外国人ホームレスを生む「仮放免」制度

 3月5日は路上生活者の生活を立て直すための雑誌『ビッグイシュー』を応援する音楽イベント「りんりんふぇす」に行ってきた。「りんりん」とは「隣(とな)る人と輪になって」の隣と輪を重ねたもの。

「りんりんふぇす」のフィナーレ(東京・青山の梅窓院の祖師堂にて)

 多彩なステージを楽しんだが、座談会では今の日本の社会的弱者が抱える問題とそれを何とか克服しようと奮闘する人々について学ぶことができた。
(『ビッグイシュー』は内容も充実しているhttps://takase.hatenablog.jp/entry/20200821

座談会で語るティック・タム・チー師

タム・チー師(NHKニュースより)

 ベトナム人尼僧のティック・タム・チー(釈心智)師は、お寺(大恩寺)を在日ベトナム人の駆け込み寺にしていて、さまざまなトラブルを抱えた同胞に支援を行っている。生活困窮者を支援する「つくろい東京ファンド」の稲葉剛さん、僧侶による社会的弱者の支援を行う「ひとさじの会」の吉水岳彦さん「ふぇす」発起人でシンガーソングライターの寺尾沙穂さんらとの座談会で、在留外国人の境遇がとても厳しいことを指摘していた。技能実習生をめぐる諸問題はメディアでも取り上げられるようになってきたが、この欺瞞的な制度自体を廃止して、正規に労働力を受け入れる制度に変えるべきだというのがこの問題にかかわるNGOなどの現場の声になっている。

 スーパーにならぶ総菜や弁当を容器に詰める作業はもちろん、農場での野菜の収穫から病院や高齢者施設の介護まで、いまや外国人の労働なしでは日常の暮らしが回らなくなっている。

 座談会では、今治(いまばり)のタオル製造が多くのベトナム人に担われている実態が紹介された。2019年にはNHKの番組でベトナム人技能実習生が劣悪な労働環境にあることを報じ、「今治タオル工業組合」が責任を重く受け止めるとの声明を出す事態になった。今治のタオルと言えば、中国産に席巻されて風前の灯となった日本の繊維製品のなかで、今も健闘する国産品として賞賛されてきたが、メイドインジャパンであっても、メイドバイジャパニーズとはかぎらない。これが現実なのだ。だったら、労働者として入国し、日本人と同じ扱いで働くような仕組みにすべきだろう。

 

 先週4日のTBS『報道特集』が特集「イタリア人男性の死」で在日外国人が日本でどう扱われているのかを報じていた。

 去年、東京入国管理局施設に収容中、自殺した男性がいる。イタリア人のルカさん(56)。福生市多摩川にかかる橋の下で2年以上ホームレス生活をしていた。

ルカさんは動画でホームレス生活を自撮りしていた(報道特集より)

橋の下に暮していたルカさん(報道特集より)

 ルカさんはイタリアのペルージャ出身で、グラフィックデザイナーやカメラマンをしていた。何度か写真の賞をとったこともある。アジアで暮らしたいと2005年に来日。日本人女性と結婚もして福生市のアパートに住んでいた。

 18年、精神の不調を訴え、心療内科を受診、「妄想性パーソナリティ障害の疑い」と診断される。「コミュニケーションの問題とか色々な矛盾が積み重なり、生活が日本で成り立たない状態だったのでは」と医師。日本人の妻もいなくなったが、ルカさんはイタリアに身寄りもなく帰れなかったという。

 20年に滞在許可を失い、入管施設に収容された。入管は、コロナ禍以降、施設での密を防ぐため、仮放免を積極的に運用。ルカさんも収容を解かれたが、仮放免中は仕事ができず、健康保険も生活保護も使えない。ルカさんはホームレスになり、多摩川の橋の下に寝泊まりしていた。橋で工事が始まり、ルカさんの存在が入管に通報されたらしく、去年10月25日、ルカさんは連行され入管施設に再び収容された。面接に行った人道支援団体の牧師に「私はここで死ぬ」と言ったルカさんは11月18日朝に施設内で自殺しているのが発見された。

コロナ禍で仮放免が増えている(報道特集より)

 収容される前のルカさんを取材し、また支援しようとしたのがイタリア人ジャーナリストのピオ・デミリア(Pio dEmilia)さんだった。先日、本ブログで訃報を紹介した。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20230221

ピオ・デミリアさん(報道特集より)

 これがおそらくピオ・デミリアさんが生前日本メディアに登場する最後になったと思う。デミリアさんによると、ルカさんはイタリアに戻る気はなかったので、イタリア大使館は何もできなかった。ここからはルカさんと日本政府の問題になる。

「収容を解かれても仕事ができないというのでは、犯罪を起こすしかなくなる。仮放免のシステムは変えるべきだ。」とデミリアさんは言い、怒りを含んだ声で「頭のいい人でしたよ。ITエンジニアやデザイナーをしていて。そんな人がこんなふうに亡くなるのは、納得できないです」と語っていた。

ピオ・デミリアさん

 番組に登場したもう一人の在留外国人は、チリ出身のクラウディオ・ペニャさん(62)国際的なコンテストで優勝したこともある一流の料理人だ。

ペニャさん

 日本のレストランで働いていたが、11年の大震災をきっかけに身元保証人が日本を出国して連絡がとれなくなった。ペニャさんは在留資格を失い、収容されることになった。計4年半の収容生活はとても苦しかったという。はじめ10人部屋に入れられ、トイレに行くもの監視される生活に、自尊心も砕かれた。いま仮放免になって3年たつが、働けないので、家賃、携帯代などはボランティアや教会から支援を受けるしかない。

 「僕はプロのコックさんで、仕事ができる。自分のお金を作りたい。僕は(今)自分で何もできない。(人間ではなく)モノみたい」だという。長期収容で精神がやられ、パニックになって泣いたり、自殺したくなったりするという。

 ペニャさんにはチリに帰れない理由がある。1973年、チリの社会主義を目指していたアジェンデ政権を軍部がクーデターがで倒し、ペニャさんの父親は、軍部の左翼狩りに協力せざるをえなかったという。その後、父親は軍の虐殺行為を証言したところ、軍部の息のかかった勢力から「裏切者」と狙われ、ペニャさん自身、拉致されて暴行・拷問を受けた。家族は今も隠れ住んでおり、とても危険で帰れないというのだ。難民申請をしているが、認定率は0.7%で、望みは薄い。

ペニャさんが暴行・拷問を受けたときを描いた絵

報道特集より

 「りんりんふぇす」の共催団体の「つくろい東京ファンド」によれば仮放免者の急増で、外国人のホームレスが増えているという。これまでは本国の親族から送金してもらったり、外国籍のコミュニティの中で支え合ってなんとかやってきたのが、そのコミュニティ自身が困窮化して支えきれなくなっている。仮放免が何の解決にもなっていないことが明らかだ。

大澤さん

 「帰りたくでも帰れない人がいる。難民だったり、日本生まれ日本育ちのお子さんだったり。そういう現実を直視して、できることを考えないといけない。」(つくろい東京ファンド 大澤優真さん)

 国連の自由権規約委員会は、日本の仮放免制度について、「仮放免者の対応に懸念」を表明し、「収入を得られるよう制度を改善すべき」と勧告している。

 結婚や仕事で滞在許可を得て日本で暮らしているうち、離婚や失業という、日本人も遭遇する人生につきもののトラブルで不法滞在に転落し、生死を左右される事態になるというのは理不尽だ。

 また、例えばクルド人であれば、英国やカナダならすぐに難民として認定されるのに、たまたま日本に逃げてきたら認定されず(去年初めて1件だけ認定された)、入管施設に刑務所以下の境遇で長期収容され人生の時間を浪費するばかりか心身を病むことになる。

 いま、自民党が国会に上程を予定する入管法の「改正案」は、仮放免の改善策を全くもりこんでいないばかりか、難民申請を3回して認定されなかったら強制送還を可能にするという、とんでもない内容だ。

 入管法改正の動向に注目しよう。

「私がここにいるわけ」高校生に語るコスモロジー③

 ノーベル平和賞受賞者が禁固10年の刑を受けた

 ベラルーシの人権活動家、アレシ・ビャリャツキ(Ales Bialiatski)氏(60)は、2020年のルカシェンコ氏が当選した大統領選挙の後、拘束され刑務所に収監された。去年11月、"公共の秩序を乱す活動に市民を巻き込んだ“として起訴されていたが、3日、裁判所は禁固10年の判決を言い渡した。

NHK国際報道より

NHK「国際報道」より

 ビャリャツキ氏が設立したビャスナは、抗議デモに参加し投獄された人たちに法的、経済的支援を提供する上で主導的な役割を果たしていた。22年にはロシアの人権団体「メモリアル」やウクライナの人権団体「市民自由センター」とともにノーベル平和賞を受賞した。

 同じく3日、カンボジアの首都プノンペン裁判所は、元最大野党の党首ケム・ソカ(Kem Sokha)氏(69)に国家反逆の罪で禁錮27年を言い渡した。ケム・ソカ氏は2017年、「外国の勢力と共謀し、国家の転覆を企てた」として逮捕され、氏が共同創設者である救国党は解党された。翌年2018年の総選挙では、与党が全議席を独占、同氏は、アジアで在職期間が最長で、独裁色を強めるフン・セン首相の政敵とされてきた

NHK「国際報道」より

 欧米は総選挙後、カンボジアに制裁を科すが、日本は、フンセン首相の後継者と見られる息子のフン・マネット陸軍司令官を日本に招くなど、それとは一線を画す外交を行っている。制裁でカンボジアを中国にますます追いやってしまうというのが一つの理由付けになっているが、いつものように言うべきことを言わないままでいいのか。7月には総選挙が予定されており、日本政府の対応を注視したい。

NHK「国際報道」より

 「人権」を旗印にして、アメリカはアフガニスタンで20年も駐留して戦争をしてきた。今も、「女性の人権」抑圧を理由に、欧米、日本などいわゆる国際社会はアフガニスタンに制裁を続ける。これについては、私は反対する。大干ばつに被災した百万単位の飢餓線上の人々を救うのが最優先だからだ。

 アフガニスタン取材のあと、人権とは何かをもっと学びたいと思うようになった。ピーター・スターンズの『人権の世界史』を読んでいるが、ますますわからないことが増えて困っている。これについては、また書こう。
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 さて、コスモロジー・セラピー、前回のつづき。

《水素は宇宙誕生から38万年後にできた》

 火の玉のような宇宙は、拡大するにつれて温度が下がっていった。そして宇宙誕生から38万年後、宇宙の温度が3000度くらいまで下がると―下がると言っても宇宙全体が鉄がどろどろに溶けるような高温だけど―劇的な変化が起きる。

 陽子(原子核)と電子が結合して原子ができたんだ。まずできたのが水素。科学の授業を思い出してほしいんだけど、一番簡単な構造の原子は、正(プラス)の電荷をもつ陽子1個が原子核で、それと負(マイナス)の電荷をもつ電子1個とでできている水素だったね。水素のほかにヘリウムも少しできた。ヘリウムは二番目に簡単な構造の原子で、陽子2個と中性子2個の原子核に電子2個が結合してる。

 このとき、宇宙はサーっと見通しがよくなったといわれてる。それまで陽子や電子は超高温の宇宙の中を飛び交っていて、光は電子と衝突して直進できなかった。もしその時宇宙の中にいたら、まぶしい雲の中にいるみたいで何も見えなかったはず。電子が原子核と結合して光をじゃましなくなると、宇宙が透明になった。この時のことを「宇宙の晴れ上がり」(clear up)と呼ぶそうだよ。

 宇宙が誕生の38万年後に晴れ渡ったとか、そのとき温度が3千度だったとか、なんでそんなことがわかるんだ?誰か見てたのか?って。そう思うよね。でも、ここ何十年かの科学の進歩はすさまじくて、こういう宇宙進化の道筋はかなり明らかになってきているんだ。

 このとき膨大な量の水素原子とヘリウム原子が創られた。ほとんどは水素だった。
そして、驚かないでよ。宙くんの体をつくっているのは、まさに、このときにできた水素原子なんだ。信じられる?まさか!だよね。

 でも、考えてみて。人間の体の60%は水分なんだ。水はH2Oで水素原子2個と酸素原子1個の組み合わせだから、もうこれだけで体のすみずみまで水素原子でいっぱいということになる。さっき四つの元素をあげたけど、原子の数からいえば、人間の体を作っている元素のうち、一番多いのは水素なんだ。

 でも、138億年も前の水素原子が今もそのままであるわけがない、途中で壊れるだろうって?

 原子を構成する陽子の寿命は、理論的には10の34乗年以上だそうだ。10の10乗が100億だから、陽子の寿命は、今までの宇宙の歴史138億年より、はるかに、はるかに長い。だから宙くんの体を構成している水素原子は、まちがいなくビッグバン直後にできたものがそのまま使われている。と、こういうことになるんだ。

(注:恒星内部での核融合反応などにより、元素は絶え間なく崩壊、形成を繰り返すが、水素については、現在宇宙に存在する原子の圧倒的多数がビッグバン直後に創られたものと考えられている。)

(つづく)

「私がここにいるわけ」高校生に語るコスモロジー②

 きょうは桃の節句で、ちらし寿司に蛤の吸い物をいただく。畑ではホトケノザがいっせいに花をつけ、春の到来をつげている。

ネギの根もとはホトケノザでいっぱい。かわいそうだが、雑草としてすべて抜いた。

 欧州は、ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、国防意識が高められているという。かつてソ連の衛星国にさせられた東欧諸国はとりわけ危機感が強く、ポーランドでは去年9月、高校・専門学校の1年生(14~15歳)を対象に、銃の扱い方を教えることを義務化した。世論調査では、これに賛成が50%、反対が35%で、賛成が上回ったという。

ポーランドで銃の扱いをならう高校1年生(NHK国際報道より)

 国防費も軒並み増額される。GDPに対する割合で、ドイツは1.5%から2%へ、スペインが1%から2%へ、ポーランドが2.5%から4%へ、スウェーデンが1.3%から2%へという具合だ。どんどん世界がきな臭くなって、偶発的な衝突が大事にならないか、心配になる。
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 コスモロジー・セラピーはさまざまな切り口から入っていくことができるが、今回は、”私“の体を構成している物質が「宇宙製」、メイド・イン・コスモスだという気づきを入り口にしている。その気づきを宗教ではなく、現代科学の最先端の成果を踏まえた宇宙史で支えるというやり方だ。だからここに説くのは宇宙史の「お勉強」ではない。

 知識を得ることが目的なら、宇宙史に詳しい専門家、教えるのが上手な教師のほうが適任だろう。私が目指しているのは、その歴史を〝自分事“だと「気づき」、人生観を形作る溶媒にしていくことだ。

 ということで、つづき。

 

《エネルギーと物質は置き換えられる》

 この宇宙エネルギーは、宇宙空間が広がり、温度が下がるにつれて物質になっていった。

 エネルギーが物質になるなんて、想像しにくいよね。あえてイメージするなら、空から降ってくる小さな水滴が、温度が下がっていくと、液体が固体になって美しい雪の結晶があらわれるという感じかな。

 このエネルギーと物質の関係は、このあとも出てくるので、ちゃんと説明しよう。はじめちょっと難しいけど、だんだんおもしろくなっていくから、気を入れて聞いてね。

 アルベルト・アインシュタインという人、知ってる? 相対性理論で有名なえらい科学者。

 E=mc²

 これは、彼の「質量とエネルギーの等価性」を示す数式。世界でもっとも有名な数式だそうだ。Eはエネルギー、mは質量でcは光速(秒速30万km)を表してる。光速の2乗は決まった値(定数)だから、エネルギーは質量と置き換えられるという意味になる。質量というのは、とりあえず物質の重さと理解しておいてね。

 つまり、エネルギーは物質になることができ、逆に物質がエネルギーに変わることもあるというわけだ。ちょっと不謹慎だけど原子爆弾、原爆を例にして説明するね。

 第二次世界大戦で、広島と長崎に原爆が落とされたのは知ってるね。広島の原爆では60kgのウラニウムウラン235)を使って核分裂を起こし爆発させた。そのときウラニウムの一部の質量が、エネルギーに変わって失われた。失われたウラニウムの質量は理論上0.7グラムだったそうだ。もし、原爆で破裂したウラニウムの破片を拾い集めたら―そんなのもちろん無理だけど、もし全部拾ったとしたら―はじめの重さより0.7グラム減っていたはずなんだ。つまり、0.7グラムの物質があの原爆のおそろしいエネルギーになったというわけ。すごいよね。物質というのは、エネルギーがものすごく凝縮したものなんだ。

 原爆は核分裂反応を一気に起こすけど、核分裂をコントロールしながらゆっくりと進めてエネルギーを取り出すのが原子力発電、原発だよ。原発でもごくわずかづつだけど、ウラニウムが質量を失なってエネルギーに変わっていく。原爆と同じだね。

 これが、物質がエネルギーに変わるということ。そして、その逆、エネルギーが物質に変わるというのがビッグバンのときに起きたことなんだ。膨大なエネルギーのかたまりの超高温の宇宙が、膨張しながら、素粒子という宇宙で一番小さい物質を生み出した。
(注:ビッグバンの前にインフレーションという瞬間的な急膨張の段階があったと考えられている。それを終えた超高温の宇宙は、ゆるやかな膨張に転じる。これが狭義のビッグバンで、膨大なエネルギーからさまざまな素粒子が生み出されたとされている。)

 

《宇宙エネルギーが物質に転化した》

 素粒子というのは、それ以上細かく分けられない、宇宙で一番小さな物質。ぼくたちが子どものころは、一番小さな物質は原子だと教わったけれど、1964年に、原子はもっと小さい素粒子が集まったものだとわかった。

 これまでにクォークレプトンなど物質を構成する物質粒子、力を伝えるグルーオンや光子など17種類の素粒子が確認されている。宇宙の始まりとそこでの素粒子の形成は、最先端の研究分野で、最近のノーベル物理学賞もこれに関係する研究が多い。

 いま全宇宙の物質を構成するすべての素粒子は、宇宙の誕生のときに一気にできたといわれてる。宇宙誕生後1万分の1秒後にはもう、素粒子が集まって陽子や中性子ができた。陽子と中性子、そして素粒子の一つである電子、この三つで原子ができていて、宇宙に存在するさまざまな元素になっている。このあとはもう宇宙で素粒子は創られない。つまり、このとき全宇宙の元素の材料がすべて生み出されたことになる。

 だから、ビッグバンというのは、宇宙のはじまりというだけでなくて、数千億の銀河をもつ全宇宙の物質の素材を一気に生み出した一大イベントでもあったわけだね。

(つづく)

「私がここにいるわけ」高校生に語るコスモロジー①

 日本の若者の心に関して気になる情報が目に付く。

 例えば、不登校の生徒の急増だ。去年10月に文部科学省が公表した「令和3年度(2021年度)児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、2021年度は前年度比で不登校生徒が5万6747人(23.7%)増加し、総数は29万5925人と30万人に迫ったという。不登校がいちがいに“悪い”わけではないが、この結果は自己も他者も肯定できずに悩む生徒たちが増えていることを示唆する。

 また近年、若者の自殺が増加傾向にあると報じられている。ほんとうに痛ましい。日本には「自殺対策基本法」があり、自殺対策には予算がついて行政も動いているのだが、これには限界がある。「命の電話」など、実行寸前で自殺を思いとどまらせることは、もちろん大事なのだが、あくまで応急措置である。「自殺したい」などと思わないような心を育てることにこそ、社会の目を向けたいと思う。

 日本財団の18歳意識調査(2019年実施)を見ると愕然とする。日本の若者が、自身についても、自分の国についても、断トツに悲観的なのだ。自己肯定感の無さということなのだろうか。病的な感じさえする。

自分自身についての意識(日本財団HPより)

自分の国の将来について(日本財団のHPより)

 若い人の死亡理由で自殺がもっとも多いのも、この意識状況と関係しているに違いない。

 若者のせいにするつもりはなく、問題は、こういう世の中、こういう国柄の中で育ち、生きているうちに身に付いたコスモロジー(ざっくり言うと世界観プラス人生観)にあると思う。そこで、以前から若者向けコスモロジーの必要性を考えてきた。

takase.hatenablog.jp


  私はサングラハ教育心理研究所のコスモロジー・セラピー・インストラクターとして、若者向けセラピーの一つのひな型を自分なりに作ってみたいと思う。

 コスモロジー・セラピーとは―
「空虚感、孤独感、不安感、焦燥感、絶望感といったネガティブな感情は、状況によって誘発されはしても、実は根本的にはネガティブな宇宙観・コスモロジーから発生している」ととらえ、「ネガティブからポジティブへ、科学的根拠によってコスモロジーの根本的転換を促し、ニヒリズムに脅かされている現代人の心を根っ子から癒す」セラピーである。(サングラハ教育心理研究所HPより)

 ということで、不定期連載でお届けする。ご感想、ご意見をお待ちしています。

 高校生くらいの知識レベルで理解できる内容とし、私が、宙(そら)くんという架空の高校2年の男の子―私の甥っ子―に語っていくという設定で進める。
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 宙くん、新年おめでとう。去年の正月に会ったきりだから、1年ぶりだね。どう、調子は?

 へこんでるって?コロナでサークル活動もまともにできなかったし、友だちができない。そうか、大変だったね。自分が孤立してるみたいで、生きる気力がわかない、か。

 コロナ禍で、宙くんみたいに孤独を感じている人の割合は、日本の全世代平均で37%。20代の若い人が一番高くて42%もいるそうだよ。(NPO法人「あなたのいばしょ」のコロナ下での人々の孤独に関する調査より)

 もし、宙くんがよければ、ぼくの話を聞いてみない。どんな話かって?

 「宙くんはどうしてここにいるのか」。

 笑ってるね、おかしい?自分はなぜ生まれてきたんだろう、何のために生きてるんだろう、そういうのを大まじめに考えてみようってわけ。変な宗教にさそうつもりじゃないから(笑)、安心して。

 遠回りなようだけど、心が元気になれると思うんだ。どうかな?


《私たちの体は何でできているのか》 

 じゃあ、始めようか。

 きょうはまず、宙くんもぼくも、みんな「宇宙の子」だっていう話をしよう。まさか、って顔してるね。まあ、これからそのわけを話していくから聞いててね。

 ぼくたち人間は、体と心でできているよね。とっかかりにまず、体は何でできているのか、考えてみようか。

 宙くんの体は、筋肉、脂肪、血液、骨といろいろなものでできているよね。これらを元素にまで分解していくと、おもに水素、炭素、酸素、窒素の四つになる。この四つの元素で、体重の96%を占めてるらしい。

 で、クイズだけど。こういう元素はどうやってできたのでしょうか。

 初めから超難問で、ごめんね。これを知るには宇宙の歴史をたどらないといけない。

 宇宙には“始まり”があるって知ってるね。そう、ビッグバン。138億年前に、宇宙は“無”からポンと現れて、目に見えないくらい小さいところから一気に拡大して、広がって広がって広がり続けて、今のような大きな宇宙になった。

 生まれたばかりの宇宙には、”物質“なんてものはなかった。えっ、何があったのかって?そこ、大事なとこだから、じっくりやるね。


《数千億の銀河がある宇宙》

 その前に、宇宙がどのくらい大きいか、ちょっとイメージしてもらおうかな。

 ぼくたちのいる地球は太陽系のなかにあるね。太陽系は天の川銀河という銀河のなかにある。銀河はたくさんの星々の集団で、この天の川銀河には太陽のような恒星だけで2千億から4千億個もあるといわれている。渦を巻いて円盤みたいに平べったい形をしてる。

 このぼくたちの銀河、天の川銀河の直径はどのくらいあると思う?

 あのね、答えは10万光年だって。1光年は光の速さで1年かかる距離。光の速度は秒速30万km。地球の一周は4万kmだから、1秒に地球七回り半の距離を進む。月は地球から38万km離れてるので、月光は1秒とちょっとでぼくたちの目に入ってることになるね。宇宙空間で一番速いのが光。その光のスピードで飛んでいって、天の川銀河の端から端まで10万年かかる。10年じゃないよ、10万年・・おそろしい大きさだよね。

 でも天の川銀河は特別に大きな銀河じゃなくて、近くにあるアンドロメダ銀河という有名な銀河は、直径22万光年で1兆個の恒星があるそうだ。宇宙全体には、こういう銀河が数千億あることがほとんど確実になってる。数千じゃなくて数千億。
 宇宙って、ぼくたちの想像を絶するくらい大きいんだね。


《“無”から現れた宇宙エネルギー》

 こんなに大きな宇宙が“無”から現れたというのは不思議だね。え?“無”の前には何があったって?それは誰も答えられない。だって、この宇宙ができてはじめて時間も空間もできたんだから。

 “無”から現れたばかりの極小の宇宙には、物質というものはなかった。何があったかって?そこにあったのは、莫大なエネルギー。これを宇宙エネルギーと呼んでおくね。はじめ宇宙は火の玉のようなエネルギーのかたまりだった。

 「エネルギー保存則」って知ってるかな。エネルギーは形が変わっても総量は変わらないという物理学の大原則。例えば、水力発電所では、高いところにある水がもっている位置エネルギーが、落下して運動エネルギーに変わり、それがタービンを回すことで電気エネルギーに変換される。その電気エネルギーは送電線で送られてきて、ぼくたちの家で、光や熱のエネルギーとして使われる。途中で、摩擦や抵抗で減るけど、それを足し合わせると、前と後で、つまりはじめの水の位置エネルギーとそのあとのエネルギーで、総量は変わらないんだ。

 宇宙規模で考えると、今の広大な宇宙全体のエネルギーを足し合わせた総量が、宇宙がビッグバンで一点から始まったときそこに集中していたことになる。信じられないけど、そうなってたはず。その一点に集中していたエネルギーが、どんなにエネルギーの形が変わっても今の宇宙の全エネルギーだってことは、エネルギーとしては宇宙ははじめから今までずっと一つってことだね。不思議だけど、そうなるね。

(つづく)

「戦争を始めない」アフリカの決意

 まだ寒い日が続くが、品川橋の近くの荏原神社では寒緋桜が満開だ。

メジロが桜の花をついばんでいた(筆者撮影)

 だんだん散歩が楽しみになってくる。
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 ロシアによるウクライナ侵略一年。『朝日川柳』掲載句は―

 一年前まだましだったこの地球 (岩手県 奥山与惣美)

 爆撃を受ける国土と受けない国土 (神奈川県 瀬古修治)以上24日付

 ヒトラーもこうだったのかと見るテレビ (埼玉県 椎橋重雄)25日付

 

 国連総会は23日、ロシア軍に「即時、完全かつ無条件の撤退」を要求し、「ウクライナでの包括的、公正かつ永続的な平和」の必要性を強調する決議案を141カ国の賛成で採択した。

 反対したのはロシアのほか、ベラルーシ北朝鮮エリトリア、マリ、ニカラグア、シリアの7カ国で、前回より2カ国増えた。中国やインド、イラン、南アフリカなど32カ国は棄権票を投じ、13カ国は投票しなかった。

TBSサンデーモーニングより

 決議に法的拘束力はないが、ウクライナ侵攻から1年が迫る中、国際社会の中でロシアの孤立は再び確認された。

 一方で、ロシアを撤退へと追い込むのに、「民主主義VS専制主義」の構図を振りかざすことへの疑問、批判が次第に強まっているように思われる。

 『朝日新聞』の24日の社説は―

「バイデン米政権が説く『民主主義対専制主義』といった対立軸では、かえって世界の分断を深める恐れがある。
 ここは『武力による一方的な国境変更は認めない』という法規範を掲げたい。国連憲章がうたう基本ルールであり、大多数の国が賛成できるはずだ。」と説く。

 過去、アメリカはアフガニスタンで「自由と民主主義」の錦の御旗のもと、20年もの戦争を行い、すさまじい人的被害と国土の破壊をもたらした。ベトナムイラクの戦争も同様で、「民主主義」を侵略や占領の理由付けに使ってきた。

 今は欧米はウクライナ支援で盛り上がっているが、アジアやアフリカ、ラテンアメリカ専制主義政権に人々が虐殺されても助けなかったし、例えば自由選挙で選ばれたチリのアジェンデ政権を謀略と暴力で倒したのはアメリカだったではないか。

 その欧米諸国が掲げる「民主主義」の理想は説得力を持たないばかりか、世界を分断すると強い反発が出てくるのはうなづける。

 国連決議が圧倒的多数の賛同を得たのは、あくまで「武力による一方的な国境変更は認めない』」という国連憲章に沿った主張だからである。この憲章のラインで世界の国々をまとめていくしかない。

 きのうのTBS『サンデーモーニング』で、ウクライナ侵略一年にあたっての田中優子さんのコメントが興味深かった。

「ちょうど一年前に戦争が始まった時に、国連安保理ケニアのキマニ国連大使という方が、演説をしたが、その内容は―アフリカは植民地化されていたから、直線で国境が分かれている。同じ民族でも直線で分けられてしまっている。もちろん自分たちは一緒にはなりたいけれども、その同質性というのを追求していくと、何十年も戦争を続けることになると。だからそういうことはしたくない。私たちは国連のルールに従うことを決めたんだと。国連のルールというのは、国連憲章がうたっている、武力による一方的な国境変更は認めないというのが国連のルールだけれども。たしかにキマニさんが言ったように、戦争を始めたら、何十年も終わらない、終えることができないということ、それから戦時下の日常がずっと続くということ、ほんとにこのことを目の当りにしているんですよ。自分たちはそういうことを起こさないという決断がいかに大切かということを、一年で改めて感じますね」

ANNニュースより

 キマニ大使の演説は、ロシアの行為を非難しているのだが、同時にその裏に、植民地主義を主導した欧州への批判も込められている。いまの世界秩序なるものが過去からの力の論理で形成されてきたことを反省させられる。

 民主主義、民族自決といった基本的な概念が見直される時代になってきたのか。歴史に学んで、戦争を起こさせない智慧を学びたい。

 以下、資料として、マーティン・キマニ国連大使の22年2月21日の演説全文を紹介する。田中優子氏は「戦争が始まった時」と言っていたが、正確には2月24日の開戦の直前、ロシアがウクライナドネツクルガンスク州の一部を独立国として承認したことに対する演説である。

 

ケニア共和国・キマニ国連大使

この状況は、私たちの歴史と重なります。
ケニア、そして殆どのアフリカの国々は、帝国の終焉によって誕生しました。
私たちの国境は、私たち自身で引いたものではありません。ロンドン、パリ、リズボンといった遠い植民地の本国で引かれたものです。
いにしえの国々の事など何も考慮せず、彼らは引き裂いたのです。

現在、アフリカの全ての国の国境線をまたいで、
歴史的、文化的、言語的に深い絆を共有する同胞たちがいます。

独立する際に、もし私たちが民族、人種、宗教の同質性に基づいて、
建国することを選択していたのであれば、
この先何十年後も血生臭い戦争を繰り広げていたことでしょう。

しかし、私たちはその道を選びませんでした。
私たちは既に受け継いでしまった国境を受け入れたのです。
それでもなお、アフリカ大陸での政治的、経済的、法的な統合を目指すことにしたのです。
危険なノスタルジアで歴史に囚われてしまったような国を作るのではなく、
未だ多くの国家や民族、誰もが知らないより偉大な未来に期待することにしたのです。
私たちは、アフリカ統一機構国連憲章のルールに従うことを選びました。それは、国境に満足しているからでなく、平和のうちに築かれる偉大な何かを求めたからです。

帝国が崩壊、あるいは撤退してできた国家には、
隣国との統合を望む多くの人々がいることを知っています。
それは普通な事で理解できます。
かつての兄弟たちと一緒になり彼らと共通の目的を持ちたいと
思わない人など、いるものでしょうか?
しかし、ケニアはそうした憧れを、力で追求することを拒否します。
私たちは、新たな支配や抑圧に再び陥らない方法で、
滅びた帝国の残り火から、自分たちの国を甦らせないといけないのです。

私たちは、人種、民族、宗教、文化など、いかなる理由であれ、民族統一主義や拡張主義を拒むのです。
我々は......今日、再びそれを拒否したいと思います。
ケニアは、ドネツクとルガンスクの独立国家としての承認に重大な懸念と反対を表明します。
さらに我々は、この安保理のメンバーを含む強大な国家が、国際法を軽視するここ数十年の傾向を強く非難します。

多国間主義は今夜、死の淵にあります。
過去に他の強国から受けたのと同様に、今日も襲われているのです。
多国間主義を守る規範のもとに再び結集させるよう求めるにあたり、
私たちはすべての加盟国が事務総長の後ろ盾となるべきです。
また、関係当事者が平和的手段で問題解決に
取り組むように求めるべきです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000246701.htmlより

ロシアのウクライナ侵略から1年

 ロシアのウクライナ侵略から24日でまる1年。ロシアが引くしか終結の道はないのだが、いつになるか、まったく見えない。

 ロシアのGDPはこの1年で2.1%しか落ちていないという。ニュースでは、ふんだんに商品が並ぶスーパーや家族連れが以前と同じように食事を楽しむレストランを映し出し、ロシアの市民生活にほとんど変わりがないと伝える。

 私たちの”期待“を裏切って、ロシア国民の圧倒的多数が今もプーチンと彼が始めた軍事作戦を支持している。

ネットやSNSを主に見る人の支持率がわずかに低いが、過大な期待はできそうにない。(NHKニュースより)

 一方、ウクライナGDPは3割マイナス。自分の国土が毎日破壊され、人びとの暮らしが戦時態勢になっているから当然と言えば当然だが、巨大な負担を強いられている。また、ウクライナを支援する欧米は、物価の高騰で人々の不満が高まっている。ウクライナ支援疲れは現実のものになりつつある。このままだと、先に息が切れるのは欧米の方になるかもしれない。

 万が一、ウクライナが軍事的に敗北してロシアの占領下におかれたとしても、最終的にロシアはこの地を”平定“できず、アフガニスタンの米軍のように、ロシア軍は撤退するだろうが、この場合、ウクライナの犠牲は恐ろしいものになる。アフガニスタンは米軍が侵略してから撤退まで20年もかかった。

 ロシアで閉鎖を余儀なくされた独立系メディア「ドーシチ」の創始者、ナタリア・シンジェーエワさんNHKの取材に、決してあきらめないと決意を語っていた。険しい道を歩む人々を応援したい。

ドーシチの最後の放送のこの挨拶は記憶に新しい。(NHK国際報道より)

ドーシチが創設されたのは2010年。自由を謳歌できそうな雰囲気があり、2011年には当時のメドベージェフ大統領がドーシチの番組に出たこともあった。

ウクライナ侵略ののち、ドーシチはラトビアに移り、さらに現在はオランダで放送を続ける。(NHK国際報道より)

 一方,ロシアという国と国民をラディカルに批判するのは、2015年にノーベル文学賞を受賞したアレクシェービッチさんだ。彼女は母がウクライナ人、父がベラルーシ人で、ロシアの侵略を知った時、戦争が始まることが信じられなかったという。

「この戦争は最初の数日で、帝国(ソビエト連邦)が消滅した後の世界観をひっくり返した。」

 アレクシェービッチさんは、ソ連が崩壊して”自由“を享受できる時代がきたときを思い返すと、「誰も”自由”とは何かを知らなかった」という。

 「強制収容所の人間は、解放されても”自由“が何であるかを知らないから、慣れ親しんだ”不自由“なことをし始めた」

 プーチンは、国民を鼓舞するプロパガンダのために作ったスローガン「ロシアはこんなに長い間屈辱を味わってはいけない」「ロシアは面子をつぶされてはいけない」つまり「我々は再び偉大な大国になるべきだ」と説いた。それは国民自身の思いで、プーチンは国民が聞きたがっている言葉を口にしたにすぎない」と彼女はいう。

 ロシア国民がそのに乗せられたのは「テレビとそこで働いているジャーナリストのせいだと言われている。国民をだましているという点では彼らは犯罪者だが、それがすべてでは決してない。人々がプロパガンダを受け入れなければ、プロパガンダは彼らに影響を与えることはできない」

アレクシェービッチさん(TBS報道特集の取材に答える)


「テレビは『国民が聞きたいと思っていること』を伝えている。私は“ロシア国民自身の罪”だと思う」。

 そして自戒を込めるように、「特にナショナリズムの危険性があると知っておくことが重要だ。文化活動に携わる人はナショナリズムに反対すべきだ。憎しみは私たちを救いはしないということを知らなければならない。時に『言葉は無力だ』と思うこともあるが、私はその絶望に負けたくない。」と語った。

 彼女も、別の視点から、この戦争が簡単には終わらないことを示唆している。

 メディアと国民が相互に劣化しあう負のスパイラルは、わが日本でも始まっているのでは、とわが身を振りかえった。

中村哲医師が見たアフガンの女性たち

 節季は「雨水(うすい)」。雪が雨に変わり、雪が解けだして田畑を潤すので、農作業の準備が始まる。

きょうも畑作業。朝は寒かったが陽光が春を感じさせた。

 19日から初候「土脉潤起(つちのしょう、うるおいおこる)」。眠っていた生き物ももうすぐ目覚める。24日から次候「霞始靆(かすみ、はじめてたなびく)」。春に出る霧が霞。3月1日から末候「草木萌動(そうもく、めばえいずる)」。新芽、新たな命が芽生えてくる。

 きょうは私の誕生日。古希になるまで、おかげさまで元気でいられたことを感謝。トルコ大地震の被災地で医療活動を行っている「国境なき医師団」にわずかだが寄付してきた。
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 先日、津波に襲われた大川小学校の遺族の記録映画を監督した、知り合いの映像ディレクターが新聞で紹介されていた。

 寺田和弘さん(51)で、制作した『生きる~大川小学校 津波裁判を闘った人たち』はー

《2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が亡くなった。地震発生から津波が学校に到達するまで約51分、ラジオや行政防災無線津波情報は学校側にも伝わりスクールバスも待機していた。にもかかわらず、この震災で大川小学校は唯一多数の犠牲者を出した。この惨事を引き起こした事実・理由を知りたいという親たちの切なる願いに対し、行政の対応には誠意が感じられず、その説明に嘘や隠ぺいがあると感じた親たちは真実を求め、石巻市宮城県を被告にして国家賠償請求の裁判を提起した。彼らは、震災直後から、そして裁判が始まってからも記録を撮り続け、のべ10年にわたる映像が貴重な記録として残ることになっていく——》(映画紹介より)
 興味深い内容。観てみたい。

朝日新聞「ひと」欄

 『ひと』欄によると、《原点は「兵庫県立神戸高塚高校卒業」という経歴にある。卒業した4カ月後、この高校で、教諭が遅刻指導で閉めた校門に女子生徒が頭を挟まれ亡くなった。
 「在学中に僕らが声を上げていれば、彼女は死ななかった。黙っているのは加害者になることだ」と振り返る。》

 そういうことだったのか。

 寺田さんはかつて、所属する制作会社から、テレビ朝日サンデープロジェクト』に派遣されていた。私の会社「ジン・ネット」はサンプロの特集をメインの発表の場にしていたから、寺田さんとは一緒に特集を制作したり、親しくお付き合いをした。当時から優秀なディレクターだった。

 近年、私の知るテレビ・ディレクターたちが、どんどん映画を手掛けるようになっている。そのこと自体はいいのだが、テレビ番組制作の魅力の減退も、この傾向を招いている一因のように思う。そのことが心配だ。
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 タリバンというと「女性の人権」抑圧。このためにタリバン政権はいわゆる“国際社会”に承認されず、対アフガニスタン経済制裁も解除されない。これこそ、タリバンの邪悪さ、後進性、恐怖政治の象徴になっている。

 中村哲さんは「タリバンの時代が一番仕事がはかどった」と言い、女性への抑圧にはほとんど触れない。中村さんはアフガニスタンの女性問題をどう捉えていたのか。

 かつて『西日本新聞』に連載していたエッセイで、かなりまとめて書いているのを見つけて興味深かった。彼のアフガニスタンへの向き合い方の根本にかかわることなので以下紹介したい。

PMSが手掛けた分水路の開通を喜び、炎天下、足を水に浸して歩く女性。家畜のえさや焚きつけに使う草を頭に乗せている(2017年)西日本新聞

 講演やこの連載で「報告に女性が登場しない」とよく言われるが、述べにくいのには訳がある。
 2001年、米軍がアフガニスタンに進駐して間もなく、性差別の問題が盛んに論議された時期があった。女性の地位向上が叫ばれ、女子児童の就学率から職業まで見直され、「イスラムの後進性」が盛んに攻撃された。国連や外国NGO(非政府組織)は女性職員の割り当てを増やし、率先して範を垂れた。

 その直前までタリバン旧政権が女学校を禁止し、医師以外の女性の就労を制限していたからだ。折から性差別が世界的な問題になった時期だったので、権力を得て勢いに乗った外国勢のキャンペーンは凄(すさ)まじいものがあった。まるでイスラム教徒であることが悪いことであるかのような雰囲気さえ横行した。

 ●納得できる言葉

 我々(われわれ)PMS(平和医療団・日本)は「生命と水」を前面に掲げ、このような思想・文化方面の動きとは別の次元で動いていた。米軍進駐を経た後、多くの「アフガン復興」の主題は「物心両面における近代化」と言えたが、旧ソ連の侵攻(1979年)以来、当地で進められた近代化の実態を眺めてきた身には、どこかで見た光景に思え、素直に同調できなかったのだ。

 アフガン人にとってイスラム教とは人間の皮膚以上に密接なもので、生活の隅々までを律する精神文化だ。その中に女性の地位向上を肯定する考えがない訳ではない。外圧でなく、彼女たちが納得できる言葉で語られるべきだ。また、2000年の大干ばつ後に襲ったあの飢餓地獄の中で、時流に乗り、権力を背景に拳を振り上げることに快からぬものを感じていた。

 我々の作業地は、パシュトゥン(パターン)民族の世界である。パシュトゥンはアフガニスタン最大の民族で、人口2千万と言われ、パキスタン北西部にも1千万人が国境を挟んで住む世界最大の部族社会だ。少数山岳民族もいるが、圧倒的多数のパシュトゥンと共に一つの文化圏を成す。「ワタン(故郷=地縁)とカオミ(血縁)が社会の全て」と評されるほど、部族社会の様相を色濃く反映し、閉鎖的な農村は自治性が強く、実態は外部に伝わり難い。

 ●ブルカ排撃運動

 このパシュトゥン民族の女性の外出着が「ブルカ」で、顔付近に網目の窓を残した布で全身をすっぽりと覆う。厳しい男女隔離の掟(おきて)があり、日本では刑が軽すぎる婦女暴行は普通、死罪である。

 かつてパシュトゥン民族で構成されるタリバンが、この衣装を首都カブールで強制して物議を醸した。西側では「女性抑圧の象徴」として一大キャンペーンが張られて過熱、パリなどでは公園の彫像にブルカを被(かぶ)せて揶揄(やゆ)し、被り物一切が禁止された。だが実はアフガン東部の女性の伝統的な外出着にすぎない。

 元々「個人」や「自由」という考えはアフガン農村で薄かった。血縁・地縁社会の中で、いかに家族全体の安泰を図るかが関心事だ。男も女も、子供も、それぞれに役割を担ってその文化の中で生きていた。それを性急に変えようとした旧ソ連は反発を招き、大混乱を残して撤退した。一方、抵抗勢力を「自由の戦士」と呼び、大量の武器援助で内戦を泥沼化させた西側のマキャベリズム(目的のために手段を選ばないやり方)は、人道支援にさえ不信を招いた。

 ●水運びから解放

 カブールのような大都会を除き、多数の女性たちが自ら権利を求めて叫ぶことは少なかったと思う。物言わぬ農村女性にとって、最も過酷な労働は水運びである。炎天下、水がめを頭に乗せ、時には数キロの道程を一日中徒歩で往来する。泉があちこちで涸(か)れた現在、遠くの川まで行くが、濁流はすぐには使えない。大きな水がめに入れて一晩泥を沈殿させてから利用する。貴重な水は煮沸して料理や茶に使う。薪は高価なので、のどが渇けば川の水をすくって飲む。赤痢や腸チフスなど致命的な感染症も起こしやすい。

 我々が手掛ける用水路はこの水汲(みずく)み労働と感染症の危険から女性たちを解放した。用水路沿いの地下水位が上がり、涸れ井戸が悉(ことごと)く復旧し、木がのびのびと育つ。家の近くから何度でも水が汲め、育つ木々は薪を提供する。用水路事業を誰よりも支持したのは彼女たちだった。実際、作業中に近所の家から「母からです」と子供たちが茶を届ける光景がしばしば見られた。気軽に異性に話しかける風習がないので、主婦たちが子供を代役に感謝を表したのである。

 診察室で診療するとき以外、我々が彼女たちと親しく話す機会はない。おそらく、いつ実現するか分からぬ「権利」よりは、目前の生存の方が重要であったのだろう。必要なのは思想ではなく、温かい人間的関心であった。

 全ての者が和し、よく生きるためにこそ人権があるとすれば、男女差を超え、善人や悪人、敵味方さえ超え、人に与えられた恵みと倫理の普遍性を、我々は訴え続ける。

(2019年6月17日付)

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