「2つのまなざし 江成常夫と土門拳―ヒロシマ・ナガサキ」を観て

 支持率が国の赤字を積み上げる (東京都 鈴木了一)

 国の金 元はといえば民の金 (千葉県 姫野泰之)

 28日の「朝日川柳」より。

 政府は28日、物価高に対応した総合経済対策を臨時閣議で決定。電気、都市ガス、ガソリンと灯油代の家計負担を軽減するなどとして、国の補正予算の一般会計で29兆1千億円を投じるという。財源はもちろん赤字国債だ。

 はじめ財務省は25兆円という案でいたが、自民党から「もっと出せ」との注文がつき、一気に4兆円以上引き上げられたという。まさに、まずは「金額ありき」。ばらまきで人気を回復しようというのだろう。総合経済対策の規模は、国と地方の歳出と財政投融資を加えた財政支出ベースで39兆円程度となる。

 「日本経済を再生する(略)高い効果のある施策」を用意したと岸田首相は言うが、大きな金額をぶち上げたうえで、中身は付け焼刃的に割り振ったとしか思えない。現状を打開するまともな戦略を政府がもたないまま、ばらまきに走っている。

 この露骨な人気取りに騙されないようにしよう。
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 「ロシア防衛省ウクライナの2つの機関が『汚い爆弾(ダーティ・ボム)』製造を命じられている情報をつかんだ」として、ロシア外務省がツイッターに挙げた写真。実はこれはスロベニアのARAOという核廃棄物管理の専門組織の2010年の写真だったことが判明した。

 あたかも「汚い爆弾」Dirty Bombであるかのように示されたものは、ARAOの「煙探知機」だという。

ロシア国防省が、ウクライナが「汚い爆弾」製造拠点はここだ!としてあげた写真(ロシア外務省のツイート)

スロベニア政府のツイート。この写真はわが国の機関のものだとしたうえで「スロベニアの核廃棄物は安全に管理され貯蔵されています。これは汚い爆弾を作るためではありません」と記している。


 ロシア政府が根っからのフェイクニュース体質であることがふたたび露呈した。

 それしても、ここまで恥ずかしげもなくウソをつきまくるロシア政府に戦争を合理的にコントロールできるのか、とても心配になる。

 ロシアは予備役の招集を決めたのに続き、27日、ロシア連邦議会下院は、前科者の軍隊への動員を認めるなど、軍の強化に向けた一連の法案を可決した。なりふりかまわず新たな兵力を前線につぎ込むともりだ。しかし、それでも通常兵器での戦闘に負け続けるとすれば・・・「まさか!」ということをやりかねないのではないか。
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 私は山形をおよそ半月間、自転車で回ったが、9月30日、庄内の酒田市土門拳記念館に立ち寄った。

 そのとき開催されていた企画展が「2つのまなざし 江成常夫と土門拳ヒロシマナガサキだ。

企画展「2つのまなざし」会場(筆者撮影)

 土門拳は戦後12年たった1957年に広島に入り、被爆の実態に衝撃を受けて撮影に没頭する。翌年写真集『ヒロシマ』を発表、国内外に大きな反響を呼んだ。

土門拳「十三年寝たきりの人」(土門拳『生きているヒロシマ』)より

土門拳被爆者同士の結婚」(土門拳『生きているヒロシマ』)より

 土門の写真集に影響を受けた一人が、当時20代前半だった江成常夫だ。戦争をテーマにした写真で知られる江成は、1985年に初めて広島を訪れ、被爆をテーマに撮影を始める。

 土門は徹底して被爆した人物を追い、江成は遺品や遺構などの「モノ」にこだわるという全く異なる表現方法だが、二人の写真から伝わってくる原爆の悲惨さに私は圧倒された。

江成常夫「高熱を受け変形したガラス瓶」(江成常夫『被爆』より)

 例えば、江成の「敏行さんの革靴」という写真がある。

江成常夫「敏行さんの革靴」(江成常夫『被爆』より)

 これは広島の爆心地から800mにいた中学2年生の横田敏行さん(14)が被爆したときに履いていた靴だ。

「全身火傷を負ったが自宅に帰りたい一心で、川沿いを歩き、途中出会った知り合いの先生に助けられ、市北部の自宅に帰り着いた。『よう帰った!』母親あきみさんと伯母、妹の晴子さん(10)は涙で迎えたが、敏行さんは体を真っ黒に焼かれ、顔は腫れて目はつぶれ、腕は皮膚がむけて垂れさがっていた。傷口にすぐうじがわくのを晴子さんが一生懸命取り除き、母あきみさんと伯母が寝ずに看病に努めた。しかし、被爆3日後、敏行さんは苦しみぬいて息を引き取った。」(写真集『被爆ヒロシマナガサキ いのちの証』より)

 一つひとつの「モノ」に、言葉にできない悲惨な原爆の実態が投影されていた。
(つづく)

消えゆく鷹匠という生き方

 先日(19日)日本唯一の鷹匠松原英俊さん山形県天童市の自宅を訪ねた話を書いた。https://takase.hatenablog.jp/entry/20221019

 日経新聞の今月7日付朝刊の文化欄に松原さんの寄稿した文章が載っている。松原さんを知らない人もいると思うので、ここに紹介しておきたい。

10月7日日経朝刊

 青森市に生まれた松原さんは、生き物が大好きな少年だった。鷹匠を知ったのは老鷹匠と若タカの友愛を描いた「爪王」(戸川幸夫)という小説からだった。中学で当時「東北最後の鷹匠」とされた真室川町在住の沓沢(くつざわ)朝治さんのドキュメンタリー「老人と鷹」を見て憧れた。これが松原さんが沓沢さんへの弟子入りへとつながる。(テレビの影響力はすごいな)

 沓沢さんは「鷹匠で食える時代は終わった」と松原さんの弟子入りにはじめは首を縦に振らなかった。東北のタカ狩りは冬場に農家が小動物の毛皮を売るための副業だったが、弟子入りを希望した73年ごろは毛皮の需要が激減。ウサギ1羽約100円にしかならなかったのだ。しかし、松原さんは近くで野宿しながら沓沢さん宅に通い、7度目の訪問でやっと認められた。

 だが、師との関係は良好にいかず、1年で独立。電気も水道もない人里離れた小屋でタカと二人きりで暮らし始めた。獲物を捕ることができない苦しい日々。また狩りの前にはタカの狩猟本能を高めるため絶食させるが、その度が過ぎて死なせてしまった痛恨の失敗もあった。

 初めての狩りの成功は独立から3年半後の2月中旬だった。その時の様子を松原さんはこう書いている。

「約20メートル先のノウサギに飛びかかったタカは、勢い余ってウサギもろとも急斜面を滑り落ちた。私も雪の中を転がりながら駆け寄ると、獲物を押さえ込むタカの姿が見えた。この日のために生きてきた。喜びに涙があふれ、自分は世界一幸せだと断言できる瞬間だった。」

天童市の山沿いの集落に松原さんは住んでいる(9月30日に訪ねたさいに撮影)

松原さんが飼っているイヌワシ。4羽の猛きん類のなかでは最も大きい

 松原さんはクマタカなど4羽の猛きん類を飼育する。

鷹匠を取り巻く状況は年々厳しさを増すため弟子は取ってこなかったが、人鳥一体の生き方を目指す方が現れれば培った知識と経験を全て伝えたい。体力が続く限り、私自身もタカとともに歩き続ける。」と結んでいる。

 鷹匠という生き方が、松原さんを最後に消えていくのはとても残念だ。日本の価値ある文化、技能として守り育てることはできないのだろうか。

 家庭や企業の電気代の負担軽減策や財政投融資なども含めた「財政支出の総額は39兆円」などというニュースに、私たちが守るべき大事なものは何かを考えてしまう。

 タカ狩りは真冬に行う。松原さんはそろそろその準備の訓練に入るだろう。これがとても興味深いので、またいずれ紹介したい。
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 ロシア軍によるウクライナのインフラ、特に電力関連施設への攻撃が激しさを増し、4割の電源関連施設が破壊されたという。各地で停電が起き、ウクライナ政府は厳しい節電要請を出した。

《ベレシチューク副首相も25日、国外に逃れた市民に対し、春まで帰国しないよう求めた。エネルギーがひっ迫する国内の電力需要を最小限に抑えるのが狙い。現地の越冬は綱渡りの状況で、ろうそくと植木鉢を組み合わせた「キャンドル暖房」の作り方をメディアが紹介するほどだ。

 ロシアがエネルギー施設への攻撃を強化したきっかけは、8日に起きたクリミア橋の崩落。プーチン大統領は崩落を引き起こした爆発をウクライナ特務機関の工作と断定し「テロリストと同レベルのウクライナ政府に報復する」と宣言した。与党議員らも「ウクライナの生活を18世紀に戻せ」と主張し、インフラ攻撃は市民生活を狙った「兵糧攻め」と認めている。》

 その一方、ロシアはまた気持ちの悪いプロパガンダを流し始めた。

《ロシア国防省は10月に入り「ウクライナ『汚い爆弾』を使用する恐れがある」と盛んに喧伝している。一方、ウクライナ側はロシアが核攻撃を実行する前の「偽旗作戦」と反論。国際原子力機関IAEA)に対し、査察官を派遣して、ロシアの主張に根拠がないことを第三者の目で確認するよう求めている。》(東京新聞27日)

NHK「国際報道」より

 「汚い爆弾」とは放射性物質をばらまく爆弾だが、このプロパガンダの喧伝とならんで、プーチン大統領がリモートで見守るなか、ロシア軍が大規模な核演習を実施した。すでにプーチンに近いとされるチェチェンのカディロフ首長などの強硬派が戦術核の使用を提言するなど、核の使用が現実的可能性として浮かび上がってきている。

 ニュースで連日、核兵器使用の可能性が報じられるなか、私はと言えば、この事態にあまり危機感を感じなくなっていた。「核」に対する感覚がマヒしてしまったのかもしれない。

 そのことに気づかせてくれたのは、先日、酒田市土門拳記念館で開催されていた企画展「2つのまなざし 江成常夫と土門拳ヒロシマナガサキだった。
(つづく)

 

習近平体制下で相次ぐスパイ罪による邦人逮捕

 うちの玄関先に咲いた食用菊「もってのほか」を摘んだ。

 花が小さく、白っぽい(本来はもっと紫がかっている)が、味はOKだ。
 今年2度目の摘花で、母親に持っていくとよろこばれた。うちでは、ちょっと酢を入れてゆがき、春菊かほうれん草と一緒におひたしにして食べる。秋に欠かせない山形のソウルフードだ。
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 きょう、ここ1週間の録画しておいた中国関連の報道に目を通した。目を引いたニュースが二つ。

 一つは、20年近く中国中央テレビで社会問題や当局の対応を鋭く批判する番組を多く制作してきた王志安さんが、言論統制が激しくなって中国を離れ、現在日本からyoutubeで発信していること。日本が中国の自由を求める運動の基地の一つになっていることに気づかされた。

中国ではよく知られた記者だという。(NHKニュースより)

フォロワー数が一千万人超の王さんのアカウントが閉鎖された

 王さんは、きのう書いた胡錦涛の途中退席問題では、体調問題が理由という見立てだ。

「海外のメディアでは『習主席が胡錦涛氏に恥をかかせようとした』という見方もあるようですが、共産党の権力闘争は陰で行われるもので、外部に対しては団結しているイメージを見せたがるのです」。
 その論理もよくわかる。

王さんは現在はYoutubeで中国に発信している(NHKより)

 王さんによると、次世代の幹部の登用が見られないまま、習主席と路線が違う共青団人脈が全滅したことは、習近平が次期もトップをやるつもりであることを意味し、10年間は権力を握り続けるだろうという。

 習近平は記者会見でメディアに「中国共産党の物語を“客観的に”世界に伝えてください」と異例な要望をした。昨日紹介した竹内亮氏のケースを彷彿とさせる。王さんは言う。

NHKニュースより

「そうして社会が“安定”したとしても、私たちが求めるゴールではなく、将来、メディアの空間はますます狭くなり、市民の表現の自由が犠牲にされるのです」。

 今回、ナンバー2の李克強首相は中央委員にも入らず、ナンバー4の汪洋と胡春華副首相は政治局入りがならず降格となった。胡錦涛共青団を権力基盤とする有力者がみな排除された形だ。たしかに“全滅”だが、ここまで熾烈な権力闘争であれば、胡錦涛氏の強制退場が何らかの政治的なメッセージだった可能性もあるように思うが。
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 もう一つのニュースは、中国で6年の刑期を終えて帰国した日本人の話。

 日中青年交流協会の鈴木英司さんは2016年、訪問先の北京で帰国のため空港に行ったところ、突然当局に拘束された。「スパイ活動に関わった」という容疑だった。裁判では懲役6年などの判決を受け、今月11月に刑期を終えて出所したばかりだ

中国での逮捕拘束に大きな不満と不信感を抱く鈴木さん。名前も顔も晒して証言した人を私は初めて見た(NHKニュースより)

 逮捕自体がまったくの事実無根で、裁判もでたらめだったと鈴木さんは訴えている。鈴木さんは日中交流をする団体で活動しており、スパイなどする動機もないだろう。

 鈴木さんは同じ刑務所で、2015年に北京で拘束され、懲役12年の判決を言い渡された日本人男性と知り合った。房は1階と3階で別々だったが、運動の時間などに会って、いつ出られるだろうかと言葉を交わしていた。その彼は、服役中に体調を崩して今年2月に死亡したという。鈴木さんは悔しさを露わにしたが、実はまったくの濡れ衣で逮捕・起訴され、異国の過酷な刑務所に長い人生の時間を費やす日本人は相当数いる。

 次は一昨年、20年7月3日付の朝日新聞の記事である。日本のマスコミがこの問題を取り上げるのは珍しかったので、切り抜いて壁にピンで留めていた。

ピンで留めておいた2年前の記事

スパイ罪の邦人 刑期終え帰国へ

 中国各地で2015年以降にスパイ罪などに問われて有罪判決を受ける日本人が相次いでいる事件で、中朝国境の遼寧省丹東市で拘束された神奈川県の50代男性が近く、懲役の刑期を終えて出所する見通しになっていることが日本政府関係者への取材でわかった。出所後すぐに帰国する見込みだといい、一連の事件で有罪とされた中で初の帰国者になるとみられる。

 男性は15年5月に拘束され、詳しい容疑などは明らかにされないまま翌年にスパイ罪などで起訴された。18年7月に同市の中級人民法院(地裁に相当)で懲役5年の判決を受けた。

 男性の関係者によると、男性は在日朝鮮人の父と日本人の母と一緒に北朝鮮に渡り、後に脱北して日本に戻って日本国籍を取得していたという。

 中国で15年以降にスパイなどの容疑で拘束された日本人は少なくとも15人に上り、うち9人が懲役の実刑判決を受けている。(平井良和)》

www.asahi.com

 この男性の場合は、1959年以降のいわゆる「帰還運動」で北朝鮮に渡り、のちに脱北したというちょっと特殊なケースだが、理不尽にも日本国籍者の身体の自由が奪われたことには違いない。

 証拠もなく拘束され、まともな裁判もなしに長期に劣悪な環境の刑務所に多くの日本人が入れられている。私はこれは大問題だと思うのだが、みなさんはどうですか?

 日本人に対するこの酷い人権侵害をマスコミはもっと大きく取り上げてほしい。

中国当局の政策を映像で支える日本人

 ここ数日冷え込んでいる。節季は霜降(そうこう)。霜が降りはじめる頃だ。

 初候「霜始降(しも、はじめてふる)」が23日から。28日からが次候「霎時施(こさめ 、ときどきふる)」。11月2日からが末候「楓蔦黄(もみじ、つた、きばむ)」。

 どこかの山に紅葉を見に行きたい。
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 先週土曜日の中国共産党大会閉幕式での胡錦濤前総書記が途中退席させられたシーンは異様だった。体調不良あるいは党内対立か、と原因が不明だが、明らかに退席を強いているように見えること、取材陣が会場に入った直後にこれが起きていることがさまざまな憶測を呼んでいる。

 シンガポールのメディアが撮影した映像が興味深い。

FNNニュースより

 机上の赤い表紙の書類を見ようとする胡氏を、左隣の栗戦書全人代常務委員長が制止して書類を引き寄せた。さらに、右隣の習近平総書記の手元の書類へ手を伸ばした胡氏が再び制止されたように見える。そこに係の男性が習主席の元にやってきて、指示に耳を傾けている。習主席は、隣の胡氏に目を向け、その様子を気にしているようだが、退任が決まった李克強首相は前を見るばかり。その後、係の男性が再び習主席の横に来ると、習主席は手ぶりも交えて指示を出すが、一方の胡氏は、ほとんど身動きをしない。
李首相はじめ他の幹部らもこのやり取りに関心さなげに前を向いている。まるで予知していたかのように。

 大会の議事の円滑な進行を見せたければ、カメラが入る前に胡錦涛氏を退席させておけばよいのに、わざわざ撮影させている。オレに逆らったらどうなるかわかるか、と見せしめにしたとの推測もできる。

 翌日決まった人事を見ると、露骨な習近平個人独裁体制だ。この政権の行方を考えると恐ろしくなる。
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 『文藝春秋』11月号に安田峰俊氏の「『親中日本人』の言い分を聞いてみた」が載っていて興味深く読んだ。

bunshun.jp


 ここで言う「親中」とは中国の歴史や文化のみならず、共産党政権やその政策をも好意的に評価する人のことだ。

 半世紀前、毛沢東体制を賛美していた日中友好人士の時代以来、久しぶりに親中日本人の存在が目立っていると安田氏はいう。

 《往年の日中友好人士の動機には、社会主義への理想や日本の対中侵略への贖罪意識があった。ならば令和時代の「親中日本人」を動かす理由は何か。》という安田氏の問題意識はおもしろい。

 ここには「親中日本人」の代表として取り上げられているのが、昔からよく知っている人物だった。ドキュメンタリー監督の竹内亮氏(43)。彼は中国人女性と結婚して南京に移住し、映像制作会社を立ち上げて大成功を収めている。

 中国に住む前、竹内さんにいくつもの番組の制作をお願いした仲である。若手の実力派ディレクターとして私たちのあいだでは期待されていた。

 竹内氏は中国に移住した直後は、日本からの撮影、コーディネートなどの依頼仕事を奥さんとともに受けており、私も当時、中国でのイベントの取材を彼に頼んだことがあった。次第に中国に暮らす日本人、日本に暮らす中国人をドキュメンタリーにしてネット配信する業務で人気を博し、従業員をどんどん増やしていった。

 安田氏の取材によれば、2020年のコロナ禍で、竹内氏の中国当局との蜜月がはじまるという。

 20年の《6月に武漢市のコロナ復興を描いた『好久不見、武漢』(お久しぶりです、武漢)、翌年1月には中国が防疫政策に成功してコロナ後の時代に入ったとする『後疫情時代』(アフターコロナ時代)などの映像作品を次々と発表する。いずれも政策のポジティブ面を伝え、初動の混乱で生じた市民の被害やロックダウン下の人権侵害にはほぼ言及しない内容だ。

 当時、中国当局は自国の国民管理体制に由来したコロナ対策の正しさを誇っており、竹内の作品はそうした見解を強く補強する内容だった。

 結果、彼は中国で一気に名を知られていく。まず2020年12月30日、党中央機関紙『人民日報』ウェブ版がトップ記事で彼を報道。さらに2021年1月6日には、中国外交部の記者会見で華春瑩報道官が『後疫情時代』を名指しで「中国の取り組みの真実を偏見なく記録した」と大絶賛した。

 いっぽう、竹内は同年2月12日、「世界で一番手に入れるのが難しい」(本人ツイッター)とされる中国の永住権(永久居留身分証)を取得。同年5月17日には、なんと中国の公務員試験で「竹内亮」の名前を選択する問題までも出題された。》

竹内氏はひんぱんにファンの集いを開いている。若い中国人の間で彼の人気は絶大だ。(文藝春秋より)

 いま、竹内氏の会社『和之夢』の収益は中国企業の協力作品あるいは広告映像が主になっているという。

 さらに彼は米国から締め出されたあのファーウェイが制作費を出した『華為100張面孔』(ファーウェイ百面相)という番組を7本作っている。これは22年3月12日、SNS『微博(ウエイボオ)』の動画再生数が全中国で1位を記録し多くの中国人に支持された作品だという。

 竹内氏は米国がファーウェイにかけた疑惑を晴らす役割を果たしていることになる。中国人ではなく、日本人が作る作品であることで、絶大な説得力をもつ。国策を強力に後押ししてくれる得難い助っ人外国人になっているわけだ。

 安田氏の「中国の負の面への目配りは?」との質問には―

 竹内「興味がありません。見ないように意識しているのではなく目に入らない。僕は自分を客観的とは思いません。自分が撮りたいものを撮っているだけで、すごく主観的です。」

自分の息子を人民解放軍の児童教育(それも21日間のもっともヘビーなコース)に入れた竹内氏は、その「効果」を嬉しそうに報告している。天安門でもチベットでもたくさんの人民を殺した軍隊なんだが・・・これも「目に入らない」?(20年8月のツイッターより)(顔にモザイクを入れました)

 彼は今、中国でもっとも有名な日本人といっていいが、SNSでの発信を見ると、自分の人気の高さを単純に喜んで誇る、安田氏の表現を借りると「イノセントさ」が目につく。かつての彼とはだいぶ違うなと感じる。

 去年、私はこのブログで竹内亮氏に「ますますの活躍を祈っている」と、イノセントにエールを送っていた。

https://takase.hatenablog.jp/entry/20210210

 しかし、安田氏の指摘のように、当局のお墨付きのもとでの映像制作となると、その姿勢が問われざるをえない。

 竹内氏の変化で想起したのが、政治的立場はまったく異なる櫻井よしこだ。

拉致問題の国民集会では司会をつとめる櫻井氏(今年5月の国民集会にて)

 今や極右の広報官と言っていい活躍ぶりだが、彼女をテレビニュースの世界に引きこんだ人に聞くと、はじめは政治的にはまったく無色、というより政治にさほど関心があるようには見えなかったという。『今日の出来事』のキャスター時代は、自分の意見は抑えめで、プロデューサーの指示をよく聴く優等生のMCだったそうだ。

 それが「朱に交われば」で次第に染められ、担ぎ出されていくうち、「立場」が商売になっていったように見える。多くの右翼メディアに寄稿しインタビューされ、講演会に呼ばれしていくうち、櫻井よしこ氏にとって、「右」は収入源として生活を支え、そして生き方にもなっていく。

 他山の石として省みよう。

 

日本人難民を北朝鮮から救った男


 死ぬ大事忘れるほどに秋澄めり (山梨県市川三郷町 笠井彰)

 秋の澄んだ空気に浸っていると、生死すら忘れてしまうほど。今朝の朝日俳壇の入選句より。

 イムジン渡河五歳の秋や今元気 (新宮市 中西洋)

 敗戦後の朝鮮半島での逃避行を詠んでいる。時はすでに秋、五歳の子どもが親に手を引かれてイムジン川を渡り、米軍統治下の南朝鮮にたどり着いた。多くの邦人が満州や半島北部からの逃避行で命を落としている。生死を分けた渡河だった。

イムジン河(2017年筆者撮影)

 この句で思い出したのが、月刊『文藝春秋』9月号の城内康信「日本人難民を北朝鮮から救った『神様』」だ。

 敗戦時、朝鮮半島にいた70万人の在留邦人が「難民」と化した。ソ連軍が北緯38度線で国境を封鎖したため、そのうち28万人が半島北部に閉じ込められる事態になった。彼らの生活状況は劣悪で、咸興(ハムン、日本海側の町)では、栄養失調、発疹チフスなどの感染症の蔓延で、1945年8月から翌年春にかけ6人に1人が命を落とすという悲惨さだった。

 そこに立ちあがった松村義士男(ぎしお)という34歳の民間人がいた。

 ソ連軍司令部に嘱託として潜り込んで情報を集め、「朝鮮共産党日本人部」などという看板を掲げるなどの奇計も駆使しながら、邦人を南に脱出させ、さらに日本に引揚げさせる計画を綿密に練って静かに実行した。

 正式な引き揚げが始まったのは46年の12月だったが、その時点で半島北部に残っていた日本人は8千人に過ぎなかった。あまりの少なさにソ連軍責任者が唖然としたという。つまりおよそ30万人をソ連軍にも把握されない形で南に送ってしまったのだ。松村は在留邦人から「神様」と呼ばれるほど、信頼と尊敬を集めていたという。

松村義士男(文藝春秋9月号より)

 この松村という人物がとてもおもしろい。筋金入りの左翼だったのだ。

 11年熊本県生まれ。32年、20歳のとき咸興の「チッソ」の前身の工場で朝鮮人共産主義者労働争議を起こして逮捕。36年には大阪で日本共産党の再建に加担したとして逮捕。その後、共産党の入党の誘いを断って再び朝鮮に渡っている。

 戦後は延岡で土建業を興し、67年、55歳で亡くなっている。

 名前のとおり義士だが、どういう人物だったのかもっと知りたくなる。城内さんはいま彼についての本を執筆中のようだから期して待とう。

 ユダヤ人にビザを発行して命を救った杉原千畝が知られるようになったのも近年になってのことだが、あの戦争のとき窮地にあった人々を救った多くの「神様」たちが、知られぬまま埋もれているのだろう。

 また、私たちは、ウクライナ難民を他人事として見がちだが、多くの日本人が難民になった時代があったことも忘れないようにしよう。
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 ついに「ADKアサツーDK)ホールディングス」の植野伸一社長までが逮捕された。

 アサツーといえば電通博報堂につぐ業界3位の企業。五輪をめぐる贈収賄事件は、いったいどこまで広がるのか。

 この問題にくわしい森功さん(ノンフィクション作家)によれば、事件の構図はこうだ。

 収賄構造の中心には「文教族」でスポーツ団体に力をもつ森喜朗元首相がいる。AOKI、KADOKAWAとも、高橋治之容疑者の仲介で森元首相と面会したが、この面会で五輪スポンサーになれると確信したので高橋容疑者に金を払っている。森元首相は、企業に金を出させる“決め手”の役割を担っていた。

 高橋容疑者の弟、高橋治則氏は、バブル期の狂乱を代表する人物。資産1兆円ともいわれた不動産会社イ・アイ・イ。インターナショナル社長で、後に金融機関への背任容疑で逮捕された。高橋容疑者は、この弟と二人三脚で、政治家やタレント、スポーツ界に人脈を築き、政界では安倍元首相の父親、晋太郎氏から清和会にも広がっていった。

 森元首相と高橋容疑者が関係を深めたのは2000年前後で、森元首相が親しくしていた電通成田豊社長に地元後援者の頼みを聞いてくれるよう依頼したことがきっかけだった。この時、電通側で対応したのが社長側近の高橋容疑者だった。

 ここから、森元首相電通、高橋容疑者が組んでスポーツイベントを仕掛ける蜜月が始まった。(赤旗日曜版より)

 この癒着構造は徹底して糾明してほしい。

とりあえず、これまでのところ。(TBSサンモニより)

 それにしても、東京五輪については、はやくも誘致段階からどす黒い金が動いていたことは分かっていた。また、実際の準備がはじまってからも、電通を主体にした運営体制が不可解なお金の流れを仕切っていることが内部から告発されていた。こうした“疑惑”に十分光が当てられなかったことによって、膨大な無駄、ひいては国力の減退を招いた。
五輪をめぐるマスコミの批判的報道が弱すぎた。五輪という国策を成功させたい政権への忖度が働いたためだろう。猛省を。

 世界で日本ほど五輪をありがたがる国はないそうだが、東京五輪でこれだけ痛い目を見たのに、2030年の冬季五輪をやろうなどと騒いでいる。札幌五輪、断固反対。

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 その一方で、さわやかなスポーツの話題。

 

 「スピードスケート・全日本距離別選手権」の女子500メートルで、小平奈緒(36)=相沢病院=が現役ラストレースで37秒49をマークし、大会8連覇、通算13度目の優勝を達成。すがすがしい笑顔でリンクに別れを告げた。

彼女、どんどんいい表情になっていると思う。(TBSサンモニより)

 彼女の生き方には品格があり、尊敬する。

https://takase.hatenablog.jp/entry/20191113

  レース後ー

 (記者)引退お疲れさまでしたで合っているか。

 「おめでとうの方がうれしい。私の歩みはまだまだ止まらないので。スケートリンクというフィールドを超えたところに飛び出していく、それが今日。元気よく飛び出して、たくさん失敗して、チャレンジして進みたい」

 今後の活動を見守りたい。

 

 

人権弁護士の資格を剥奪する「法治」中国

 今回の山形の自転車旅では、初めて知ったことがたくさんあり、いかに故郷のことに無知だったかを思い知った。

 山形市について旧友の家を訪ねると、「いっしょに飯でも食おう」と誘われ、付いていったらそこは「四山楼」という料亭だった。料亭なるものに初めて入って洒落た料理を食べていると、そこに入ってきたのは芸者さん。

 えっ、山形に花柳界があったのか!? 知らなかった。

 というわけで、昼間から舞妓さんの踊りを見ながらワインを飲んでいい気持ちに。

三味線は芸妓の菊弥さん、踊りは舞子のすみれさん(右は四山楼の女将)

 聞けば旧友は廃れゆく山形の花柳界の伝統を守っていこうという活動をしているという。山形市の6軒あった料亭は、ここ数年で3軒となり、現在山形市の芸妓は5人、舞妓は2人にまで減った。それでも、山形には、小菊さんという、98歳の日本最高齢の現役芸妓もがんばっているそうだ。

 酒田市にも花柳界があるという。こちらは北前船で関西と結ばれていた土地柄、京都風で、江戸風の山形市とは着物の着方から踊りまで違うのだという。

酒田舞娘の踊り。フランスで開かれた北前船の食・文化を紹介するイベントのNHKニュース

 最高齢現役芸妓、小菊さんに一度会ってみたいな。
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 中国共産党大会は習近平の個人崇拝が際立つ形で終わり、習主席は異例の3期目が確実になった。

 習体制になってからの10年は、一方での経済、科学技術、軍事、スポーツなどあらゆる分野における中国のすさまじい発展と、他方での自由の抑圧とりわけ言論統制の強化が同時に見られた。

 ゼロコロナ政策の実態は、一つの都市を刑務所にしたのかと思わせるほど市民の行動を制限している。以下は18歳で四川から上海に来て専門学校に通い、卒業後も上海で働く会社員女性(26)のケース。

《たまたま友人宅にいたときに、上海は突如ロックダウンに突入した。そのまま、まったく外に出られない生活になり、気分は落ち込んだ。

 病院に行くことができずに亡くなった高齢者、絶望して自殺した市民、そうしたニュースを見ては、友人が寝た後に一人で涙を流した。そして、「これまでにないほど、自分の人生について考えた」。

 封鎖が解除され、徐々に日常が戻っていくのも、悲劇が風化するようでつらかった。あれから半年を迎えようとしている今、表向きは活気を取り戻しているが、かつての自由な上海は幻のように感じる。

 感染対策アプリによる移動履歴のチェックが徹底され、行き先は政府に筒抜けだ。出張で上海を離れれば、現地の防疫当局から直接電話がかかってきて、「どこから来たのか」「何しに来たのか」などと聞かれる。「まるで取り調べ。プライバシーなど何もない」とため息が出る。(略)総書記の習近平は3期目続投が確実視されている。女性は将来に悲観的だ。

「できるなら中国から逃げたい。中国を北朝鮮みたいだと言う人もいるけど、独裁が強まる中国はもう『西朝鮮』になっている」》(朝日新聞20日朝刊「上海からの予言」(下))

 各地で感染が拡大した9月上旬には、都市封鎖や移動制限は49都市の約2億9170万人、中国人の5人に1人に及んだ。ロックダウンは経済も傷つけ、4~6月の失業率は全国で最高の12.5%を記録。解除後に300万人が上海を離れたという。

 方方『武漢日記』は、筆者が「売国度」とネットで攻撃され、発信を削除されても武漢の実情を伝え続けた記録だが、彼女の日常生活の描写から、親戚との親密な絆、隣人や友人同士の細やかな助け合いなどの中国庶民の人間関係がうかがえて、心温まるものを感じた。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20201016

 方方氏は共産党による感染事実の隠ぺいなど多くの理不尽を批判、追及する一方で、感染者数に一喜一憂しながら、力を合わせてコロナ禍を乗り切ろうと努力する医療関係者や庶民については同胞として暖かい目線で描いている。多くの市民は、当局による厳しい規制に協力する姿勢であったようだ。私も当時は、中国のやり方には他の国がまねできない強引さがあるが、あれはあれで一つのやり方だろうと思っていた。

 ところが、2年後の上海のロックダウンになると、人々の受け止め方は違ってきている。習指導部のメンツを保つためのコロナ撲滅運動に、明らかな人権侵害を感じ、不満を訴えているようだ。

 言論統制の強化は、放送や新聞・出版だけでなくネット上でも「異論」に接することが困難になり、異論を持つ人の存在すら抹殺しようとするところまでになっている。

 今回の共産党大会でも、改革を訴える市民運動汚職への抗議行動など社会の安定を脅かすものは取り締まり対象になるとされる。習近平自身が汚職撲滅をかかげながら、市民らが自発的に行動するのはダメだというのだ。

 NHK「国際報道」が先日特集した元人権派弁護士のケースには慄然とさせられた。

 人権派弁護士の常瑋平さん。不当な立ち退き問題などで市民の弁護を担当してきたが、当局にたびたび拘束され拷問を受けてきた。

この動画を投稿して6日後に拘束された(以下、NHK国際報道より)

 拷問を受けて身体に異常が出たとSNSに動画を投稿した6日後、常さんは逮捕され弁護士資格を剥奪されるとともに国家政権転覆罪で起訴される。

 妻の陳紫娟さんは夫との面会が許されず2年以上安否を知ることもできないでいる。陳さんはSNSで拘束は不当だと訴えてきたが、当局によって陳さんの中国国内のアカウントは発信しても他の人が見れないように規制されている。さらに当局による厳しい監視も続く。ことし7月、夫の初公判の知らせを受け、裁判所に車で向かったところ、途中で警察の車両に囲まれ、裁判所には行けなかった。

裁判所への途上、警察車両に囲まれて妨害され先に進めなくなった

 日常的な監視だけでなく、職場へのいやがらせもあり、同僚の目の前で犯罪者のように扱われるなど「卑劣な手段をたくさん用います」と陳さんはいう。

 外国のSNSを通じて夫の情報を発信しつづけている陳さんは厳しい状況のなかでも発信を続けていくという。

「全ての羊は言うことをきかなければなりません。標準的でなければ連れ出されて殺されます」と陳さん

「公平と正義のために声をあげることが許されないこの国の未来は、もっと悪くなるとしか思えません」(陳さん)

 中国共産党は「法による統治」=「法治」を推し進めるとしているが、資格を剥奪される人権弁護士は増え続けているという。

 拘束された弁護士の弁護などを担当していた余文生さん

 4年前、子どもを学校に送ろうと家を出たところ警察に取り囲まれ拘束されたが、その数日前には弁護士資格を剥奪されていた。「国家と政権の転覆を煽った罪」で起訴され、懲役4年の判決を受けた。

 今年3月に刑務所から出所したが、長期間劣悪な環境で取り調べをうけ、利き腕の右手が思うように動かなくなったという。

右手の異常を訴える余さん

 余さんは資格を剥奪された弁護士のリストを見せてくれた。習主席が共産党のトップについてからの10年で少なくとも40人の人権弁護士が弁護士資格を失っている

少なくとも40人の人権弁護士が資格を剥奪されたという

 余さんは経済的に厳しいなかでも周りの人たちの相談に乗り、人々の権利を守っていきたいと考えている。

「いま実際に恐怖が人々の心に立ち込めています。このような状況が続けば未来を想像できません」と余さんは憂えている。

 最近では、中国本土で逮捕された香港の民主活動家を弁護しようとした弁護士が資格を剥奪され当局の監視下に置かれている。微妙な事案については、弁護士が委縮する傾向も見られるという。

 「法治」といっても、法律自体が民衆の自由を抑圧する手段になっている現状は、権力の恣意を防ぐという本来の意味での「法の支配」とはまったく異なる。

 

takase.hatenablog.jp

 一定の所得水準になれば、自動的に民主主義が根付くなどという「理論」が流行ったこともあるが、中国では国が富裕になればなるほど自由が抑圧される事態が続いている。

鬼海弘雄さんの「誰をも少し好きになる」写真


 統一協会自民党議員に「政策協定」への署名を要求していた!

 きのうの朝日新聞のスクープだ。

19日朝刊。朝日のスクープですぐに国会論戦にも使われた

 「推薦確認書」という文書で、選挙で支援する見返りに、記載された政策への取り組みを求めるもので、政策協定そのもの。

 内容は、憲法改正、安全保障体制の強化/家庭教育支援法、青少年健全育成基本法の制定/LGBT問題、同性婚合法化の慎重な扱い/「日韓トンネル」の実現を推進/国内外の共産主義勢力の攻勢を阻止など。

 これだけではなく、「基本理念セミナー」への参加も求めたという。セミナーには泊りがけのものもあり、議員に協会の教え(統一原理)にシンパシーをもたせ、最後は食口(しっく=信者)にするのが目的だろう。

 統一協会は、自民党議員を一方的に支援しているのではなく、自分たちの理念、政策の実行部隊として位置付けていることが明らかだ。もともと統一協会の目的は、この世を協会のいう「天一国」(理想郷)にすることなので、国の政策に影響をおよぼし、さらには国家権力を握ろうとするのは当然のことだ。

 政治家が統一協会から「支援を受けたかどうか」の調査ではすまされない。
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 ウクライナでは、クリミア大橋の爆破へのロシアによる大規模報復で、発電所など電力インフラが大きな被害を受けた。ウクライナ発電所の3割が破壊されたとのこと

yahoo

 プーチン大統領は5日、欧州最大規模のザポリージャ原発ロシアの管理下に置く大統領令に署名した原発をロシア国営にしたわけで、ここで発電される電気はみなロシアに送られることになる。ロシアはウクライナを電気の兵糧攻めにする気らしい。

 ウクライナでは多くの地域で停電になり、ついで節電要請が出された。各種産業はもちろん市民生活にも大きな影響が出ている。停電すればモーターが止まり、アパートなどでは水も出なくなる。発電所が破壊されれば復旧には時間がかかるし、復旧すればまたターゲットにされる。ウクライナにとって非常に厳しい状況をロシアは作り出している。

 ウクライナはこれまで、電力を欧州諸国に輸出してきたが、国内への電力確保を優先して当面輸出は中止したウクライナが貴重な外貨収入を失っただけでなく、ウクライナから電力を買っていた国も困っている。ロシアのガスへの依存を低くしようと、ウクライナからの電力を使いながら、ガスを少しづつ備蓄して冬に備えていく計画が狂ってしまったからだ。ウクライナで電力不足になることは連鎖的に影響が広がって、冬の燃料不足が憂慮される欧州がどこまで対ロシア強硬姿勢を保てるか。

 何度も繰り返すが、この戦争ではロシア本国に砲弾は落ちない。ウクライナ軍が反撃して撃つ砲弾もウクライナを破壊するだけだ。ウクライナが一方的に被害を被っている戦争だということを常に忘れないようにしたい。
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 19日は同郷の写真家、鬼海弘雄さんの命日だった。亡くなってもう2年経つが、とても尊敬していた人なので、今も喪失感が消えない。

 このあいだの山形への旅の最後の日、10月9日に故郷の寒河江市の美術館でやっている鬼海弘雄 ポルトガル・マルタ」を観に行った。

寒河江市美術館10月9日 以下筆者撮影

 鬼海さんの写真はほとんどが白黒なのだが、ポルトガルとマルタでは珍しくカラーで撮影している。このとき撮影したものは写真集『in between』に収められているが、今回の展示ではこれまで発表されなかった作品がおよそ半分を占めている。行ったかいがあった。

 鬼海さんには『誰をも少し好きになる日』というフォト&エッセイ集がある。

takase.hatenablog.jp

 写真を通じて人への信頼を回復し、人を好きになっていくというのが鬼海さんの信条だったと私は理解している。

 「ポルトガル、マルタ」展に展示された写真からは、旅情とともに、人って愛すべきものだなという暖かいものが立ち上ってくるように感じられる。

 私の旅の良い締めくくりになった。

未発表

郵便配達の来る時間

ゆるやかな坂道

魚を待つ猫たち

未発表

嬉しい日曜日

未発表

道に迷った人と初めて携帯電話をためす少年