「法と秩序」を守るにはトランプが退場すべし

 月は霜月。「霜降」(そうこう)は今日までだった。
 先月23日から初候「霜始降」(しも、はじめてふる)。
 28日からが次候「霎時施(こさめ、ときどきふる)。
 末候が今月2日からで「楓蔦黄」(もみじつた、きばむ)。
 紅葉の時節だ。明日から節季は立冬。はやいなー。

 夕焼けが鮮やかなのは季節のせいだろうか。きょうも天空の雲すべてが朱に染まっていた。

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刻々と色が変わる夕焼け。だが、視界に電線がたくさん入ってしまう。

 ああ、写真に電線が入る・・。
 で、思い出したのが、外国人の目から見た、日本の風景の「撮りたくない」ものワースト3。
 外国人観光客の間では、「日本の観光地では写真を撮ると、必ず何か撮りたくないものが写り込む。それを入れずに撮れたら、それがベストショットだ」と言われているそうだ。
 その「撮りたくないもの」のトップ3は、①工事現場などにある赤いコーン、②電信柱と電線、③看板
 こう指摘するのは、スイス人のステファン・シャウエッカーさん。(以上はシャウエッカー著『外国人だけが知っている美しい日本』大和書房P204より)

 シャウエッカーさんとは、以前『ガイアの夜明け』で取材させてもらったご縁だ。
Japan Guideという外国人ツーリストが最もよく利用する日本観光案内サイトを運営している。

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 会員数は約100万人、月間ページビュー800万。”Japan”の一語だけでgoogle検索すると、上から3番目か4番目に出てくる。

www.japan-guide.com


 東日本大震災の後、すぐに被災地に入り、海外のデマや不正確な情報(日本の北半分は放射能で危険だ、とか)を正し、観光客を呼び込むことで復興に貢献するなど、すばらしい活動を続けている。
 日本にいる外国人ツーリストに「日本の旅の情報をどうやって得ていますか」と取材すると、7割から8割がJapan Guideと答えた。ここ10年のインバウンドの急増にはJapan Guideがかなり寄与しているはずだ。いまはコロナ禍で大ピンチだと思うが、なんとかがんばってほしい。

 さっきの話に戻ると、たしかに日本の町では、どの方向にカメラを向けても電線やら看板が写ってしまう。それに我々は慣れて、気にならなくなっているらしい。
 「きれいな花が咲いている桜の木のそばに電柱や看板があっても、日本人は桜だけに注意がいって、他のよけいなものを意識からのぞいているようですね。日本人の特技です」とシャウエッカーさんに言われたことがある。

 外からの目は、自分では気がつかないものを教えてくれる。
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 アメリカ大統領選挙。いま6日の夕方だが、まだ開票が続いていて「当確」が出ない。

 今朝の朝日川柳より
 テッポウを構え決着待つ選挙 (栃木県 井原研吾)
 もう少し賢い国かと思いきや (和歌山県 坪田和子)
 唯一の見習うべきは投票率 (兵庫県 井上竜太)
 
 今回は選挙キャンペーン中から異様な緊張感が漂っていた。

 とくに、8日にFBIが、ミシガン州のグレッチェン・ウィトマー知事(民主党)の拉致計画を阻止し、13人を逮捕した事件は衝撃的だった。

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 13人は武器使用の訓練をし、投票日の前に200人を集めて同知事を襲う計画だったという。ウィトマー知事は新型コロナウイルス対策に熱心でロックダウンを行おうとし、これに懐疑的な人々から敵視されていた。
 グループに潜入していた覆面捜査官がたまたま情報を入手したから阻止できたが、それがなかったら拉致されていた公算が高い。殺害されたかもしれない。

 ウィトマー知事は8日の記者会見で、自らを拉致する計画は、ドナルド・トランプ大統領の発言と関係があると主張。トランプは過去数カ月間、「不信感をあおり、怒りをたきつけ、不安や憎悪、分断を広める人たちに温情を与えている」と述べた。

 トランプは4月、「ミシガンを解放せよ」と無責任なツイートをして同州政府への抗議行動者を支持。翌月、ロックダウンに反対する武装抗議行動者らが州政府庁舎になだれ込んだが、今回逮捕された13人のなかの2人はそこにいた。

 この事件のあと17日にミシガン州に入ったトランプは集会の演説でウィトマー知事を「刑務所に入れろ」と発言。これにホイットマー知事はツイッターで即座に反応し、「こうした発言こそが私や家族などの命を危険にさらすもので、やめるべきだ」と非難した。

 トランプは明らかに暴力を煽っている。これが大統領のすることなのか。
 アメリカでは近年、数多くの暴力事件に市民の武装集団が関係していて、国土安全保障省は年次報告書で、暴力的な白人至上主義が「国内で最も根深く致命的な脅威」だとしている。もっともアブナイのは、イスラム過激派などではないのだ。

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アメリカの各地で跋扈する白人至上主義の武装集団(写真は「国際報道」より)

 トランプは「法と秩序」を呼号するが、暴力集団を扇動するトランプが退くことが法と秩序を守ることになる。

気がもめる米大統領選挙結果

 アメリカ大統領選が大変な接戦で気が休まらない。

 投票率は66.9%の記録的な高さだという。アメリカではまず選挙人登録をしなければ投票できず、場所によっては投票所が少なく何時間も並ばないといけないなど、投票へのハードルがあることを考えると、いかに関心が高いかが分かる。

 私は今の国際情勢においては、アメリカの決定的凋落は非常に危険だと思うので、トランプにはぜひ退場してもらいたい。
 事前予想ではバイデンが余裕で勝てそうだったのに、フロリダ州がトランプに落ちたとの速報はショックだった。いまバイデンが盛り返しているが、このあと波乱があるかもしれない。何をやるか分からないからな、トランプは。

 選挙戦のなかではトランプの非道ぶりがむき出しになっている。
 テキサス州の高速道路で30日、トランプ支持者の車数十台が、バイデン陣営のキャンペーンバスをとり囲んで威嚇し、バイデン陣営が「安全上の懸念」を理由に3つのイベントを中止する事件があった。FBIも捜査に乗り出したのだが、トランプは、バスをとり囲む動画をシェアして「I LOVE TEXAS!」とツイ―トし、危険な行為を煽っている。

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バイデン派のバスを取り囲んで嫌がらせ

 投票日翌日の4日午前2時半(日本時間午後4時半)ごろ、まだ優劣がはっきりしない段階でトランプは一方的に勝利を宣言した。

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一方的に勝利宣言するトランプ(CNN)

 《米メディアは一斉に批判。CNNアンカーのジョン・キング氏は「ここは米国だ。ベラルーシではない。大統領が当選者を決めるのではない」と批判した。》(朝日新聞

 さらにトランプは票の集計に不正があるとの根拠のない陰謀論を振りまき、不利な州では票の数え直しや開票作業の中止を求めて法廷闘争に持ち込むという。常軌を逸している。

 ワシントン・ポスト紙は「トランプ氏の誤った勝利宣言や、票の集計中止を求めることで選挙を破壊する試みは、国家の安定への最も深刻な威嚇」と非難。日本から見て、こういう駄々っ子のようなアブナイ人物が半数近い票を集めているのが不思議でならない。

 ニュースによると、いくつかの開票所に、銃を持ったトランプ支持者が押しかけているという。これが民主主義の先進国なのか・・。

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トランプ支持者の「開票をやめろ」行動に対して最後の1票まで数えろと各地でデモが起きている(国際報道より)


 ただ、トランプの勝利宣言をYoutubeで確認すると、トランプが「我々は勝った」と断言したあとに登場したペンス副大統領が「票の集計が続く間、注視し続けよう。投票の権利は建国以来、民主主義の根幹だ。公正さを守っていく」と語っていて、最低限の良識を示したように思う。

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(「国際報道」より)

 一方、バイデンは5日に行った演説でこう語っている。
 《この選挙が終わったら、選挙運動の激しい言い合いは後ろにおこう。熱を冷まそう。もう一度互いを見て、相手に耳を澄まそう。互いに尊敬しいたわり合おう。団結しよう。国としてまとまろう。
 簡単なことではないのは分かっている。甘い見方はしていない。誰もが甘くは考えていないだろう。たくさんの問題で、いかに深く激しく意見が対立しているか、分かっている。
 しかし、次のことも分かっている。
 前に進むためには、相手を敵として扱うのをやめなければならないことを。》

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 トランプのせいでひどく分断されたアメリカでは、次期大統領は「癒す人」であることが求められる。バイデンに勝ってもらうしかない。

 選挙選で見せつけられたのは、アメリカという国のおどろくべき多彩な顔である。
 アメリカでは、堕胎禁止などを主張するキリスト教福音派が人口の25%をを占めており、いまだに進化論を学校で教えない地域さえある。こういう人たちがトランプの岩盤支持層になっている。と思うと、議会選挙では日本なら考えられない人たちが当選している。
 ニューヨーク州では民主党から、リッチー・トーレス氏とマンデア・ジョーンズ氏が、黒人の同性愛者として初めて連邦下院議員に当選デラウェア州では、サラ・マクブライド氏(30)が初のトランスジェンダー女性として上院に当選を果たした。マクブライド氏はLGBTQ(性的マイノリティー)の権利団体「ヒューマン・ライツ・キャンペーン」の広報主任を務めている。

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当選したサラ・マクブライド

 アメリカという国には、次々に新しいものを生み出す先進性と、とんでもない保守性とが同居している。

 それにしても、はやくバイデン勝利で決着してくれないかな。 

鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」3

 タイの民主化運動は山場を迎えつつある。
 7年もタイに暮らしたので、他人ごとではない。

 追いこまれたプラユット首相は国会で、憲法改正論議をはじめてもいいと、一見「妥協」したかのような姿勢を見せたが、若者たちは「まやかし」だとして矛を収める気配がない。
 タイではこれまでも大規模な民主化運動が体制危機につながりそうな時が何度かあったが、本格的な王室改革がテーマに上がったのは今回がはじめてだ。それだけにこの運動は単なる「倒閣運動」にとどまらず、「革命」の様相さえ帯びてきた。
 先代のプミポン国王なら、両者の間に割って入って喧嘩両成敗で膠着状態を打開しただろうが、現国王は、王室支持派のデモをわざわざ激励に行って火に油を注いでいる。

 民主派のデモをテレビで見て、一瞬香港か?と見まちがえた。
 ヘルメットにマスク、黒シャツと、警察に個人が特定されないよう、みな同じスタイルにそろえ、3本指を高く掲げる(香港は5本指だが)さまはそっくりだ。

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(以下、写真は「国際報道」より)

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映像を見ると、香港と同様、中学・高校生もたくさん参加している

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左は雨傘運動の香港。それにならって放水に傘で対抗するタイのデモ隊

 「今回のデモはいくつかのグループの集まりで、参加者もSNSなどの呼びかけで集まってきており、明確なリーダーは不在」(29日の朝日新聞記事より)という点も同じだ。
 実は、タイの若者たちは香港の成功した運動から学んでおり、香港の若者たちもタイの動きに連帯している。「ミルクティーアライアンス(同盟」である。

 (ミルクティー同盟とは、「バニラの香り漂うオレンジ色の甘いタイティー、台湾はタピオカ入り、香港は練乳で甘みをつけた濃い紅茶。名物のミルクティーを絆にした心の同盟」。以下参照)

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 香港では中国共産党による弾圧が進んでいるが、あの運動は世界に大きな影響を与え続けている。
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 清里フォトアートミュージアムの「ヤングポートフィリオ展」(於:東京都写真美術館)での鬼海弘雄さんのトークショーには、若い写真家志望と思われる人が多く参加していた。かれらを意識してか、鬼海さんは何度も大きく声を張り上げ、表現としての写真の意味を何とか伝えようとしているように思えた。おもしろいが、とても厳しい道だよと諭しながら。
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自身の写真を前に語る鬼海さん

 なかなか写んないでしょう、写真は。
 私の場合は、「写真は写らない!」と思った時から写真家になったんですね。写らないから続けることができる。そんなにバンバン撮れるなら、デズニーランドで遊んでなさいっ!(笑)て感じですね。

 マグロ船に乗っておりまして、それがたまたま写真雑誌にのっけてもらったという僥倖にあって、写真をやってみようかなあ、と思って、そのためには暗室技術を覚えなくちゃならない。プロのラボに入って、現像を覚えました。
 毎日、酢酸のにおいと締めっぽいところにいるから、外気にあたりたいと、休みの時、浅草に行くようになりました。
 浅草は、非常に私の体に入りやすい感じだったですね。やっぱり六本木とかぜんぜんダメで。いや、六本木で酒飲みたいと写真家になったんですけど(笑)

(Q:六本木と浅草、どんなふうに違うか?との質問に)

 (六本木は)悲しみが表にでないですよ、全然違う。生きるって、悲しみが大切と言ってもいいけど。
 その当時、マグロ船とか、荷物担ぎとか、職工とか旋盤工とかいろんなことやっててたんです。そのときは単なる生きるための糊(のり)を稼ぐためと思ったんですけど、浅草に行って、なんかよく知ってる人、トラックの仲間だった人とか、マグロ船に乗ってたときの人とか、非常に似てる臭いの人がいて、ああ、人を考えるならここだなと思ったんですね。なにほどか自分に似てるもの。
 第三者として撮ったら、写真は息しません。写真が息するのは、語り始めるのは、他人ごとではないとか思ったりするとき、写真はそれぞれ話し始めるわけです。

 写真が何回も見れるってことは、毎回めくったとき、違った言葉で話してくるから見れるんですね。それは、人間とは何かという、わかんない茫漠とした霧の中に入ってて、、。感じたり、考えることの基本です。

 ドラマツルギーとしての映画ってのは非常に訴える力があるけど、どういう解釈かっていうと同じ方向に行くんですね、あなたの解釈は間違ってる、映画の解釈はそうじゃない、と。
 ところが写真にはそれがないから、それぞれの人が多様性というか、それぞれが写真と話すことができる。
 哲学の基本はプラトンの時代からいつだって同じです。わからないということに対して向き合う。わかないってことの意味に向き合うあうということなんですね。それが考えるってことなんです。
 分からないってことを、他人とか世間とかに散らして考えるということなんだと思います。

(Q:40年前浅草寺で撮り始めたときと今の違いは?との質問に)

 風俗とか変わりますけど、人間はほとんど変わらないということが私にありまして。
変わりますよ、みなさんユニクロとか同じもの着始めて、中国人、韓国人、台湾人などが浅草に非常に多くって、少なくとも10年前、5年前までは、ああ中国人だ、韓国人だ、台湾人だって識別できたんですね。
 それは文化の違いがあるからですよ。ところが、消費経済が無にしたって感じですね、消費経済が人間の個性を奪ってしまった。
 そういうときの仕合わせ感ってものすごく狭くなって、すぐ反応するようになったんじゃないかなーとか思ってます。

(被写体をどう見つけるか)

 見つけてもすぐ行かないですよ。仮装行列のようなものでなくて、その人の服装とか雰囲気とか見て、完全にその人の皮膚とか、息の仕方とか見ないと。
 だからしばらくはその人をじーっと見てるんですよ。
 シャッター押すときは、相撲の立ち合いと同じで、四股を踏んでないとシャター押せないですね。写真家になれない。
 おもしろそうな人だな、こわい、で終わるんですね。
 撮る気になれば、かなり怖い人でもお願いして、撮れるということです。その人の珍しさを撮るんじゃなくて、その人を撮れば、人間てのは、もう少しふだん私たちがおもっている幅よりも広がるだろうと、と思っているからです。
 だから、体調子悪い時など、テンションが低いと、人にカメラを向けることはできないみたいです。

(Qシャッター切らない日もあるんですか?との質問に)

 あります。あります。ここんとこ5、6回全部空振りでしたね。
 だけど私、絵日記みたいなエッセイを書くから、人をみるのが楽しい。という感じで、見ていますね。

(Q上海、北京での反応は?との質問に)

 真剣に見てくれるんですよね。それはうれしいです。インターネットメディアが多いから20社くらい来て、いろいろ取材を受けたんですけど、ずばり本質的なことを訊くんですよね。若い人が。
 「なんで同じことをずっと続けることができるんですか、カネにもならないのに」(笑)、そんなことを言うんですよ。
 人間の仕事って短期のものじゃなくて、自分の森をつくるように、奥深くなっていかないと浅くなるからだと思いますね。
 表現の一番基本は、時代をまたいで残るものでないと、表現にならないですね。
宣伝の写真とか、コマーシャルの写真とか、生き残れるはずがないんです。
 人間の住んでる土壌まで根っこが届いてないものは、表現としては残れない。だから貧乏でも、なんか自分で騙されてやってるってことですね。それはそれで、ちゃんとすると、おもしろいですね。おもしろいものは、おのずと難しいほうに自分の体を押すんですよね。これは不思議ですよね。

 私は写真家でこの人ライバルだって思ったことないですから。小説家に、「かなわないな」と思う人は何人かいますが。それと同じような形で一つのメッセージを残していきたい。という気があります。

(この展示会では、鬼海さんとケルテスの写真の他は、1886年からはじまって撮影順にプロの写真を、また2016年までのYP(ヤングポートフォリオ)の作品を展示している。この展示についての感想を求められて)

 海外3分の1、国内3分の1、セミプロもいるんでしょうけど応募してきた人が3分の1、それで違和感なく並んでいるのが不思議なんですよ。
 コンテストなんかの審査に呼ばれることあるんですが、どこ違うんだろうと。
 コンテストは金賞とか銀賞とか入選とか狙ってるから、頭の中に点数票というか軸がはっきり決まってて、この写真だったら80点はとれるという写真です。
 ところが、この人たちはクリエーターになりたいために、自分を表現したいという強烈なのがあるから。それぞれ個性のある写真を撮ってきたんですよね。
 こんな面白い展示の仕方、プロとアマならべて、というのは、、、私はここまでいいとは思ってなかったんですよ(笑)。

清里ではYPの作品をabc順に並べて展示している。ジャンルも、国籍、性別、年齢、テーマなにもかも違う。コンテストではなく「購入するかしないか」の一点だけ。順位もついてないので、ずっと作家の名前の順でならべてきた)

 人を真似しないで自分の地声で話すというのは表現の基本なんですよね。
 写真家ってのは、自分の写真を見られる人だけが写真家になれるんですよね。自分の写真を他人の写真のように見られるかどうかが大きな関門みたいなもので。
 アマチュアの場合はどこかで見た写真をなぞっている、だから世界観まではいかないですね。
 YPは長く続けると、ちゃんとした写真家が何人かはかならず残ってくる。運動ですね。真実とは何だろうという形のムーブメントにならないと、単なるイベントで終わっちゃうわけですよ。
 写真を撮ることで、新しい人間に対するメッセージを考えることができるし、伝えることができなければ、スマホで撮ってればいいってことなんですよね。

(主催者が、「無名の写真家の作品を買うというYPは、23年継続してきた。50年つづけば100年いける・・」と言ったのに対して)

 写真そこまでもつか?(笑)
 写真は瞬間を止めて、世界の腸(はらわた)をそれぞれの人がつかむってことが写真の意味なんですよ。それはフィルムで撮ろうがデジタルだろうが、関係ない。静止画で世界をもういちど考える。だから最終的に陶板に焼こうが、処理は何にしようが、それが新鮮なメッセージとならなければ、写真はダメなんですけど。
 でもそこまでデジタルは足腰が強くないかもしれないし、写真芸術はなくなるかもしれない。ものすごい才能があって、中興の祖みたいな人が、写真とはこういうものだよ、と出てくると、写真は生き残れる、と思うけど、、、。

 でも写真が生き残らなくてもいいんですよ、別の表現方法があるわけですから。写真が無ければ近代化が生れてこなかったわけですね。写真がなくなったらすぐれた画家たちはどんな絵を描いてただろう。それはベラスケスとかああいう、レンブラントとかは真似してるはずはないんですよね。
 (写真がなかったら)どういう絵が発展したのかな、すごい興味がありますね。現代絵画とか、あんなものは出てくるはずがないですよね。
 だけど、絵画って伝統があって、パウル・クレーとかマチスとか、あんなとんでもない人が出てくるんですね。化け物みたいな。
 ところが、デジタル写真でそういう人が出てくるかっていったら、ぜったい出てこない。と思います。やっぱり手で訓練するとか体で訓練するとか、自然をどうやって見てるかがなければ。
 パールクレイなんか、あんな抽象的で、なんでこんなに世界が写ってるんだろうと思うし。写真の場合、デジタルでそのままいけるかといったら、いけないかもしれないし、いけるかもしれない。 
 足の早い魚のようで、腐るのもはやい。
 でも、静止画像としてもう一回、おれたち生きてる世界ってのはおれたちが思ってるよりももっと豊かなものなんだよって形で考えてくれば、写真は生き残るかもしれないですね。
 写真は頭で、言語で考えてないものは写らないんですね。で、頭で考えすぎて作ったものは腐りやすい。驚きってことがあって写真になるわけですけど、写真家が写真家となるのは、偶然性を、「わたし」って形で必然性にやれるかどうかなんですよね。
 それが人類っていうか普遍にまで広がるかどうかが、表現者として試されるところで、そういうことがきついんですけど、きつくなければおもしろくない。で、どうにかこうにか続けてる感じですね。
 めったに写真は撮れないです。めったに撮れないから続けることができる。ばんばんデジタルとかスマホで撮ると、撮れすぎてつづかないですね。
 ずっと見るってことは、どっかに北斗七星みたいなものがあって、それを起点にジャイロスコープで見ないと、世界の海が沼のようにバラバラになるという感じだと思います。

 他の表現、たとえば小説や短歌、詩と比べて、「たかが写真ごとき」とは言わせない!という形でやるんだったら、新鮮に世の中を見れるということがあるかもしれないです。
 ずっとこれ(展示)見てると、情報としての写真とか、つくった写真というのは、時代に残んないだろうと思うんですね。
 よく観てください。かなりの完成度の写真だが、時代に耐えられないだろうなというのがあるはずですから、その峻別が写真を見るということの、自分の裸の目で見るということの大切なことなんだと思います。

 そして何回も見られる。なんで見飽きないんだろう。
 それは人類とか人間の悲しみとか喜びとか、ほんとに「ふにゃふにゃしたもの」に大してまともに向かっていく写真だけが見飽きないものになるという感じですね。どうせ貧乏するわけですから(笑)。そう思わないとやってられないんですよ。

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 私が聞いた鬼海さんのトークで、ここまで熱を入れて語ったのはなかった。
 若い人たちに向けて、どう語れば分かってくれるかと、言葉に表現するのをもどかしく思いながら語っていたように思う。
 あらためて書き起こしを読むと、ああも言い、こうも言いし、同じ内容を繰り返しながら「もっと自分の頭で考えろ!」と叱咤しているようにも感じられる。

 写真をふくめ、表現に関わろうとする若い人の考える材料になればうれしい。

鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」2

    きのう浅草に用事があったので、浅草寺に寄った。
 外国人ツーリストがいないので閑散としていた。

 鬼海弘雄さんを偲んで宝蔵門へ。仁王像があるので仁王門ともいう。鬼海さんは、境内の朱の壁を背景にポートレイトを撮ったが、その撮影現場の一つがこの壁だ。

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 ちなみに、大わらじは山形県村山市の奉賛会が10年に一度、延べ人数800人、1ヵ月をかけて制作され、奉納されるのだという。「こんな大きなわらじを履くものがこのお寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくとされる。
 いいカメラを持って境内を撮影している若い女性がいたので、呼び止めてこの壁をバックに撮ってもらった。女性は「え、ほんとに背景はこの壁だけでいいんですか。本堂とか入れなくいいんですか」といぶかりながらシャッターを押した。

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 写真をなめてる!と冥途の鬼海さんに叱られそうだが・・

 そのあと浅草で、鬼海さんのエッセイ集『誰をも少し好きになる日』を担当した文芸春秋社の森正明さんとお会いするご縁があった。奇遇である。他にもおもしろい出会いがあり、そのまま浅草で遅くまで楽しく飲んだ。
 きょうはぶらぶら街を歩いて、裏通りに気になる小さい飲み屋をいくつも見かけた。また来よう、浅草。
・・・・・・・
 前回、鬼海さんが「写真の概念が変わらないと、表現としての写真はなくなるだろう」とかなり厳しい指摘をした。その続き。

・・・・
 カタログとしての写真、女の裸とか、商品のカタログとか、コマーシャルは生き残るわけですけど、そうじゃなくて、表現として・・・表現とはいつも根本的には、もう少し人を好きになりたいっていうのが基本なんだと思います。
 もう少し、こんな、角を突き合わせて、お互いにフラストレーションたまるようなものじゃなくて、ちょっと楽にしてみんな生きたいんじゃないか、というのが、もともと表現の質にあるんじゃないかと思います。

 それは哲学にしてもそうですね。プラトンにしたって、いかに分からないってことが大切かって。哲学の基本なんですよね。それと同じように、人を好きになりたいという構造がないと、単なる小説の物語を追うような、ストーリーテラーみたいな形しかなくなる。

 でも、人間は不思議なことにどこの民族も神話があり、インディアンの部族でもアイヌでも、先住民と言われる人たちに、ものすごい透明感のある神話があるんですよね。あれ、不思議だなと思ってます。写真はこれから新しい神話になれるかなって。ものすごい分かれ道に来ているのかもしれません

 写真の表現は、他の表現と違って、誰でも撮れるという、ものすごくアドバンテージがあるわけですよね。絵画とか、小説とか、絵とかって、最初から天賦の才がないと、ほとんど表現のラインにも立てないわけですけど、写真はカメラを使うわけですから、そのときから誰でも撮れるっていう、すごい有利な大切なことがあるんだと思います。
 「誰でも」っていうのは、「わたし」性がないときには、民主主義の一票みたいな感じで「溶解」しますね。そうならないかもしんないし、なるかもしんないし。
 写真は、頭じゃなくて、レンズが見るということで、偶然性とかを、ほんとに有利にしないと、人の心の中に眠っている永遠性を揺らすことがないので、カメラっていうのはおもしろい「道具」なんですけどね。と、自分で何となくごまかして写真を続けてます。

 写真ほど、その時代背景と寄り添うような表現方法はないのかもしんないですね。それだけ、世俗的なものですごい流れるかが、ちょっと時代的に雰囲気が変わると写真が古くなる。その速度がものすごく速くなってきているという感じはします。
 でも基本的にどの写真を見ても、自分が思っているよりも人間はもっと生きるに値する動物だろうと信じている人たちの写真を撮っているという、感じがしますね。

 時代的からいえば、アーヴィング・ペンとか、アメリカのファッション写真家ですけど、(この人の弟はアーサー・ペンという映画監督ですが)この当時は、ファッションにとって文化とか人間にとってなにか大切なものとか知性というものを写せた時代なんですよね。 
 だから、コマーシャル写真でも、一般に売られてる雑誌の表紙にしても、誰が撮ったか、この写真家だれかって、完全に分かるような写真を撮ってますね。
 ところが今はそういうことはなくって、ほとんど写真家は匿名性になってて、誰が撮ったのか分からない。でも、作家として成立するんだったら、カメラで撮るんだけど、その中に「わたし」っていう彩(いろど)りを吸着させないと表現とはならないわけです。
 何度も見るのに値するのが写真だと思いたい。いい小説は何度でも繰り返し読める。表現の優れたものは、外国のものでも何度でも、ということがある。「何度でも」というのは、作品の中にあるのではなく、あなたたちの想像力が別のかたちで発酵するからなんですよね。
 それがもしかしたら、写真が誰でも撮れるということの本質的な意味で、ただ押せば絵に写るっていうだけじゃなくて、と思ってます。

 

Q:写真集を見るのと違って、写真展などでプリントを直接に見る楽しみとは?(との質問に)


 私はプリント自分でやってて、暗室でできたばかりのモノクロプリントはうつくしい。やった人でないとわからないと思いますが。

 オリジナルプリントだろうが、ビンテージプリントだろうが、希少価値があるとかいうのではなくて、表現としては、その写真が持っている人間に対するメッセージ性が重要なわけで、やっぱりいい写真と言うのは、人間に対して今まで知らなかったものをメッセージするので、陶板に焼こうが鉄板に焼こうが、いい写真でなければ、表現としてはどうだろうと思います。
 プリント、手仕事というのは、そういうムダなことっていうのは非常に大切なのかもしれない。ムダなことしないと、体で覚えることはできないんですね。だから、デジタルカメラを今のところ私は全然使わないのは、自分の考えを発酵させたり、濾(こ)したりすることが、あまりにも容易なので、耐えられないという感じですね。みなさん、デジタルで作品にするのを急ぎすぎている感じですね。

 私が写真家になろうと思った時、生涯に5冊の本を出して死にたいと思った。自分の自費出版じゃなくて、他人がカネを出して作ってくれる本を5冊、と思ってやってきまして、いま20冊を超えましたけどね。
 私の場合は才能がないせいだけど、高く北斗七星のような形で動かないと船は進めないと、一生でライフワークしか撮っておりません
 浅草からはじまって、街の写真撮って、あとインドとトルコ。インドとトルコは、人間にとって「懐かしさ」って何だろうというのをよく感じるんですよね。懐かしさってのは、単なる回顧じゃなくて、もしかして、人間が未来に対する懐かしさを喪失したら文化は滅びるんじゃないか、と思っております。
 懐かしさっていうのは、見てくれる人が感じてもらわないとどうしようもないもんですから、写真家が懐かしさを上から目線でたれ流すことはできないですね。見てくれる人の、なんといっても、想像力にかかってるんですよね。
 そのときの想像力は、「わたし」を考えるとき「あなた」や「世界」を考えないと「わたし」は明らかになんないですね。AはAであると言ったって、それは成り立たない。AがあってBがあったりCがあったりするから、Aが明らかになってくるわけですね。
 たぶん、「懐かしさ」には、そういう構造があるんじゃないかな。人間もういちど、「懐かしい未来」ということを考えないと、つまらない生き物で終わるかなぁー。それにしちゃ、もったいないと思うんですよね。

 最近、寝るときに、宇宙のものをよくYoutubeで見るんですよ。それは何光年とか145億光年とか膨大な、人間の知識はあそこまで行ってるわけです。それは、そういう科学的なものは先人の積みこんだものをそのまま使って階段を登っていくからそうですけど、人文科学ではそうはいかないですね。
 「わたし」というものから始まって「わたし」で終わって、それでちゃんとしたものを継承できるかどうかが問題なんですけど、それにしちゃあ、天文学で145億光年ですよ、光の(速さ)ですよ。それの外にも宇宙があるのを人間は分かり始めているのに、人間同士の人文科学のこの体たらくは何だろう。製造道具を一生懸命使ってないと豊かになれない。アタマのいい人がそういうこと考えてる。

 写真てのは、基本的に眼の驚きってことなんですよ。だから簡単なカメラ、たとえば写ルンですというカメラがあったわけですけど、スマホでもちゃんと撮れないと、いくらバイテン(8×10エイトバイテン=大判カメラ用のフィルム)で撮ろうが、フィルムで撮ろうが、写らないんですよ。
 「写る」ってことは「話しかける」ってことなんだよね。話しかけて世間とかいろんな他人に、いろんな多様性があって、バラエティーがあって、それが普遍に通じる。それぞれのもってる「わたくし」性がないとそれは共鳴しないし、一方的に同じようになると、北朝鮮マスゲームみたいになる。

・・・・・・
 トークショーで鬼海節に酔いながら聞いていると、何か深い真理に接したかのように思うが、こうやって文字起ししてみると、難解である。
 分からないところを反芻しながら考えるのも、また大事な勉強と思っている。
 もう少しお付き合いください。
(つづく)

鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」

 週末、すごいドキュメンタリーを2本観た。

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 NHKスペシャル「世界は私たちを忘れた~追いつめられるシリア難民~」(24日)とNHKBSで放送された「グレートヒマラヤトレイル4 カンチェンジュンガ “五大宝蔵”を求めて」だ。

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 前者は、テレビの報道ドキュメンタリーとしては、ここ数年では最高傑作だと思った。NスペはNHKの組織力と莫大な予算を生かした大型調査報道がウリだが、これは金本麻理子氏が一人で撮影もディレクションも編集もやった作品。
 売春、臓器売買、焼身自殺・・と極限まで追い詰められたコロナ禍のなかのシリア難民の実情を単独取材で驚くほど深く掘り下げている。絶望の中に射す一筋の希望の光を女性たちの生き方に見出すエンディングもすばらしい。これについてはあらためて評したいが、とにかく必見の番組だ。見逃した人は、再放送が29日0時50分から(水曜深夜)あるのでぜひ。

 ヒマラヤの番組は、監督も登場人物も知り合いなので、演出法などを想像しながらおもしろく観た。秘境の絶景を、映像がどこまで迫れるのかに挑戦した作品といえよう。ドローンを持ち込んでの撮影は迫力満点。さらに特殊撮影を駆使して時間の経過による山肌の色彩の神秘的な変化まで高感度映像で見せてくれる。まさに世界初の「息をのむ」映像の連続だ。

 それで鬼海弘雄さんを再び思い出したのだった。

 鬼海さんは、これからの時代、写真が生き残れるかと考え続けていて、そのとき意識していたのが動画だった。
 「動画の方が伝えられるでしょ。写真が対抗できるのかどうか」と。

 私がテレビ関係の仕事をしていたからかもしれないが、そういう話題を何度か振られた。
 写真が世に現れて絵画の世界が変わったが、動画が出てきて写真の世界はどう変わるのかという問題意識を鬼海さんは持っていたようだ。

 動く映像が、音声とは別で、映画館という特別な場所に足を運ばないと見られない時代から、いまや動画は、手の中の端末で、高画質・高音質でいつでも提供される。

 「とくに報道写真はきびしいだろうな」と鬼海さん。
 たしかに、今や新聞記者がビデオカメラを持って現場に行く時代だ。証拠能力としての情報量が、動画の方が圧倒的に大きいからだ。(報道における動画の「証拠能力」については以下を参照)

takase.hatenablog.jp

 また、当事者のインタビューを動画で見れば、顔の表情、体の動きから声の調子まで多様な情報でその人の思いを生々しく訴えかけてくる。
 動画の優位性はますます大きくなっているように思われる。


 私は鬼海さんの「追っかけ」として、トークショーに出かけては前列で録音していた。その中から2018年4月21日の「清里フォトアートミュージアム」の ヤング・ポートフォリオ(YP)展でのトークショー東京都写真美術館のて)の内容を紹介したい。

 「清里フォトアートミュージアム」は世界の35歳以下の若い写真家を支援して、毎年、ヤング・ポートフォリオ展を開いている。地方の小さなミュージアムでこういうことをやっているのは大したものだ。鬼海さんもこの審査員をつとめたご縁がある。

f:id:takase22:20180519160632j:plain【2017年YPレセプション(前列左端が鬼海さん)清里フォトアートミュージアムHP】

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トークショーでの鬼海さん(HPより)

 鬼海さんが亡くなった今月19日、「清里フォトアートミュージアム」はHPに訃報を載せた。以下はその一部。

www.kmopa.com

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 当館では2011年度、2012年度ヤング・ポートフォリオの選考委員をおつとめいただいた鬼海弘雄氏。近年闘病されておりましたが、残念ながら本日10月19日、逝去されました。享年75歳。(略)
 鬼海氏はまた、独特の世界観を表す“言葉力”でも知られ、YP選考時にも
 「写真というものは一瞬に撮るものだけど、どれだけのパトスと時間と愛情とをかけて撮ったかが見えるもの。」
 「誰も評価してくれなくても、自分の歩幅を見つけて歩いていくことが大切。自分をもう少し煮ろ。鍋でぐつぐつ、ぐつぐつとね。」
 「個人で写真をやっていると小舟に乗って漕いでいるようなもの。舳先ばかりを見ていると方向感覚を間違う。遠く北斗七星を見て、時代に流されない羅針盤を持っていないと。」   
 また、フォトジャーナリストの作品についても
 「人間を考える足がかりとして重要。写真芸術は温室の中に入っている観葉植物のようなものだけではない。人の世界がどうなっているかという問題が同レベルで論じられるべき。」
 と、鬼海氏の残された言葉には、色褪せることのない本質が深く横たわり、その存在感に惹き付けられます。
 当館の活動に深く共感いただき、評価をいただいたことに心より感謝申し上げます。心よりご冥福をお祈りいたします。

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 では、トークショーでの鬼海さんの話。
 ここで鬼海さんは、写真の未来について、かなり厳しい見方を吐露していた。表現とは何かについて、多くのことを考えさせられた。

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 おいでいただき、ありがとうございます。
 1時間、ムダ話にお付き合いください。

 ここに私の28歳のとき、「写真やろう」と思って一番最初に撮った写真があるんですけど、今から考えて見ると私に20代があったのかなぁと思う歳で、あれ、飛んじゃったんじゃないかな(笑)という感じです。
 それからずっと、人物と、人が住む街の写真、あと、ちょっと横から日本を見てみたいと思って、インドとトルコのスナップ写真を撮ってます。

 すべてモノクロで撮ってきました。私が始めた頃は、カラーがすごい高くって、モノクロの方が自分でできるってことがあったんですよね。
 でも、よくよく考えて見ると、モノクロとカラーはどこが違うか。カラーでいい写真というのは、なかなか・・。現実のコピーとしてのカラー写真となって・・。
 写真というのは、特別に写真家が真理を伝えるわけでも何でもなくって、あるインパクトでもって、みなさんの中の頭の想像力に入り込んで、みなさんが想像してくれて、それで「写真が動く」という感じなんです
 モノクロの場合は・・私がなんでモノクロにこだわるかっていうと、想像力の質が違うんですね。カラーだと、単なる現実の一場面を切り取ったんですけど、モノクロは、色がない分だけ、それぞれ見れくれる人の「記憶の沼」っていうか、記憶の底に沈んでいたものを揺り動かす、という意味がモノクロにはあるのかなぁ、と思っております。

 それで、私は百姓の子どもだったですから、「ものを作る」というよりも「ものが育つ」という感じなんですね。
 山の木も、田んぼも、野菜も、まず「土を作っておけば大丈夫」っていう感じがあって、本来、手仕事ということがないと、人間がなかなかクリエイト、ものを創るということがならないのかもしんない(知れない)と思ってます。

 写真が発明されて、絵画が滅びるわけですけど、写真がなかったら、絵画は今どうなってたんだろうな、とすごい興味がありますね。
 現代美術みたいな、あんな逆子(さかご)がこんなに大きな顔していいのかな(笑)という感じがします。
 でも、一方で、写真があるおかげで、とんでもない才能が出てくるわけですね。マチスとかパウル・クレーとか。その人たちは非常に具象を描いてあそこまでいくんですね。

 じゃあ、はたして写真はいま、アナログからフィルムからデジタルに変わってますけど、デジタルで、マチスパウル・クレーみたいな形で、成層圏を抜けるようなクリエイターが出てくるかっていったら、出てこないですよね。
 なんでかというと、体を使うってことと、手で覚える、手で考えるってことがいかに大切かっていうことなんだと思います。
 でも、そんなこと言ったって、もう写真は非常にまあ、フィルムは高いし、印画紙は高いし、若い人にアナログで写真を撮りなさいといっても無理な話なんですよ。

 でも、決定的にモノクロとデジタルは・・・デジタルは写りすぎるんですよねぇ。だから、ものごとが、自分が撮りたいとか、大切にしたいっていう形のことがらを、発酵さしたり、濾(こ)したり、不純物をのいて純粋なものにすることについてはものすごく不向きなわけです

 でも、その違いだけじゃないんですよね。
 写真がなんで人にとって有効だろうと考えれば、それは、今はもう動画の時代なんですけど、静止画像で、世界をもっかい(もう一回)、世界のはらわたを掴みなおすとして写真があるんですよね
 写真っていうのはものすごく偶然性に頼りますから、頭で考えてるものって大したことないんですよね。驚きっていうのが、計算された驚きじゃなくって、写真が一瞬で瞬間を止めるわけですけど、写真家を続けて写真を撮るっていうのは、その驚きの偶然性を、「わたし」ってもので必然性に変える。ということを思ってます。

 だから根本的に静止画像とは何かというかたちで、もう写真の概念が変わってこないと、新しい写真が生れてこないのかもしんない。で、これが来なければ、写真はなくなるんだろうと思います、表現としての写真は。

(つづく)

鬼海弘雄さんを偲んで4

 思い返せば、鬼海弘雄さんとのお付き合いは、わずか3年にすぎない。

 私のこのブログで最初に鬼海さんが登場するのは4年前、2016年4月のことだった。

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 そこでは鬼海さんの写真よりむしろ文章のすばらしさについて書き、続いて鬼海さんの動画を観て、「インタビューでの鬼海氏のシャイな話しぶりに、友達になりたいと思った」と書いている。

 その動画はスペインが作った鬼海さん紹介だった。たしかにちょっと恥ずかしがって話している感じがする。

www.youtube.com


 前回の中国が作った紹介動画とはかなり雰囲気が違っていておもしろい。

 で、「友達になりたい」ので、お近づきになろうと、1年後の2017年5月、鬼海さんの写真展「India 1979-2016」の土日のギャラリートークを聞きに行った。
 写真展になどめったに行かないのだが、当時はすでに私の会社の売り上げが相当落ちていて、時間に余裕があったのだろう。

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 そのトークが心にしみた。もう一度聞きたい。
 そこで翌日も会場へ。前列に陣取ってスマホで録音した。

 《不思議なことに、山の澄んだ湖は、汚れた土壌をゆっくりゆっくり通ってきて、きれいなものになっていく。
 もしかして、民主主義という方式が成立するとしたら、頭のいい人が考えるロゴスの濾紙じゃなくて、そういう人たちの時代を経た濾紙でないと本物じゃないんじゃないか。
 それが、私が写真は誰でも撮ることができるということの本質的な意味だと思っています》

 うーん・・・録音を何度聞いても分からない。
 こんなトークが山形なまりで続いていく。よく理解できないのだが、何か深いことを言っていることだけはわかる。独特の雰囲気に強くひきつけられた。

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「六本木のおねえさんと飲めるような写真家になりたかったけどねー」と山形なまりで訥々と話す鬼海さん

 2日目の日曜は、鬼海さんの恩師(鬼海さんは「グル」と言っている)で哲学者の福田定良先生の奥さまが見えた。

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鬼海さんの左に福田先生の奥様。一昨年亡くなるまで、鬼海さんはご恩に報いようとしていた

 「私はバカでしたから、先生にすっかりだまされちゃって、こんなヤクザな道に進んでしまいました」と鬼海さん。
 奥さまも会場も笑顔になって、ああ、いい瞬間に立ち会えたなと幸運を喜んだ。

 そのあと、購入した写真集にサインをもらい、「懐かしい未来」とはどういう意味ですか、などと議論を吹っかけたりして、すっかり「追っかけ」の気分になって帰った。まるで好きな女の子にアプローチしているみたいである。

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 写真展からしばらくして、鬼海さんから連絡があり、「水族館劇場」と写真展をコラボでやるから見に来ないかとお誘いがあった。なんで私に、と思ったら、このブログで鬼海さんのことを何度か書いたのを読んだのだという。
 「水族館劇場」は鬼海さんが応援している劇団だった。横浜の寿町に観に行き、私もすっかりファンになった。 

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鬼海さんの写真パネルが張り巡らされているなか、劇が進行する

 親しくお付き合いするようになったのはここからだった。

 私は鬼海さんのトークがあれば出かけていくようになる。
 「毎回毎回、おんなじ話しかしていないよ」と鬼海さんは言うが、古典落語みたいなもので、鬼海さんの話は何度聞いても味わい深くおもしろい。

 鬼海さんのオフィシャルサイトに、去年9月に入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催された、百々俊二氏とのトークショーYoutube映像がある。
 おそらく、トークショーとしては最後のものだろう。一部私が書き起こしたので、映像とともに味わっていただければと思う。

www.youtube.com

 オープニングは

 こんにちは。
 半年前からがんになりまして、頭もこうなっております。(帽子をとって髪のない頭を見せる)
 歳が歳なんで、「がんですよ」と言われても驚かないんですよね。
 いま、3冊くらいの本を出すのがリーチかかってて、なんでこんなにぴったし時間通りにいい病気が来たんだろうという感じで・・。

 トークでは冗談を連発して笑わせてくれたあと、最後を、こう締めくくった。

 時代をまたぐようなものを撮りたい。100年先の人たちが見ても、同じような人間の悲しみとか・・。悲しみを持ってない人は人間になれませんから。
 そういう意味で、報われないけど、それに騙されて撮ってます。

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 悲しみを持ってない人は人間になれませんから・・
 真顔で断言したことばが印象に残っている。

 100年後の人類と文明を見据えて写真を撮ってきた鬼海さん。こんなに長い射程で仕事をしている人がどれだけいるだろうか。
 ほんとうに大きな人を失ったと、喪失感が押し寄せている。

 
 ごく個人的な思い出話をお読みいただき、ありがとうございました。
 いったん追悼はここで一区切りにしますが、今後は折に触れ、鬼海さんの写真を評してみたいと思います。

鬼海弘雄さんを偲んで3

 中国の映像チームがつくった鬼海弘雄さんの紹介動画。鬼海さんは中国でも注目され、写真展も開かれている。 
 動画は鬼海さん自身が解説していてよくまとまっている。「情熱大陸」の映像も一部見られる。

www.facebook.com


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 鬼海弘雄さんが亡くなった翌日、『朝日新聞』の訃報欄を見た。記事のなんと小さいこと!

 顔写真もなかった。これが世間の評価なのか。

 それはないだろ!どこかのメディアに何か出ていないのか・・
 ネットで鬼海さんの名を入れて検索すると、出てきたのが、同じ法政大卒業で、やはり東北出身の菅義偉首相と「生い立ちが酷似している」として鬼海さんが登場する、少し前の記事だった。
 
 《菅氏は1948年、秋田県の山深い農村に生まれた。「東京で自分の力を試してみたい」と農家を継がず、67年に高校を卒業すると、東京都板橋区の段ボール工場に就職。東京・市ケ谷に校舎がある法政大法学部政治学科に入学したのは、東京大安田講堂事件があった69年だ。
 土門拳賞を受賞した写真家の鬼海弘雄さん(75)は生い立ちが菅氏に酷似している。現在の山形県寒河江市に育ち、高卒後に県庁に就職するも1年で退職して上京。法政大文学部哲学科に進んだ。卒業したのは、菅氏が入学した69年だ。その後、「人間を知るため」にトラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員などを経て写真家になった。
 「私の家は早くからサクランボ栽培に着手し、まずまず成功した農家。親父(おやじ)は村議や市議を務めました。私は8人きょうだいの末っ子で、姉は山形大を出て教員になりました。菅さんと境遇が似てますね」
 菅氏の生家はイチゴ農家。父親は町議を務め、姉は高校教諭になった。》

 ここまでは、菅首相のヨイショ記事に鬼海さんを引っ張り出すとは何事か、と憤慨しながら読んだのだが、次で思わず笑ってしまった。

 《「菅さんは誰とでもスッとなじめるようですね。東北人は不器用だから、そういうタイプはめったにいません。政治家はどこかで夢を語らねば成り立たたない職業だと思いますが、今まで菅さんは、そんな場面を見せなかったですね。彼には法政出身者のにおいも、東北のにおいもしません」(鬼海さん)

http://mainichibooks.com/sundaymainichi/society/2020/10/04/post-2591.html 

 さすが鬼海さん!おせじも忖度も一切ない。
 この記事、『毎日新聞』が9月25日早朝にデジタル配信しているから、取材はたぶん9月23日か24日あたり。体調も良くなかっただろうに、私とは一緒にしないでくれ!とばかりに菅首相をばっさり切り捨てている。

 鬼海さんは社会問題にも大きな関心を持っていた。私がこのブログでよく政治を取り上げることもあり、世を憂うる会話をひんぱんに交わした。

 ある日、鬼海さんからの電話をとると、開口一番「ひっどいねー。なんで人間があんなに醜くなれるんだ!」と憤慨している。
 自民党杉田水脈衆院議員らが、安倍首相御用達ジャーナリストにレイプされた伊藤詩織さんを「枕営業失敗」などと嘲笑し、女性の側に落ち度がある、詩織さんはウソをついているなどとコメントしたことを紹介した私のブログへの反応だった。

takase.hatenablog.jp

 格差や不平等、弱い立場のものをいじめたり、笑ったり、差別したりすることには本気で怒っていた。

 エッセイ集『誰もを少し好きになる日』には、心身に障害をもつ人や生活が破綻してしまった故郷の人が何人も登場する。

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 川向こうのいさばや(魚屋)の息子で軽い精神遅滞がある「たっちゃ」、都会で体を壊し帰郷して自死した幼なじみの忠男、町のスナックのママに入れあげサラ金で身を持ち崩して行方不明になった同級生の勝利・・・
 鬼海さんはそれぞれの悲しい物語を、やさしく見守るようなまなざしで描いている。効率や生産性だけで人間を測る近代文明に疑問符を投げかける鬼海さんの感性を育んだのは故郷、醍醐村の子ども時代だったのだろう。
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 おととしの夏、山形の実家に帰省したついでに、鬼海さんの故郷に立ち寄った。ほんの数時間だったが、そのときの写真を紹介したい。

 醍醐村は今は寒河江市の一部になっている。寒河江は難読地名の一つで「さがえ」と読む。山形駅から左沢線―これも難読で「あてらざわ」線―に乗り30分弱で寒河江駅につく。

 寒河江は山形のなかでもサクランボ(私たちは桜桃=おうとうと呼ぶが)の本場で、毎年、さくらんぼマラソン大会も開かれている。
 鬼海さん自身、サクランボには縁があり、よく「私が大学に行けたの、うちの親父が桜桃栽培に早く乗り出して成功したからなんだよ」と言っていた。

 醍醐村といえば、慈恩寺がすばらしい。山形県を代表する名刹で、創建は平安後期。48坊からなる一山組織の寺院だったという。
 鬼海さんの実家は近くだったから、子ども時代はこの境内でも遊んだことだろう。

www.honzan-jionji.jp

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千住真理子のコンサートを境内で準備していた

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建物の多くが重要文化財

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 お寺の近くを歩いていると一面ハスの池があった。いい雰囲気の村落である。

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 寒河江では、佐藤繊維もぜひ訪れてほしい。

https://satoseni.com/

 世界で注目される紡績・ニットメーカーで、オバマ米大統領の就任式でミシェル夫人が着たカーディガンの素材の極細のモヘア糸を提供したことで知られる。豊かな品ぞろえの売店のほか、レストランGEA 0053(ギア ゼロゼロゴーサン)もある。

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酒蔵を改造した建物

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すてきなディスプレイの売店

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昔の機械が製品の置き台になっている

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高い天井のレストラン


 鬼海さんお勧めの「皿谷(さらや)食堂」。

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Facebookより

 山形はラーメン消費量日本一。ここも蕎麦屋なのだが、お客はほとんどラーメンを注文する。皿谷食堂の名物は「ちゃー牛(ぎゅう)麺」という山形牛のチャーシュー麺。うまかった。

 きょうはすっかり寒河江の観光ガイドになってしまった。
 とてもいいところで、次回は泊りがけで慈恩寺周辺をゆっくり見て回りたい。
(つづく)