私関連の個所の削除が「(2025年10月3日和田春樹の申し出により259文字削除)」と記されているだけですが、これでは削除の理由が分かりません。少なくとも削除をめぐる説明と謝罪を掲載すべきではないでしょうか。」

 和田氏は「誤った記述を取り消」すと誓っていながら、4カ月を経てもなお、公の場での正式な訂正や謝罪は行っていない。

 「捏造報道」という虚偽の断定を含む著作は、筑摩書房、岩波書店から刊行されたまま現在も店頭に並び続けている。つまり、誹謗中傷は過去形ではなく現在進行形なのである。

 こうなると、もはや私自身が“身の潔白”を証明するしかない。本ブログというパーソナルメディアで発信している理由は、そこにある。

 実は、和田氏とこの問題で向き合うのは今回が初めてではない。

 和田氏は2001年、『世界』(岩波書店)1月・2月号に「『日本人拉致疑惑』を検証する」を連載した。当時の『世界』は、拉致疑惑を否定する論調の記事を集中的に掲載し、いわば「反拉致」キャンペーンの様相を呈していた。

 和田氏はその中で、「横田めぐみさんの拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである」と書いている。

 証言の信憑性を疑うことは取材の常道である。私自身、安明進氏の証言に接した際、「まさか」という驚きと同時に、本当なのかという疑念も抱いた。和田氏が安明進氏の証言の揺れや矛盾を指摘し、信憑性に疑問を呈すること自体は自由であり、何の問題もない。問題は、「発表のされ方」に関して、事実確認を一切行わず、想像と憶測だけで組み立てた陰謀論である。

 和田氏は、横田めぐみさんの拉致疑惑が韓国の安企部発であることを強調し、私を含む関係者―佐藤勝巳氏、兵本達吉氏、石高健次氏ら―が、それぞれ謀略的意図をもって事実を捏造したかのように描き出した。その象徴が、私に対する「捏造報道」という断罪である。あまりに荒唐無稽な記述に、私は当事者として驚愕した。

 そこで私は『世界』編集部気付で、和田氏宛に長文の手紙を送った。その中で私は次のように書いている。

 「和田さんが特に問題にしているのは、これらの証言が明らかになる過程です。そして論文の中でも、この部分には、非常にたくさんの事実誤認が見られます。しかも、単なるケアレスミスではなく、当然確認すべき重要な事柄を、しかも電話一本ですぐに問い合わせることができるのに、恣意的に『推測』したうえでの誤りが非常に多いのです。なかには、考えたくないのですが、ひょっとしたら意図的に事実をねじまげようとしているのではないかと感じた箇所さえありました」

 さらに具体例を挙げたうえで、「是非ともお聞きしたいのは、和田さんはこの論文に登場する人のうち何人にインタビューしたのかということです」と問い、手紙をこう結んだ。

 「研究者であるなら、誠実に、あくまで一つ一つの事実を確認するという調査・研究の基本に戻って議論してほしい」

 返事はなかった。そのため私は、手紙を出した事実だけは記録に残そうと、『動向』(2001年3月号)に全文を掲載した。

『動向』3月号。(知り合いが関係していた右翼誌である)

 和田氏がこれに“反応”したのは、2002年7月刊の『朝鮮有事を望むのか』(彩流社)である。

 そこには、私の手紙が確かに届いていたことが記されている。そして和田氏は、私以外にも佐藤氏、兵本氏、荒木和博現代コリア研究部長、『AERA』の長谷川煕記者、横田滋氏らから寄せられた反論をこう一蹴する。

「多くの人々が私の論文に批判をあびせたのだが、内容は同工異曲であった。和田は関係者に取材をしないで論文を書いた、そのことが不当だというのである。高世氏も「ぜひお聞きしたいのは」「誰と誰に、いつ取材しましたか」ということだと書いた・・・。
 私は荒木氏に『自分は歴史家だ、歴史家というものは文書資料を批判的に読んで、歴史的事実を明らかにするのが仕事だ。今回の論文もその歴史家としての手法によって書いたのである』と答えた」(P139)

――驚くべき開き直りである。

 歴史家というのは、当事者に事実確認をしなくてよいという特権でもあるのだろうか。

 確かに、帝政ロシアの農奴制を論じるなら文献史料が中心になるだろう。しかし、問題にしているのは、当時まさに日々進行中の事態である。もし和田氏から私に一本でも電話があり、「なぜ安明進氏を匿名にしたのか」と尋ねられていれば、私は正直に答え、憶測による誤解はその場で解けていた。

 事実から目を背け、確認を拒み、憶測で断罪する。

 和田氏はなぜそこまでして安明進証言を否定しようとしたのだろうか。
(つづく)

和田春樹氏はなぜ私に謝罪したのか―拉致報道を巡る誹謗中傷の真相

 ここに、私宛に届いた一通の私信がある。

 差出人は、ロシア史・東欧史を専門とする歴史学者であり、東京大学名誉教授の和田春樹氏。いわゆる「岩波文化人」の一人として、戦後日本のリベラル派知識人を代表する存在である。日朝関係においては、「日朝国交正常化推進国民会議」で事務局長や共同代表といった要職を占め、同会の理論的支柱、いわば司令塔として活動してきた人物でもある。

 その和田春樹氏から、私に向けて送られてきたのが、以下の文面であった。

 「私の著書の記述内容を検討した結果、重大な推測の誤まり、結果としての記述の誤りを私は認識しました。高世様のジャーナリストとしての名誉を著しく傷つけたことを認めます。まことに申し訳ない次第です。ここに高世様に深く謝罪して、誤った記述を取り消し、二度とそのようなことを書かないと誓うものです」

 これは、和田氏が著作を含む公の場において、複数回にわたり、私を名指しで誹謗中傷してきたことへの謝罪文である。私が、それらの記述が事実に反すると抗議した結果として届けられたものであった。

 問題となったのは、私が1997年2月、元北朝鮮工作員・安明進氏の証言を紹介したテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」である。安氏は「幼いころニイガタから拉致された日本人女性を平壌で目撃した」と証言した。この証言は、初めての「横田めぐみさん目撃証言」として大きな反響を呼び、拉致問題が国民的関心事となる契機の一つとなった。

安明進氏の証言は1997年2月8日のテレビ朝日『ザ・スクープ』で放送された

 ところが和田氏は、この報道を私が仕組んだ捏造番組であると断じたのである。しかもその主張を、一度きりではなく、以下の四つの場と媒体で繰り返した。

1)「日朝国交交渉20年検証会議第3回」(2021年6月27日)での和田報告
2)1を記録・掲載したホームページ
http://www.wadaharuki.com/kenshoukaigi/dai3kai.html

3)和田著『日朝交渉30年史』(2022年、筑摩書房)P64-65
4)和田編著『北朝鮮拉致問題の解決』(岩波書店、2024年)P25

まず、「検証会議」での発言である。

「(1997年)2月4日、電波ニュース社の高世仁は、安明進を取材した。(略)この高世仁の安インタビューは2月8日にテレビ朝日で放映されたが、巧妙にも安を匿名で登場させたのである。北からのがれた未知の新しい亡命者本人が平壌で横田めぐみを見たと証言したということはめぐみさん拉致を決定的に確するものとして受け取られた」

続いて、和田氏自身の著書『日朝交渉30年史』(2022年9月10日、筑摩書房)での記述である。

「ここでもう一つの重要なプロセスがはじまる。二月四日、電波ニュース社の高世仁は、韓国で亡命北朝鮮機関員安明進を取材したそのさい、高世は日本での横田めぐみ報道の記事を安にみせた。すると安は平壌で横田めぐみをみたと言い出したのである。前年に石高に二回取材をうけたときには、安はそんなことは言っていなかったのに、である。この高世の安インタビューは二月八日にテレビ朝日で放映されたが、安を匿名で登場させた。安はこれまで何度も公衆に向かって話しているが、横田めぐみのことは話していなかったので、横田めぐみ拉致の話が報じられたあとに突然彼女を見たと言い出したのでは信頼されないと高世が考えたのであろう。結果的に、北からのがれてきた新しい亡命者が平壌で横田めぐみを見たと証言したということはめぐみさん拉致を決定的に確認するものとして受け取られた。安の証言の変化などに気を留める人はいなかった」(64~65頁)

 さらに、『北朝鮮拉致問題の解決 膠着を破る鍵とは何か』(2024年3月26日、岩波書店)』の「第1章 日朝国交交渉と拉致問題の経緯を振り返る」においても、同趣旨の主張が繰り返されている。

「ここでもう一つの重要なプロセスがはじまる。二月四日、日本電波ニュース社の高世仁は、韓国の亡命北朝鮮機関員安明進を取材した。その際、高世は日本での横田めぐみ報道の記事を安に見せた。すると、安は平壌で横田めぐみを見たと言い出したのである、前年に石高に二回取材を受けたときには、安はそんなことは言っていなかったにもかかわらず、である。この高世の安インタビューは二月八日にテレビ朝日(『ザ・スクープ』)で放映されたが、高世は安を匿名で登場させた。結果的に、北から逃れてきた新しい亡命者が平壌で横田めぐみを見たと証言したことになった。これは横田めぐみの拉致を決定的に確認する情報として受け取られた」(25頁)

 たしかに私は、安明進氏を匿名の「元北朝鮮工作員A」として、顔にモザイクをかけて番組に登場させている。しかし和田氏は、これを単なる取材上の配慮とは受け取らない。安明進氏が顔も名前も出せる人物であるにもかかわらず、私が「巧妙にも」匿名にしたことで、彼を実在の安明進氏ではない、別の「新しい亡命者」であるかのように装い、視聴者を意図的に欺いた――和田氏はそう主張するのである。

 和田氏の主張の組み立てを整理すれば以下のようになる。

 第一に、安明進氏は、過去に石高氏のインタビューを受けた際には横田めぐみさんを見たとは語っていなかった。

 第二に、私・高世は、その事実を知り、安明進氏の証言では信用されないと判断した。

 第三に、そこで安氏を匿名にすることで、別人の亡命者であるかのように仕立て上げ、視聴者を誘導した。

 つまり和田氏は、私が事実と異なる演出を施し、意図的に視聴者を欺く番組を制作したと断定しているのである。

 もしも、和田氏の言うことが事実であったならば、明白な捏造報道であり、悪質な放送法違反事件である。番組は即座にBPO(放送倫理・番組向上機構)の審議対象どころか、番組自体が打ち切りになった可能性さえある。日本電波ニュース社はテレビ局出入り禁止、テレビ朝日からの損害賠償請求すらありえた。あの証言の社会的影響力を考えれば、放送界を揺るがす大不祥事となったことだろう。もちろん私自身のキャリアは断絶し、二度とこの業界で仕事ができなくなっていたはずだ。

 これは私個人に対する中傷にとどまらない。所属会社、番組、放送局すべてに向けられた、きわめて乱暴かつ無責任な告発であり、明白な名誉毀損である。

 そして何より強調しておかなければならない。

 和田春樹氏のこの主張は、事実無根である。

 それでは、なぜ和田氏は、これほどまでに根拠を欠いた暴言を、公然と、しかも執拗に繰り返したのか――。問題は、まさにそこにある。

(つづく)

“完落ち”した北朝鮮工作員が重大証言―検証 「日向事件」

拉致問題の闇】第8弾をユーチューブにアップしました。

“完落ち”した北朝鮮工作員が重大証言~検証 「日向事件」

www.youtube.com

 日本でなぜ北朝鮮による拉致事件が見すごされてきたのかを検証していくシリーズ。第8弾の今回は、1981年に宮崎県で起きた「日向事件」を取り上げる。

 日本に潜入してきて摘発された北朝鮮工作員は少なくない。だがほとんどは黙秘したまま、軽い刑罰で帰国していった。

 その中にあって、警察の取り調べに全面自供した工作員がいた。彼の供述にもとづき、宮﨑県警はのべ7500人の捜査員を5カ月間にわたって投入した大捜査を展開、日本での工作活動の全貌がはじめて浮かび上がった。これを記した極秘捜査資料にもとづき、工作員が「完落ち」した理由、そして新たに判明した重要情報とはなにかを紐解く。

日向事件の捜査記録。右上に極秘資料である旨の記載がある

 

総選挙についての雑感

 今回の総選挙を詠んだ朝日川柳欄を見ると—

投票前(2月5日)

   日本中浮かれ模様の押し選挙 
   パンダ去りキャピキャピのひと衆集め

結果が出た後(2月11日と12日)
   3割で8割攫(さら)う民主主義
   九条が足を掛けてる徳俵
   批判した人みな消えて沈黙の春
   勝因は俺の無愛想 石破言い
   「参院は意味ない」などとすぐ驕(おご)る
   このくにのかたちを憂う菜の花忌

 菜の花忌は司馬遼太郎の命日(2月12日)。さすが朝日川柳は厳しいが、そもそも川柳は強きもの、権力をコケにして笑うものなので、これでいいのだ。

 それにしても高市早苗旋風はすさまじかった。

 自民党へと有権者を引き寄せたのは、高市氏の政策というより人物イメージ(さなえちゃんと呼ばれるそうだが)、いわば高市人気と言った方がよいだろう。そして耳に心地よいフレーズを確信ありげに語り(しかし、中身を語っていない)、にこやかな笑顔を振りまく高市氏に、閉塞感漂うなか、何か大きな変化をもたらしてくれそうな期待が寄せられたように思われる。

 ただ、ここに指摘しなければならないのは、このイメージ操作に決定的な役割を果たしたSNSの問題だ。高市首相の「日本列島を、強く豊かに」と題する30秒の動画が公示前日の1月26日から2月6日時点で約1億3千万回再生されたことが分かっている。政党の動画の中で突出している。さっき見たら1億6千万回にまでなっていた。これはユーチューブの広告としても再生されており、広告主は自民党だった。

31秒の高市氏の登場する自民党の動画

 公職選挙法ではビラの枚数からアルバイトの日当まで細かい規制があるネット上でも特定候補への投票を呼びかける「選挙活動」としての有料公告は禁じられている。しかし、政党や政治団体が「政治活動」として有料公告を出すことは規制されない。つまり1億回以上再生された自民党の動画は「選挙活動」には当たらず自由に流してよいことになる。これでは資金力のある政党が圧倒的に有利になる。

 さらに収益目的のSNS上の動画投稿で、再生回数をかせぐために煽情的、刺激的な内容の動画があふれることで、見る人の投票行動が左右される問題もある。YouTube全体の視聴数分析では、第三者による切り抜き動画などを合わせると自民党関連で約8億回超と、他党を圧倒しているという。SNSの影響力が劇的に高まっている今日SNSの動画が選挙の「風」を大きく増幅したことは間違いない。

 次に「風」を増幅したのが小選挙区である。

 自民党は全体で衆議院定数465の3分の2超の316議席を確保したが、うち小選挙区では定数289のうち86.2%の249議席を獲得した。しかし、小選挙区での自民党の絶対得票率(有権者のうち自民党に投票した人の割合、今回は投票率56.26%)は26.9%、有権者の4人に1人が投票したに過ぎない。反対に中道は絶対得票率が11.8%で獲得議席は7議席で2.4%だった。今回は絶対得票率と議席占有率の差がこれまでより大きく開いている。

 過去、衆議院における自民党の獲得議席で最多だったのが、中曽根政権による1987年の衆参同日選挙による300議席だった。党内基盤が磐石でない中曽根政権が、高い内閣支持率を利用して党勢回復を図ったもので、解散などしないそぶりをしていきなり解散となり、野党の準備不足もあって自民に大勝をもたらした。それで「死んだふり解散」と言われる。今回と同様のまさに党利党略解散だった。自民が大勝した選挙を並べると—

(数字は自民党議席数、総議席数、3分の2ライン)    
1986年(中曽根首相)   300 512 341    
2005年(小泉首相)     296 480 320    
2026年(高市首相)     316 465 310    

 中曽根首相の86年の総選挙では、自民党の得票率は49.42%。当時は定数が512と多かったので300議席議席占有率は58.6%で3分の3には遠く及ばない。投票率は71.40%と今回より15%も高く、有権者のうちに占める自民党の得票率(絶対得票率)は35%強だった。

 今回は、小選挙区自民党の得票率はほぼ同じだが絶対得票率が26・9%で議席占有率86.2%。これが中曽根時代の中選挙区制との違いである。

 自民党比例代表での得票率は36%超 だった。昨年の参院選の21.6%から14ポイント以上大幅に上昇しているとはいえ、投票に行った人の3人に1人という割合だった。中曽根時代の方が、議席数、議席占有率は今回より少ないが、国民の自民党への支持はずっと強かったといえる。「風」が増幅されているなか、自民党の“実力”は落ちていることを確認したい。

 深刻なのは反自民野党である中道の惨敗(公示前167から49議席に)で単独で内閣不信任案を提出できる数51をもつ野党がなくなった

 中道は比例に公明を優遇した結果、公明出身者は2024年の前回衆院選を4上回る28議席を確保。立民出身者は公明より少ない21議席しか獲得できなかった。立民前職は144人いたから7分の1しか当選しなかったことになる。立民は再建が可能か、ぎりぎりのところではないか。

 私は、右傾化の潮流に抵抗するために異なる政治勢力が手を組む、いわゆる「統一戦線」的な戦術自体には賛成である。政党が融合することもありうるし、その過程で、主張をすり合わせ、左派が妥協して結果的に政策が中道化するのは当然である。しかし、それはあくまで「結果」としてであって、最初から相対概念である「中道」の看板を掲げ、それを政党名にするのには非常に強い違和感をもつ

 統一戦線を作る場合、重要なのは何をもって自民・維新に対抗するかである。安保政策(安保法制)やエネルギー政策(原発)といった中核的な政策について、こないだまで与党だった公明党の政策を「丸吞み」したのは、従来の支持者から「変節」と批判されて当然だった。テレビの政見放送で斎藤氏が野田氏より先に挨拶したのも、公明による立民の「吸収合併」を印象づけた。立民支持者の中には公明党へのアレルギーを持つ人は少なくない。結果として立民支持層が大量に離反したと思われる。

 もともと立民は、連合以外に支持基盤がないに等しい。地域にしっかり根を張った党組織がない。


 写真は各政党の機関紙だが、日刊の『赤旗』、『公明新聞』は別格として、『立憲民主』は週刊の『自由民主』にも及ばぬ隔週刊。しかも内容もページ数も薄く、組織の弱さを象徴する。つまり足腰のない議員政党なのである。現職議員の7分の6が議席を失って、どのように再建できるのか。注視してきたい。

『拉致 封印された真実』出版のお知らせ

 出版のご案内です。

 拉致問題はいま、風化の危機に直面しているように思われます。2002年9月の日朝首脳会談後、5人の拉致被害者とその家族が帰国してから二十年以上が経過しましたが、その後、新たな被害者の帰国は一人も実現していません。日朝政府間の公式協議も、2014年を最後に途絶えたままです。社会の関心は低下し、若い世代の中には横田めぐみさんの名前すら知らない人も少なくありません。

 こうした現状に強い危機感を抱き、私はこのたび『拉致 封印された真実』(旬報社)を上梓しました。1997年2月、元北朝鮮工作員による「横田めぐみさん目撃証言」を世に問うた者として、拉致問題の現状を看過することはできないと考えたからです。

 本書では、独自取材と多くの未公開資料をもとに、拉致問題について現在どこまで明らかになっているのかを整理しました。その上で、北朝鮮側の責任にとどまらず、日本政府による情報の隠蔽や囲い込みが問題解決を妨げてきた側面にも踏み込んでいます。また、いわば“聖域化”されてきた「家族会」など運動体のあり方についても、忖度なく検証しました。すべては、一人でも多くの拉致被害者を救いたいという思いからにほかなりません。

 本書の刊行を契機に、この問題に関心を寄せる皆さまとともに、長く続く閉塞状況を打ち破る道を考えていきたいと願っています。

 北朝鮮問題の専門家の磯﨑敦仁慶応大学教授と労働問題から拉致まで人権救済に取り組む社会派弁護士の川人博弁護士に推薦をいただきました。

 今月末には書店に並ぶ予定ですので、ぜひお手に取っていただければ幸いです。また、お近くの図書館にリクエスト(購入希望)を出していただけますと大変励みになります。
・・・・・・・
以下、本書「はじめに」より

 

 私の前には、これまで表に出ることのなかった数々の未公開資料が並んでいる。製本された分厚い捜査資料、外務省幹部による手書きのA4一枚の紙、拉致被害者家族の直筆の手紙、そして門外不出の音声テープなど、どれも〝マル秘〟扱いのものばかりだ。

 その中に、北朝鮮との交渉で日本側の〝切り札〟となった極秘資料がある。数十枚のコピーには「極秘」の文字が印字されている。政府の秘密文書は、「極秘(限定配付)」、「極秘」、「秘」、「取り扱い注意」の四段階にランク付けされており、これは上から二番目の、極めて厳重な機密レベルにあたる。

 この「極秘文書」は、二〇〇二年に帰国した拉致被害者五人に対し、当時の政府の拉致被害者家族・支援室(現・拉致問題対策本部)が、帰国直後から二〇〇四年まで内密に行った聞き取り調査の詳細な記録である。当時支援室を仕切っていた中山恭子内閣官房参与にちなんで通称を「中山ファイル」という。ここに収められた五人の証言は、北朝鮮が主張する拉致被害者「八人死亡」をめぐる説明が虚偽であることを暴く上で大きな役割を果たした。作成から二〇年以上眠っていたファイルを読み進めるうち、私たちは驚くべき事実を次々と知ることになった。それは、いまだ解明されていない拉致問題のいくつものミッシングリンクを埋めるものだったのである。

 拉致問題に私が関わり始めたのは、一九九七年二月、元北朝鮮工作員安明進氏を取材したのがきっかけである。「新潟から拉致されてきた日本人女性を、北朝鮮平壌で見た」という彼の証言は、横田めぐみさんの初めての目撃証言として日本社会に衝撃を与え、政府によるめぐみさんの拉致認定につながった。「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」が結成され、ここから拉致問題は国民的な関心事となっていった。

 拉致被害者の奪還と真相究明を求める声が全国で高まるなか、二〇〇二年九月の日朝首脳会談で、金正日氏が初めて拉致を認め、五人の被害者が二四年ぶりに日本への帰国を果たした。しかしその後、五人が北朝鮮で過ごした年月とほぼ同じ時間が過ぎたにもかかわらず、事態は進展しないまま年月が過ぎ、被害者の消息を待ち続けてきた家族たちは、次々と鬼籍に入っている。昨年、有本恵子さんの父・明弘さんが九六歳で逝去され、消息不明のままの政府認定拉致被害者の親で、いまも存命なのは、横田めぐみさんの母・早紀江さんただ一人となった。それでも、日朝間の公式協議は二〇一四年一〇月を最後に、一度も開かれていない。長すぎる〝空白〟が、今も続いているのだ。

 私がこの本を執筆しようと決意したのは、なぜ拉致問題がこれほどまでに進展しないのか、その根本的な理由を徹底的に探りたいという強い思いがあったからだ。この問題に四半世紀にわたって関わってきた者として、事態が膠着したまま「空白の日々」が過ぎ、世間の関心が薄れていくことに、大きな責任を感じてもいた。

 拉致問題は、〝今、どの地点にあるのか〟を明確にしたい。拉致の真相はどこまで明らかになったのか。なぜ、たった五人の被害者しか帰国できていないのか。そして、問題が進展しない本当の理由は何なのか。拉致をめぐる膠着状況に風穴をあける情報を求め、私たちは帰国した拉致被害者北朝鮮工作員とその協力者、日朝両方の交渉当事者らに取材を重ね、これらの問いに答えを出すことを目指した。

 拉致は国家主導の犯罪であり、問題が解決しないのは、ひとえに北朝鮮の責任であることは言うまでもない。だが、取材を進めるうち、私たちは日本政府の姿勢にも多くの疑問を持つようになった。二〇一四年、日本政府は、拉致被害者である田中実さん、金田龍光さんの二人が「生存」しているという衝撃的な情報を北朝鮮から知らされていた。ところが政府は、いまだに二人に面会を求めることもなく、〝見殺し〟にしている。さらにこの重大な事実を、政府は国民にひた隠しにしているのだ。私たちは、政府の情報隠蔽が、拉致問題の進展を妨げる要因になっていることを深く懸念している。

 本書では、数々の極秘資料を含む入手可能な限りの未公開情報と、一九九七年以来の独自取材で得たスクープ情報を用いて、「拉致取材の到達点」を示したつもりである。どうすれば拉致問題を解決していけるのか。そのヒントをこの本から見つけ出し、私たちとともに考えていただければ幸いである。

はじめに
政府認定拉致被害者の一覧
拉致被害者の人数
第1章 横田めぐみさん拉致疑惑――問題の「原点」をたどる
 1 一三歳、横田めぐみ
 2 失踪の夜――一一月一五日
 3 家族たちの生き地獄
 4 「その少女はめぐみちゃんだ」――一九九六年一二月、新潟
 5 点が線になるとき――拉致疑惑を動かした人々
 6 政府を動かした安明進証言
 7 高まる「拉致被害者を救え」の声
 8 安明進証言への攻撃――今なおくすぶる「謀略説」
 コラム 安明進捏造報道」疑惑に答える
 9 めぐり合わせが生んだ安明進証言
 10 堕ちた英雄 安明進
第2章 横田めぐみさんは今どこに?
 1 曽我ひとみさんとともに――七八年-八〇年
 コラム 招待所はインテリアも日本製
 2 忠龍里招待所にて――八三年-八六年
 3 大陽里招待所にて――結婚生活とウンギョンさんの誕生
 4 四九号病院への入院――九四年三月
 5 非道な〝スパイ訓練〟――めぐみさんを追い込んだもの
第3章 めぐみさん「死亡」情報の謎
 1 日朝関係と拉致問題
 2 日朝首脳会談――決断の舞台裏
 3 「八人死亡」の衝撃――日朝交渉を揺るがした偽りの情報
 4 蓮池・地村夫妻が明かした「死亡」情報の矛盾
 5 北朝鮮が「死亡」情報を捏造したわけ
 6 小泉再訪朝と拉致被害者家族の再会
 7 めぐみさん「死亡」情報の虚偽
第4章 追跡! 「遺骨」疑惑 ――外交方針の転換
 1 めぐみさん「遺骨」受け取りの真相
 2 「偽遺骨」の衝撃――対北朝鮮外交の転回
 コラム もう一つのDNA鑑定
 3 「遺骨」鑑定をめぐる情報統制
 4 骨壺の「歯」はなぜ隠されたのか――取材が暴いたもう一つの疑惑
第5章 「極秘文書」の中の拉致被害者
 1 消えた市川修一さんと増元るみ子さん
 2 「李恩恵」となった田口八重子さんの消息
 コラム 田口八重子さんの「拉致ルート」
 3 遭遇した拉致被害者の影――原敕晁さん、田中実さん、松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さん
 4 拉致被害者はどのように管理されたのか――招待所の実態
 5 大陽里での日々――拉致被害者工作員のあいだで
第6章 北朝鮮が描く「解決」のシナリオ
 1 対日交渉の〝カード〟にされた拉致被害者
 2 北朝鮮の〝拉致「解決」モデル〟――〝美談〟とされた寺越事件
 3 〝一時帰国〟はなぜ実現したのか
 4  一時帰国から永住帰国へ
第7章 対南工作における日本――迂回ルートを確保せよ
 1 「必要な人材は連れてこい」――戦後すぐに拉致は始まっていた
 2 「私がお招きしました」――金正日の拉致指令
 3 「在日韓国人を送り込め」――迂回路にされた日本
 コラム 韓光煕氏と送金疑惑
 4 文世光事件――日本旅券を使ったテロ事件
 コラム 在日コリアンの拉致
 5 アラブ人に化けた工作員――ムハマド・カンス
 6 「背乗り」目的の拉致――宇出津事件
 7 チェ・スンチョルと西新井事件――背乗り工作の転換
 コラム 工作員が自首した「豊島事件」
 コラム 謎の工作員、李京雨
第8章 「日本人を工作員にせよ」――拉致の真の目的とは
 1 工作員の教育係にされた拉致被害者たち
 2 私たちは工作員にされるはずだった――語り出した帰国被害者
 3 工作員から教育係へ――なぜ方針が転換したのか
 4 金正日の〝現地化〟戦略と日本人拉致
 5 幼児までもが犠牲に――「渡辺秀子・二児拉致事件
 6 狙われた独身女性――世界に広がる北朝鮮による拉致
 7 四人の独身女性が消えた――レバノン拉致事件の全貌
第9章 工作員よど号」の挫折と日本人拉致
 1 「外国で仕事がしたい」――欧州で消息を絶った有本恵子さん
 2 「私が拉致しました」――八尾恵の告白
 3 金日成主義に帰依した夫婦スパイ――「よど号」グループ
 4 「よど号」結婚作戦――金日成が「あてがった」女性たち
 5 「拉致」された花嫁――モンゴルに憧れた福留貴美子さん
 6 〝同志獲得〟作戦の始動――被害者から加害者へ
 7 「よど号」グループの世界展開
 8 「欧州拉致」の真相――「よど号」はどう関与したか
 9 北朝鮮の〝駒〟だった「よど号
 10 「ここには、ようけ日本人がおる」――拉致被害者のその後
第10章 これが工作船
 1 工作船の実物を見る――海上保安資料館横浜館にて
 2 「九州南西海域工作船事件」の全貌
 3 頻発していた〝不審船〟事件
 4 工作船の起源――密航の海が生んだ秘密航路
 コラム 「人民艦隊」
 5 北朝鮮工作船――その構造と実態
 6 日本潜入マニュアルのすべて
 7 「私は工作船で海を渡った」――元工作員の告白
第11章 日本潜入工作の全貌――実録「日向事件」
 1 頻発する工作員の密出入国事件
 2 日本外事警察最大の敗北――「温海事件」の屈辱
 3 「日向事件」――大物工作員の日本潜入工作
 4 「日向事件」極秘資料の全貌
 5 「本当のことをお話します」――工作員の心を開いた取調官
 6 「日向事件」その後――冤罪と工作のあいだで
第12章 辛光洙――拉致実行犯の実像
 1 工作員になった「立山富蔵」
 2 原敕晁さん拉致の全貌
 3 辛光洙事件を検証する
 4 愛した人はスパイだった――辛光洙と暮らした在日女性
 5 「先生、普通の人じゃないね?」――垣間見た秘密工作 
 6 追跡! 辛光洙①――刑務所へ面会に
 7 追跡! 辛光洙②――ソウルでの直撃取材
 8 北朝鮮への凱旋――そして原敕晁さんは?
第13章 「ストックホルム合意」への道――水面下の軌跡 
 1 日朝交渉の黒幕――ミスターYとの一〇年
 2 合意への布石――水面下の動きと再調査交渉
 3 「遺骨」から「拉致」へ――からめ手の交渉戦術
 4 ついに実現した横田夫妻とウンギョンさんとの面会
 コラム 横田めぐみさんの娘、金恩慶さん
 5 「会いに行こうよ!」――交渉を動かした滋さんの決断
第14章 秘密協議にみる「合意」崩壊の真相
 1 「突き返せ」と安倍首相は言った――隠蔽された「生存」報告
 2 日本に渦巻く「合意」への否定論
 3 検証 日朝〝水面下の交渉〟――二〇一四年秋に何が
 4 「田中実・金田龍光は生きている」――驚きの新情報
 コラム 〝北京の大使館ルート〟
 5 葬られた「合意」と放置された生存情報
第15章 田中実さん・金田龍光さんを見捨てるな!
 1 明かされた非公然組織「洛東江
 コラム 一目置かれる「商工会」の存在
 2 田中実さん・金田龍光さん拉致の真相
 3 「二人を見捨てるな」――噴き出した政府批判
 4 「全拉致被害者の即時一括帰国」の陥穽
 5 「空港に迎えに行こう」――二人の帰国を待ち望む人々

おわりに
拉致被害者年表
北朝鮮拉致」年表