中村哲医師と不動明王

 先月の八重山の旅より。

 鳩間島に日帰りで訪れた。この島は、かつてはカツオ漁が盛んで700人が暮らしたそうだが、いま実際に住んでいる人はわずかに30人内外だという。周囲3.9キロの小さな島で、亜熱帯の樹林が広がるワイルドな自然と売店も何もない美しい海岸がいくつもある。

鳩間の海岸は自然のまま。茶店も自販機もない。

海岸の近くまで亜熱帯の樹海が迫る。

群れ飛ぶ蝶。これはウスコモンマダラという種類らしい。

島の簡易郵便局

伝統的な住宅。こういう民家が民宿をやっている。

 私は20年前(02年)に島の民宿に1泊したことがある。ちょうど豊年祭の最後の晩で、たしか場所は島の学校の体育館だったと思うが、学芸会のようなノリの大宴会があった。島に里帰りした人と私たち観光客が詰めかけ、三線マンドリン、笛、太鼓などの演奏が披露され、のど自慢が飛び入りで歌をうたう。役者ぞろいで大いに楽しんだ。最後は大カチャーシーで踊りまくって感動的なフィナーレだった。

 昼の自然の静寂と夜の弾けるような芸能の宴。同じ日本にこんな世界があるのかと驚嘆した旅だった。いつか機会があればゆっくり何泊かしてみたい。俗世からちょっと離れてみたい人にはお勧めの島です。

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 中村哲医師の言行を辿っていくと、胸のうちに激しい憤りを宿していたことが分かる。

 02年、911同時多発テロの翌月、米軍がアフガニスタンへの爆撃を開始した。中村医師は、大旱魃(かんばつ)への対策としての用水路の建設、さらに首都カブールへの緊急食糧支援にまい進していた。

 そのころ、可愛い盛りの10歳の次男が脳腫瘍で余命宣告を受けていた。

 「折悪しく、旱魃対策、アフガン空爆、食糧配給など自分の人生でも最も多忙な時期に当たった。現地と吾が子と、まるで爆薬を二つ抱えているようで、精神的な重圧になっていたのである。現地事業が多数の人命に関るとはいえ、人間はそれほど非情になれるものではない。死ぬまでの元気な時間をできるだけ一緒にいてやりたかった。だが、それも果たせず、かろうじて親としての分が尽くせたのは、死の際に近くなってからだった。(略)

 いくら病状をひた隠しにしているとはいえ、子供心に死期が近くなっているのを知っていたとしか思えない。『どうせ人間は一度は死ぬのさ』とぽつりと述べ、私をぎょっとさせた。そして、およそ子供らしくない気遣いが、却って不憫に思われた。」

 年末の12月27日深夜、次男は亡くなる。

 「親に似ず優しい聡明な子であった。家中に泣き声があふれたが、アフガニスタン現地の今後も考え、情を殺して冷静に対処せねばならなかった。

 翌朝、庭を眺めると、冬枯れの木立の中に一本、小春日の陽光を浴び、輝くような青葉の肉桂の樹が屹立している。死んだ子と同じ樹齢で、生れた頃、野鳥が運んで自生したものらしい。常々、『お前と同じ歳だ』と言ってきたのを思い出し、初めて涙があふれてきた。そのとき、ふと心によぎったのは、旱魃の中で若い母親が病気のわが子を抱きしめ、時には何日も歩いて診療所にたどりつく姿であった。たいていは助からなかった。外来で待つ間に母親の胸の中で体が冷えて死んでゆく場面は、珍しくなかったのである。

 『バカたれが。親より先に逝く不幸者があるか。見とれ、おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ』―凛と立つ幼木を眺めながら、そう思った。

 幼い子を失うのはつらいものである。しばらく空白感で呆然と日々を過ごした。今でも夢枕に出てくる。空爆と飢餓で犠牲になった子の親たちの気持ちが、いっそう分かるようになった。人はしばしば自分でも説明しがたいものに衝き動かされる。公私ないまぜにこみ上げてくる悲憤に支配され、理不尽に肉親を殺された者が復讐に走るが如く、不条理に一矢報いることを改めて誓った。その後展開する新たな闘争は、このとき始まったのである。」(『医者、用水路を拓く』P74-78)

 ここには激しい怒り、憤りがある。

 一般には「怒り」はよくないものとされ、アンガーコントロール講座などというのも流行っているようだ。私が学んでいる大乗仏教の教えでも、「貪瞋痴(とんじんち)」=むさぼり、いかり、おろかさ=が煩悩の根本の「三毒」とされて、怒りは苦しみをもたらす最大原因の一つである。

 では、どんなことがあってもニコニコしていろというのか。

 私が教わったところでは、ここでいう「瞋」(いかり)は、自分の都合からくる自己中心的な攻撃性だそうだ。これは深層心理にまではびこった根深いもので、カッとなる、むかつく感情が、思わず知らずに、制御しようもなくこみあげてくる。自分を顧みても、大したことのない、どうでもいいことで怒ったり、場合によっては単なる思い込みで怒っていたりする。これは私憤だろう。

 一方、不動明王など激しい怒りの表情をした仏さまがいるが、あれは仏教でも認められる義憤であり、怒るのは衆生のため、つまりベースに「慈悲」がある。私憤は自分だけのための怒り、義憤は衆生のため、世の中を良くするための怒りということになる。

 中村哲医師は義憤の人。02年の衆議院での参考人発言で「自衛隊派遣は有害無益でございます」と言い切った時の表情は、どこか不動明王に通じるように思われる。

02年参考人招致のとき


 義憤は行動へのエネルギー。私たちはもっと理不尽に対して怒ることが必要だ。

 ところで、先の中村哲医師のことばに「理不尽に肉親を殺された者が復讐に走るが如く、不条理に一矢報いることを改めて誓った」とあるが、なぜ「改めて」なのか。

 それは彼の行動が初めから不条理への復讐につらぬかれていたからだ。
(つづく)

難民申請者を送還する入管法改正案

 きのう5日は、茨城県龍ヶ崎市で『医師中村哲 仕事・働くということ』の自主上映会があり、アフタートークに呼ばれた。

『医師中村哲の仕事・働くということ』

 50人の会場から質問がいくつも寄せられ、ある大学生からは将来の進路を考えるヒントをと求められる。通常20分のアフタートークが延々1時間半におよび、最後は人生相談みたいに。一人も退席することなく熱心に聴いていただいたことに感謝。

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 友人のジャーナリスト、樫田秀樹さん入管法改正法案をきびしく批判している。同意。

樫田さんのツイート

 入管法改正法案 への反対の声が強まっている。反対理由で最も多いのは、難民申請中の当事者を迫害が待つ出身国に送還することだ。私はその実例を知っている。

 2019年1月から川口市に住むクルド人Hさんを何度も取材。そのHさんが突然収容された。東京入管に家族が面接に来た時、2歳の息子は、父の抱っこを求め、面会室のアクリル板を窓と思い込み、あるはずの取っ手を何度も探したが「窓」は開かなかった。 その仕草が辛く、このまま父親不在で妻と2人の子どもだけで生きていけるのかと思ったら、泣く泣く入管の勧めに応じ自費帰国した。

 その後、Hさんの知人で日本人Nさんがトルコを訪ねHさんに会ったが、Hさんは都会に紛れトルコ側治安組織に見つからぬよう生きていた。日本生まれの小学生の長男はトルコ語を話せず不登校。そしてNさんの帰国後、Hさんは2020年、遂に居場所を突き止められ、トルコ警察の対テロ対策課に逮捕された。Nさん情報によれば、罪状は「PKK(クルディスタン労働者党)等テロ組織のプロパガンダ」。

 Hさんは2014年11月に東京でシリアのクルド人地域へのISの攻撃を非難する演説を行った。その演説の記事と映像がネットに残っていた。テロ対策課はそれを証拠にした。IS攻撃の非難がテロ組織のプロパガンダとされるのは、ISと戦っていたのはクルド人の防衛隊で、それがPKKの関係組織だったから。Hさんは裁判にかけられ刑務所での収監は間違いない。子どもたちのため、敢えて入管の退去強制令を受け入れトルコに帰国したが、入管の長期収容以上の拘束を強いられることになる。

 こういう結果をもたらすのが入管の仕事なのか。家族に胸を張って誇れる仕事なのか。現行法の下でもこういうことが起きる。さらに、入管法改正法案では3回目の難民認定申請で特別な事情がない限り、本国送還か、それを拒めば刑事罰(裁判を経ての刑務所収監)が待つ。もちろん難民性がない人はご帰国いただいてもけっこうだが、Hさんのように本国の弾圧から逃れようと、トルコ国籍であれば観光ビザ取得が不要の日本行きは安全な逃避のはずだった。トルコ国籍クルド人は世界各地で難民認定されているが、日本では現時点で認められたのはわずかに一人しかいない…
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 1987年5月3日の赤報隊」による朝日新聞阪神支局襲撃事件についての記事から。最近の報道に関して指摘する二人のジャーナリストの意見が興味深かった。

国谷裕子さん(元「クロ現」キャスター)

クローズアップ現代のキャスターになったのはバブル崩壊後の1993年。辞めるまでの23年間で何が一番変わったかというと、経済的価値が優先され、人間がコストとして見られるようになったということです。」

「目の前のことに精いっぱいで、自己責任だからと声を上げられない人が増えている。一方で声を上げる人、助けてと言う人にイライラしてしまう。本当はそのいら立ちは社会に向けられるべきなのに、隣の人に向かってしまう。

 もう一つの変化は効率性の広がりです。コスパにタイパ。物事は複雑なのに、時間がないから深く考えることをやめてしまい、多数派にくみしてしまう。」

「最近の報道には、政策的に重要な課題は国の方針が決まった後で取り上げる傾向を感じます。社会的リスクを可視化して、よりよい方向に対話を促すのが報道の役割のはずなのに、受け身の姿勢になっているように見えます。」

「客観報道の要請が強まっているといっても、どの視点から見た客観なのかが問題です。世界から見た客観なのか。日本国内で作られた狭い方向性のなかだけでの客観なのか。安易に『客観』に逃げ込んではいけません。」

大谷昭宏さん(ジャーナリスト)
「2002年に時効となり、20年が経ちました。この間、メディアは確実に弱体化しています。集会などで『事件は時効を迎えても、言論の危機に時効はない』と訴えてきましたが、言論の自由はどんどん奪われているように感じます。犯人の思うつぼです。

 例えば『世界平和統一家庭連合(旧統一教会)』や宗教2世の問題をもっと前から報道していれば、どうなっていたでしょうか。統一地方選のたび、無投票当選が多く『民主主義の危機だ』と訴えますが、高額な供託金制度などの是非を議論してきたでしょうか。

 自由な報道がなく、誰も不条理を暴いてくれない。憤りや不満をどこにも吸収してもらえない人たちが、直接行動に出ている気がしてなりません。

 もちろん暴力はいけない。でも私たちがきちんと問題を報じていれば、首相や元首相が襲われるような事件は起きなかったかもしれない。テロは我々メディアと遠く離れたところで勝手に起きているんですよと、言い切れますか。」(朝日新聞4月30日朝刊より)

 いずれも的確な指摘で、考えさせられる。

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西国分寺駅近くの喫茶店クルミドコーヒー」。胡桃と胡桃割りが置いてある。窓からの緑にほっとする。

エンドウマメが鈴なりだ。30度を超えたところもあったという。まだ5月あたまなのに。

 

普天間基地ゲートでゴスペルを歌う

 憲法記念日ということで、いろいろ思うことがある。

 一昨日の5月1日(月)、沖縄で「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」の活動を取材した。

 普天間基地は、世界でもっとも危険な軍事基地とも言われていて、この基地の移転問題から辺野古移設へとつながっていった。

 基地を見晴らすことができる嘉数(かかず)高台で撮影。戦闘機が上空を通過するときの爆音がすさまじかった。沖縄在住の友人に聞くと、深夜2時、3時に爆音で目を覚ますことがよくあるという。基地の近くにいる人たちはたまらないだろうな。

 日米の騒音防止協定では、夜10時から朝6時までは飛行を制限することになっているが、米軍は守っていない。

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 「ゴスペルを歌う会」は、県民の反対を無視して普天間基地オスプレイが配備された11年前から、雨の日も風の日も、毎週月曜夕方に行われてきた。会をはじめた神谷武宏牧師に聞くと―

普天間基地第3ゲート前のフェンスに旗を結びつけ、準備をする神谷武宏牧師。伴奏用のキーボード楽器やスピーカーも運び込まれた。(5月1日、筆者撮影)

 「米軍は私たち沖縄人をヒトではなくサルと思ってふるまっているようだ。ゴスペルを歌うのは、神の前にみな同じ人間だよと訴えるため。米軍の中にキリスト者は多いから、そこで通じ合えるのではないかと思う。コブシを振り上げて抗議するより、私たちキリスト者の得意な、力によらない抗議の方法がいいのではないかと始めた。今は、東京や岡山はじめ全国に広まってきている。」
 ちなみに東京では首相官邸の前で毎月、ゴスペルを歌う活動があるという。

 1日はおよそ20人が集まり、祈りを捧げゴスペルや“We Shall Overcome”などを歌い、1時間の抗議を行った。

NO OSPREY! NO RAPE! NO BASE! 

ゴスペルを歌う会は毎週月曜夕方6時から。

嘉数高台から普天間基地を見る。オスプレイが並ぶ。(5月1日、筆者撮影)


 いま岸田政権が、米国の要請によって軍備の大拡張と敵基地攻撃能力の保有を進めるなか、石垣島など八重山諸島宮古島へのミサイル配備をめぐって沖縄は揺れている。参加者からは、本土と大きな温度差を感じるとの声が聞かれた。

 日本国民の圧倒的多数、8割は日米安保は必要との立場。ならば、米軍基地を本土も引き受けるのが当然だ。本土の人は沖縄に米軍基地があるのを当たり前に思っているが、負担を沖縄にだけ押し付けている加害者性をはっきり自覚すべきだろう。

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 現憲法では戦力を保持できない。自衛隊を合憲(自衛隊は「戦力」ではないとして)と認めたとしても、専守防衛しか許されないのは当然だ。敵基地攻撃能力をもつことになれば「戦力」としか解釈できなくなり、明らかに違憲状態となる。

 憲法に違反する行為で、沖縄を再び戦争の捨て駒にするのか・・・現地の怒りに返す言葉がない。

 そして入管法改正だ。先月28日、衆議院法務委員会で可決された。

 与野党4党が協議して修正したとして、いかにも改正案の「欠点」が正されたかのように見せているが、単なるポーズで、基本的な問題点はまったく変わっていない。こんな協議に応じる野党も野党だ。国民民主党は当初は反対の立場だったはずが、賛成に回った。

ウィシュマさんの妹も抗議(TBSより)


 連休明けに衆院で採択する予定だという。米軍が沖縄人を、日本は外国人をサル扱いするというわけか。根本的で大幅な修正(とくに難民審査を独立機関が行うことと収容など身体の拘束に司法の関与を義務付けることなど)がないかぎり廃案しかない。

 どんどん憲法が内実を失っていく。

 

長井健司さんのビデオカメラが戻ってきた

 2007年にミャンマーで取材中に亡くなったジャーナリストの長井健司さんのビデオカメラが、26日、16年ぶりに遺族のもとに戻った。

 長井さんは当時の軍事政権に反対する抗議デモの取材中に銃撃され、警視庁は遺体の司法解剖から「1メートル以内の至近距離から撃たれた」とした。長井さんが倒れる瞬間を撮った映像からも、兵士がすぐそばから狙い撃ちしたように見えた。だが、当時の軍政は陳謝しながらも「数十メートル先で発射された流れ弾による事故」と説明した。

 長井さんが亡くなる時手に持っていたビデオカメラが所在不明となり、ミャンマー政府はカメラは発見できていないとしてきた。

 今回、ミャンマーの独立系メディア「ビルマ民主の声」がビデオカメラを入手し、長井さんの妹の小川典子さんにタイのバンコクで手渡した。「ビルマ民主の声」がどのようにしてカメラを入手したかは明らかになっていない。

遺されていたビデオテープには5分ほどの映像があり、長井さんの自撮りリポートも映っていた(テレビ朝日ニュースより)

民衆のデモに治安部隊がやってくる様子も(テレビ朝日ニュースより)

バンコクで妹の典子さんは「ビルマ民主の声」編集長からビデオカメラを受けとった

手渡されたビデオカメラ(テレビ朝日ニュース)

会見する小川典子さん(テレビ朝日ニュース)

 07年の事件後、私は「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の呼びかけ人として、長井さんのカメラの返却と真相解明を求めて署名を集め、ミャンマー大使館に抗議文を渡しにいったり、妹の小川典子さんと一緒に外務省に要請に行ったりという活動をしていたので、カメラが戻ったことは感慨深い。

takase.hatenablog.jp

 

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 小川さんは「兄が最後に手にしていたものがやっと戻ってきたという安ど感と喜びがありますが、当時殺害された状況が思い出されて、胸が行き詰まる思いもあります」と複雑な心境を明かし、今後も長井さんの死の真相をミャンマー政府に求めていくという。また、ミャンマーで起きていることを忘れないでほしいとも語った。

 ミャンマーでは2年前にクーデターで実権を握った軍に対して民主派勢力や少数民族武装勢力が抵抗を続けている。地方では激しい戦闘が行われているが、国軍は戦闘機やヘリコプターで空から無差別に攻撃を行い、家々を焼き払うなど住民への弾圧を強めている。

 今月11日には北西部のザガイン管区の村を空爆し、5歳以下の子ども6人を含む168人が死亡した。これは

 また18日には民主派勢力のメンバーが潜伏しているとして中部マグウェ管区の村を攻撃し、日本政府の支援で建設された保健施設が被害を受けた。

 ミャンマーの人権団体は、軍の攻撃や弾圧により、クーデター以降26日までに3440人が死亡したとしいる。

 長井さんのカメラが戻ったこの機に、ミャンマーで人々が人道にもとる残虐な攻撃を受け続けていることにあらためて思いをいたし、日本政府にはこの圧政に対する断固たる行動を起こすよう要求する。


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 節季は穀雨(こくう)。種まきに大事な春の雨が降る時節ということだそうだ。
初候「葭始生(あし、はじめてしょうず)」が4月20日から。25日からが次候「霜止出苗(しもやみて、なえいずる)。30日から末候「牡丹華(ぼたん、はなさく)」。田植えの準備が始まって春も本番。西表島では先々週すでに田植えが済んだ田んぼを見た。

西表島祖納(そない)の田んぼの夕暮れ(4月14日)

 

 その田んぼの近くの山で、これまででもっともたくさんの蛍をみた。

 森の木々が無数の点滅する光で満ち、まるでクリスマスツリーのように見える。ヤエヤマヒメボタルという種類の蛍で、本土のヘイケボタルより点滅の間隔がはるかに短い。頭上も木の枝が張り出しているから、群舞する蛍にぐるりとかこまれ、夢のような時間を過ごした。

 宿に帰ると、玄関の植え込みの地面が点滅している。ライトをつけて正体を確かめると、脚の短いゲジゲジのような虫がいた。ヤエヤママドボタルの幼虫らしい。数十匹の幼虫が葉っぱの陰からかぼそい光を出していた。

 こんなに早くホタル狩りができるとは。いい夜だった。

マドボタルの幼虫(4月14日)



統一協会と「赤報隊事件」2

 安倍晋三元首相の死去に伴う衆院補選で、ジャーナリストの有田芳生さんが、「安倍後継」を標榜する吉田真次氏に挑んだ山口4区(山口県下関市長門市

 結果は吉田5万1961票、有田2万5595票と敗れたが、吉田氏の得票を前回の安倍元首相の8万票余りから激減させた。安倍昭恵氏が全面的に支援した故安倍首相の「弔い合戦」だったことを考えれば、有田さんの得票率は31.27%で、大健闘したと言える。

 有田さんは、「敗れることではなく、敗れることを恐れて戦わないことが恥。岩盤にキリで穴を開けていく戦い」と言って立候補した。

AERAより)

 「もともと勝てるはずのない挑戦なので、面白い選挙をやろうよということで12日間やった。選挙スタッフも、『こんな面白い選挙はなかった』と楽しみながら戦ってくれました。これまで6回選挙をやっているが、一番面白い選挙でした。街頭では圧勝でしたよ。相手陣営はほとんど街頭をやらなかったから。こっちはすごい激励、歓声。ホント、最高の選挙でした。やっぱり野党は闘わないといけない。候補者を出せないとかそういうことではなくて」(有田さん)

 選択肢を示すことが大事だ。

 特に統一協会の「聖地」から立候補したことに敬意を表し、感謝します。

 統一地方選は維新の躍進が目立った。自民も議席を減らしたが、共産が大幅に後退し、右傾化が進んだ印象。安倍、菅、岸田と続く自民党政権の悪政を肯定するかのような結果で残念だ。

 もっと残念なのは、衆院補選でも地方選でも投票率が低かったことだ。

 当落は投票しない者が決め (神奈川県 小川仙太郎)26日朝日川柳より

 かつて、森喜朗氏が「(選挙に)関心がないと言って寝ててくれば、それでいい」と言い、麻生太郎氏は「若者が政治に無関心なのは悪いことではない」と言った。こういうことを言わせておいてはいけない。
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 先日のブログで樋田毅『記者襲撃』から、朝日新聞記者を殺害した「赤報隊」を追う中で、統一協会に関する疑惑を引用したら、読者の関心がとても高かった。それで、もう少し関連個所を引用させてもらおう。なお、本書では樋田さんは統一協会を「α教会」、国際勝共連合を「α連合」、統一日報を「α日報」と記している。

 アイヌ問題に関連して北海道の白老町長襲撃事件を起こした右翼活動家、矢部氏(仮名)は、「赤報隊」の事件について樋田さんにこう語ったという。

 「何年にもわたって犯行続け、捜査も完全に行き詰っている。こうした事件は、やわな右翼では起こせない。α教会ではないのか。当時、朝日新聞と『朝日ジャーナル』がα教会の霊感商法を厳しく追及していて、犯行動機は十分にある。」と。

 「赤報隊」を名のった事件は1回ではなく、1987年90年にかけて何度も起きている。
1987年
 1月24日 朝日新聞東京本社銃撃事件
 5月3日 朝日新聞阪神支局襲撃事件
 9月24日 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
1988年
 3月11日 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
 3月11日消印  中曽根康弘竹下登両元首相脅迫事件
 8月10日 江副浩正リクルート会長宅銃撃事件
1990年
 5月17日 愛知韓国人会館放火事件赤報隊

 矢部氏は、これだけの回数の事件を同じグループがやったとすれば、とても「右翼」とは考えられないと言っている。以下、引用。

《私が「(略)α教会だとしたら、韓国系の宗教団体であり、中曽根、竹下両首相に靖国神社参拝を求める脅迫状を出すだろうか」と逆に質問すると、矢部氏は「本心のキーワードを隠し、右翼を装っているのだ。テロ事件を繰り返すには強固な秘密組織が必要だ。右翼には秘密組織など作れない。それが可能なのは、左翼を除けば、α教会しか考えられない。」》

 朝日新聞への脅迫状も国粋主義的な内容なので、樋田さんの疑問は私も抱いた。
 これについて矢部氏は、本心を隠して右翼を装い、強固な秘密組織を持つことができる犯行グループは、謀略に長けた統一協会である可能性を示唆している。(P65)

 統一協会朝日新聞への強い憎しみを行動に移すことを示すエピソードもある。
《『朝日ジャーナル』誌上で霊感商法批判の記事を書いていたC記者の千葉県の自宅は、信者とみられる複数の男たちによって四六時中監視されていた。娘さんが幼稚園に通う際、これらの男たちが背後からつきまとうため、一人では家を出られなくなり、家族や知人らが付き添って通園していた時期もあった。》(P140)

 「統一日報」の元記者だった人物によれば、統一協会には「対策員会」という裏工作組織があった。統一協会の組織の各部門から実務責任者が集まり、教団に敵対する動きなどへの対処を協議する機関だったという。その証言―

《「対策員会の中で、陰の仕事をしていたのが清元氏(仮名)で、清元氏の下にいた川田政司氏(仮名)が裏工作、つまりは謀略を任務にしていた。このため、川田氏が率いる組織は「川田機関」とも呼ばれていた。謀略を緻密に計画し、大胆に実行できるのは、やはりα連合にいた佐合哲二氏(仮名)だと思う。佐合氏は元新左翼革マル派の活動家で、頭脳明晰で知略に長けていた。佐合氏の下には、後に広報部長となった小山章氏(仮名)もいた。小山氏は早稲田の民青(共産党系の学生組織、日本民主青年同盟)の出身だった。」

 津田氏によると、川田機関は東北地方の「α運動被害者の父母の会」を潰すために、被害者を装った人物を潜り込ませ、会員にならせた。そのうえで、この会員の働きかけで幹部の男性を金で篭絡して内紛を起こさせ、やがて会を分裂させたのだという。》(P177)

 この謀略体質は恐ろしい。さらに、非公然部隊を自衛隊体験入隊させたこともあったという。(P181)

《「犯人右翼説」は捜査関係者の間でも根強い。しかし、「いったい誰が、これほど大胆で継続的な事件を起こすことができるのか?」という疑問についての答えは、容易には見つからない。東京で活動する新右翼団体「一水会」の幹部は「われわれは、警視庁のマークが厳しくて事件を起こせるわけがない」と話す。関西の新右翼活動家も「一件だけならともかく、連続して八件の事件を、警察の監視の目をくぐり抜けながら起こすことなど、われわれには絶対に不可能だ。残念なことだが」と話していた。》(P193)

 右翼団体、右翼活動家は警察の監視下に置かれていて、赤報隊のような事件はとても起こせないと断言する。

 これに対して、統一協会が、日本の政治権力からの「庇護」を受け、警察も容易に手出しできない存在だったことを私は想起してしまう。

 真相は必ずはっきりさせなければならない。

学術会議法:首相よ歌え 母校の校歌

 きょうは投票日。少しでもマシな候補をしっかり選びたい。

 それにしても地方選挙とはいえ、気候変動・カーボンニュートラルを重要公約に挙げる候補がほとんどいないのはどうしたことか。このあたりも日本の「後進国」ぶりがうかがえる。

 アフガニスタン取材の放送につき、おしらせです。

 4月18日(火)のテレビ朝日報道ステーションで私たちのアフガニスタン取材のうち少女たちの「地下学校」が特集で放送されました。事後報告になってしまったことをお詫びします。

 また、きょう23日(日)午後8時から、アフガニスタン取材報告が、岐阜県恵那市のケーブルテレビ「アミックスコムえなっコチャンネル」とYouTubeで同時に放映、公開されます。

youtu.be

 これは私たちのアフガニスタン取材映像の一部と、ZOOMでの私のインタビューで構成された50分番組です。番組制作スタッフとはZOOMでのリモートの打合せだけでした。遠隔で番組ができる時代なのですね。

 私たちのアフガニスタン取材は、これで地上波テレビ(テレビ朝日)、衛星放送(BS11)、ケーブルテレビで放送されることになります。また、雑誌(望星)、ネットマガジン(デイリー新潮)、各種の講演会、対談などでも発信しています。さまざまなメディアに映像を提供し、ご協力しているので、ご関心あればご連絡ください。
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 八重山の旅 与那国島

 八重山の海はとびっきり美しいのだが、いま漂着物とくにプラスチックごみが大きな問題になっている。

与那国島の海岸。一見美しいビーチなのだが・・(以下筆者撮影)

この海岸を歩くと、大量の漂着ごみがあった

西表島の漂着ごみの増加を報じる地元紙。中国からの漂着物(ブイなど)が急増しており、ボランティアでは対応できないと警鐘を鳴らす。

 

与那国島の別の海岸にあった漂着ごみ専用のごみすてボックス。これは市民による自発的な活動で、行政によるものではない。

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 政府が学術会議法の改正を強行しようとしている。

 「国民から理解され続けるためには、透明性の確保が最低限必要」(笹川武・内閣府総合性悪促進室長)として、政府は、日本学術会議の会員の選考プロセスに外部の有識者による「選考諮問委員会」を新たに設けることや、会員以外からも候補者を推薦できるようにすることなどを改正案にもりこんだ。

会員の選考に外部から「介入」しようとする改正案(朝日新聞18日朝刊より)

 日本学術会議とは、日本の科学者を代表する機関として、戦後の1949年にできた。総理大臣の「所轄」で国からお金が出ているが、科学が戦争に動員された反省から、政府から独立した機関として位置づけられている。

 当時は、政府もそのことを自覚していた。49年1月20日の第1回総会で、吉田茂首相の代理として挨拶した殖田俊吉は、「その使命の達成のためには、そのときどきの政治的、行政的便宜というようなことの掣肘を受けることのないように、高度の自主性が与えられており、ここに本会議の重要な特色がある」と述べている。

 以下は日本学術会議法より。

第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。

第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

朝日新聞18日朝刊より

 会員は210人で、3分野各70人づつから成り、今の会長は、ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章東京大学教授。これまで、原子力の研究開発をめぐって「民主・自主・公開」の三原則を決議し、これが国の原子力基本法に取り入れられるなど、政策に大きな影響力を与える勧告を出してきた。

 科学と政治に緊張関係がなければ、真に有効な提言はできない。だから学術会議が「独立性」をもっていることが重要だ。学術会議が政府の方針を批判する声明を出すこともある。

 今回の法改正は、要は政府・自民党の意のままに操れる組織にしたいということで、菅義偉前首相が政府に批判的とみられた会員候補6人の任命を拒否したことを発端にしている。
 本来、任命拒否の説明をすべきところ、これを無視して、学術会議の組織改革へと問題をあらぬ方向にずらした。自民党内にPT「プロジェクトチーム」が作られ、そこでの「提言」が改正案のもとになっている。

 学術会議側は法改正は独立性を損ないかねないと強く反発し、18日、政府に以下の勧告を全会一致で決めた。
「政府は、現在、立案中の日本学術会議法改正案の第 211 回国会(通常国会)への提出をいったん思いとどまり、日本学術会議のあり方を含め、さらに日本の学術体制全般にわたる包括的・抜本的な見直しを行うための開かれた協議の場を設けるべきである。」

https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s187-k.pdf


  一方、自民党PT幹部は「政府が法案を断念するなら、学術会議の予算を削るしかない」と恫喝発言をしており、政府・自民党と学術会議との対立は激しくなるばかりだ。

 政府のやり方は、メディアを意のままにしようと画策してきたのと同様、理不尽きわまりないものだ。近年の政府は「右翼的」というより「専制的」で、これでよく、わが国はロシアや中国など専制陣営に対抗する民主陣営の一画などと言えるものだ。 

 今年2月、白川英樹氏や野依良治氏らノーベル賞受賞者ら8人が連名で政府の見直し方針に「熟慮を求める」声明を岸田文雄首相に送付した。この声明に各国の自然科学系ノーベル賞受賞者61人が賛同し、法改正を憂慮する共同声明を出した。すでに国内だけの問題ではなくなっている。

 この法改正を強行すれば、日本は科学・学術の独立性を守れない国と世界にアピールすることになる。いま日本の科学研究力の衰退が深刻になっているなか、これがさらに加速させるのではないかと心配になる。

 岸田首相は早稲田大学のOBだが、校歌の「進取の精神 学の独立」を少しでもわきまえた振る舞いをしてほしい。まずは発端となった6人の任命拒否の理由を説明し、合理的な理由がなければ撤回することから始めるべきだ。

 なお、学術会議の会員の選び方には改善の余地があるかもしれないと思う。かつては国内の研究者による直接選挙で選ばれていたが、04年以降は現会員が次の会員を推薦する形になっている。これがベストかどうかだが、組織の改善については学術会議自らが検討を重ねており、その自主的な努力に待つべきだろう。

 最後に朝日川柳(22日)より

「丁寧」と言うならまずは拒否理由 (東京都 三井正夫)

首相よ歌え 母校の校歌 (東京都 久保あきら)

若者よ選挙に行こう

 長いことブログをご無沙汰しました。沖縄の八重山諸島をめぐる旅をしていて、20日に帰宅しました。おかげさまで、事故も病気もなくすばらしい旅を終えることができました。旅を少しづつ報告していきます。

 八重山の旅:与那国島

与那国島は日本最西端の島で、台湾までは111キロしかない。晴れた日には台湾が見えることがある。沖縄本島までは530キロもある。島のいたるところに馬が放し飼いにされている。

隆起サンゴ礁の島だそうだ。断崖絶壁の絶景を見ることができる。テッポウユリが島中に白い花を咲かせていた。

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 統一地方選、あすは後半の投票日。

 前半の結果は、維新の躍進ぶりに驚いた。野党第一党の座を立憲から奪う趨勢だ。

 維新は、守旧派を批判しているようにみえて、実はより右翼的な方向をめざす危険な政党だと思うのだが、閉塞感を打ち破ってくれるイメージが支持されているのだろう。

 きょうJRの駅二つで乗り降りしたが、いずれも駅前には維新の候補が、緑の旗を立て、緑のベストの運動員を従えて演説していた。強いフレーズを使って力強く、孤高の改革者ぶりを訴えている。勢いを感じる。このままだと、後半も維新の躍進という結果になるのではないか。立憲、共産は戦略、戦術ともに練り直しが必要だろう。

 しかし、ここまで選挙が盛りあがらないことが、そもそも問題だ。とくに若者が、政治にそして選挙に関心を持つようにすることが必要だ。

 こないだフィンランドの選挙についてNHKニュースで特集していた。フィンランドではサンナ・マリン首相が今月の総選挙で与党が敗北したのを受けて辞任したばかり。

 投票率は72%。日本と同様18歳から選挙権がある。それだけでなく被選挙権も18歳からあるので、立候補者の中に若い人も多く、18~29歳の立候補者が全体の1割を占める。 

フィンランドでは生徒による模擬投票が行われる。(NHKニュースより)

 フィンランドでは、学校で政治について考える授業があり、13~17歳が実際の選挙の立候補者に投票する「模擬投票」が大々的に行われている。つまり、本番の投票と並行しての投票行動。投票用紙や投票方法も本番と同じ形式で、模擬投票の結果はテレビや新聞でも報じられる。前回の選挙では全国900の学校から9万人余の生徒が参加したという。生徒たちは政党のウェブサイトやSNSで情報を集めて自分が良いと思った政党を選ぶのだが、この過程で政治への関心を高めていく。

こんな発言を日本の若者からも聞きたいものだ。

 さらに自治体ごとに、その地域の若者で構成する「青年会議」があり、首都ヘルシンキの場合、選挙で選ばれた13歳~17歳の30人がメンバーとなって、自治体側に定期的に意見を伝えている。議論するのは、いじめやメンタルヘルスに関する問題が多いという。

青年会議(NHKニュースより)

ある青年会議のメンバー。ムスリムだろう。

 また、事実上の軍部独裁がつづくタイで、来月の総選挙が注目されている

 事前の調査では、軍部系の政党よりも反軍の野党(かつてクーデターで追放されたタークシン氏の次女が率いるタイ貢献党)に人気が集まっているという。ただ、何度も民主化運動を弾圧されてきたタイでは、選挙に無力感を抱く若者も多い。そもそも今の軍政下で上院の250人の議員は任命で決まり、選挙で決まるのは下院の500人。上院はほぼ軍部支持派で占められるから野党が政権交代をするには500のうち376議席を得る必要がある。

 それでも若者をなんとか投票に向かわせようとキャンペーンするグループがある。彼らが、街頭で今回の選挙で不正が行われるかどうかと若者たちに聞いたところ、ほぼ100%が「不正が行われる」と回答。政治不信は根強い。そこで彼らが行ったのが、やはり「模擬投票」。

NHKニュースより

若者に話しかけるタナパットさん(NHKニュースより)

模擬投票(NHKニュースより)

 厳しい現実を前に、諦めずに活動するタナパットさんたち。黙せず闘う。これだよな。いつも青年は未来だ。

タナパットさん(NHKニュースより)