香港が「一国一制度」になった日

公表をせぬ法律で脅しあげ (兵庫県 岡田万彩)朝日川柳より

 「香港国家安全維持法」、外部には詳しい内容が公表されないまま審議されていたが、可決・施行されてやっと最高刑はやはり終身刑だったことが判明した。

 この法律は、きのう6月30日、全人代常務委員会が全会一致で可決。香港基本法の付属文書に追加することを決めた。その後、習近平国家主席が署名、30日遅く官報に掲載され、即時発効した。

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 施行されて一夜明けた香港では、各地で抗議するデモが行われ、これまでに香港国家安全維持法に違反したとする9人を含む合わせて300人以上が逮捕された。施行直後に新法による逮捕者が出たのだ。

 警察は新たに、この法律に違反することを警告する紫の旗を導入(写真)した。ここには「使用している旗や横断幕、シュプレヒコールに国家分裂、政権転覆の意図があり、国安法の犯罪を構成するものとして逮捕・起訴される可能性がある」とある。
 横断幕の文字や口頭での叫びまで取り締まりの対象になるということだ。場合によっては「警察は横暴だぞ!」というヤジも処罰対象になりうるだろう。これはひどい
f:id:takase22:20200701235707j:plain 【香港警察が1日、フェイスブックに掲載した国安法違反を警告する旗の写真(共同)】

 これでは、怖くて政治に関わること自体できなくなる。きのう周庭さんが民主派団体からの離脱を表明したさいのメッセージは、死をも覚悟した響きがあった。
 中国共産党の完全勝利である。

 

 東京では、在日香港人らが会見を開き、覆面をした3人が登壇し、国家安全法について「何も知らされないまま、自由と未来が奪われました。ですが、我々香港人は決して屈しません」と話した。(ハフィントンポストによる)

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 別の登壇者は「中国政府はその気があれば誰でも該当者にすることができる。ここで記者会見を行うことも国家安全法に違反しています。私たち自身が犯罪者と認定されます。私たちは覚悟したうえで記者会見を決行し、変わらず香港と共に戦います」と危険性を訴えた。
 また、日本が香港人の移住先になる可能性があるので、移住条件の緩和を含めた対応策の早期整備を求めた。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5efc21ebc5b6ca970916b495

 彼らの「覚悟」に我々も応えたい。

 香港情勢がどのように日本に関わってくるか。
 これから注目し、考えていきたい。

香港の自由弾圧法がスピード可決

 きょう6月30日、中国の全人代常務委員会は香港国家安全維持法を香港立法会を通さずに全会一致でスピード可決。あす7月1日に発効する見通しだ。

 香港民主運動への決定的な打撃となり、これまでのような集会やデモ、さらには選挙への自由な立候補も困難になるだろう。
 民主活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏がリーダーを務める民主派政党「香港衆志(デモシスト)」は解散し、すべての活動を停止するとフェイスブックで発表した。この政党の存在自体が処罰の対象になる可能性があるからだ。

 黄氏のほか、幹部の羅冠聰(ネイサン・ロー)氏、周庭(アグネス・チョウ)氏らもデモシストからの離脱を発表した。
 周庭さんはツイッターで悲愴な心情を吐露している。
 この日は歴史に刻まれる日になるだろう。忘れないでおこう。

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 日本の皆さん、自由を持っている皆さんがどれくらい幸せなのかを分かってほしい
 彼女のこの訴えをしっかり受け止めなければ。

 

 香港が英国から中国に返還された際、高度な自治を保障する「一国二制度」が導入された。憲法にあたる香港基本法は、香港政府に行政管轄権や立法権、独立した司法権を与えている。言論や報道の自由も認められ、市民は基本法が約束した自由や権利を訴え続けてきた。

 明日7月1日は香港返還23年目の記念日で、一部の活動家は抗議活動を予定している。新法が適用されて弾圧されるのではと心配だ。無事を祈る。

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 以下、この法律解説を日経から引用する。これは現在分かっている範囲の情報。最高で終身刑もあるとの情報もあるが確認されていない。

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 中国政府は治安維持機関として香港に「国家安全維持公署」を設置する。香港政府が行政長官をトップとして設立する「国家安全維持委員会」の監督・指導にあたる。中国政府はさらに同委に顧問を派遣する。同法には「香港の他の法律と矛盾する場合、国家安全法が優先される」との規定も盛り込まれている。

 香港は外国籍の裁判官が多く「司法の独立」が担保されてきたが、国家安全法案に絡む事件を審理する裁判官は、香港政府トップの行政長官が指名する。外国籍の裁判官が排除され、判決が常に中国寄りになる懸念がある。

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 国家分裂など4つの処罰対象の定義が曖昧な点だ。若者たちがデモで訴える「香港独立」の主張や中国共産党への批判、欧米に中国への制裁を求めるといった活動が違法とみなされる恐れがある。言論の自由や人権が軽視され、一国二制度の根幹が揺らぐ。

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 経済活動や人的交流で深い結びつきがある。19年6月時点で香港に拠点を置く日本企業数は1413社と中国企業に次ぐ多さで、香港の在留邦人は2万5千人超に上る。日本産農林水産物の輸出額は国・地域別でトップだ。香港からの訪日客は229万人に上り、約3人に1人が訪日している計算になる。

脱北者支援から小池百合子の金庫番になった男

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 庭から道路に垂れ下がるように咲く赤い花を見かけるようになった。ノウゼンカズラ平安時代に唐から入ってきたらしい。
 写真のこれはアメリカ原産のアメリノウゼンカズラのようだ。夏の花である。
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 小池都知事のお膝元の東京都職員が、知事に不信感を持っていることがわかった
 都職員や区市町村職員向けの専門紙『都政新報』が今年1月に実施した「小池都政」に関するアンケートで、回答した223人の都職員の、都知事1期めについての評価は、平均46.4点との結果が出た。石原慎太郎のときが1期めで71.1点、舛添要一で63.6点だったから、かなり低い。
 さらに、同アンケートで「小池氏の再選出馬に賛成」と回答したのは、21.5%にすぎなかった。一方、「再選出馬に反対」は、42.6%と倍近い。
 不信感の理由に、パフォーマンスで自分を目立たせることしか考えていないことがあげられるという。(週刊FLASH 2020年7月7日号)
https://news.yahoo.co.jp/articles/86326b97146045e47147fd24223c5fa9e335a3db
 このアンケートは今年1月で、その後のコロナ対策で世論は高評価だというが、都庁職員は今どう思っているのか。内部から見た評価を聞いてみたい。
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 前回は小池百合子氏と拉致問題とのかかわりを紹介したが、彼女と北朝鮮との関わりはもう一度あった。

 2002年11月はじめ、小泉訪朝を受け5人の拉致被害者が帰国して半月後のこと。脱北者を支援する日本の人権団体の幹部が中国で拘束されたとのニュースが流れた。
北朝鮮難民支援NGOの代表が行方不明―同行の日本人通訳も不明
 北朝鮮から中国への亡命を支援しているNGO(非政府組織)『北朝鮮難民救援基金』(中平健吉代表)の加藤博事務局長(57)が中国・大連市で行方不明になっている問題で、通訳として加藤事務局長に同行していたとみられる水田昌宏さんも消息を絶っていることが3日、分かった」毎日新聞朝刊 02年11月4日)
基金による事件概要はhttp://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics021107.htm
 
 実は加藤博さんとは懇意の間柄だ。私が前に所属していた「日本電波ニュース社」の出身で先輩にあたる。

 「北朝鮮難民救援基金」を設立したあとは、脱北者取材でお世話になった。日本から北朝鮮に渡った「帰国者」で脱北した人をこのNGOは数多く救っており、私は中国東北部に潜伏している脱北者の救援に行く加藤さんに複数回同行して取材している。

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路上で訴える加藤博さん

 加藤さんはこのとき、冬季救援活動として、北朝鮮難民と北朝鮮国内におくる冬服400着や定期的な食糧・医薬品を準備していた。二人は10月30日深夜、突然ホテルの部屋に入ってきた中国公安に拘束され、11月6日に釈放された。
 加藤さんは拷問を受けたうえ、電話番号などを書いたメモやカメラなどを没収され、それまでに築き上げた救援ネットワークに壊滅的な打撃をこうむった。

 このとき加藤さんと一緒に拘束された水田昌宏氏は、小池百合子氏の「甥」だったという。この時の報道によると年齢は30歳、吉林省延辺大学の留学生とされている。

 「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)のHPには以下の文章が載った。
 《ちなみにもう1人拘束され、解放された水田昌宏さんは小池百合子拉致議連副会長の甥でした。
 小池副会長は「もし甥が北朝鮮に連れていかれたなら私も家族会に入らないといけないのかしら」と言っていましたが、幸い冗談ですみました
 事態が緊迫しているときに、よくまあ、「私も家族会に入らないといけないのかしら」などと言えるものだが、この「甥」こそは、いまや小池氏の「金庫番」として注目されている人物だ。

 石井妙子『女帝 小池百合子』の後半に、もっともミステリアスな人物として、この水田昌宏氏が登場する。

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 小池百合子氏が02年当時「甥」と言っていた水田氏だが、のちには「母方の従弟」という説明になり、04年に小池氏の秘書、05年には「大臣政務秘書官」の肩書を持つまでになる。
 2010年からは「エコだハウス」で土地所有権を半々にして小池氏と同居するにいたる。「エコだハウス」とは環境への配慮をアピールするため、ゴロにこだわって練馬区江古田に建てたエコハウスだ。

 水田氏は小池氏のために、怪しげな不動産取引で巨額の資金を調達していたとみられる。また、PR会社「ベクトル」(東証一部)は小池氏の選挙キャンペーンはじめ、東京都のイベントなどにも深く食い込む、いわば小池氏御用達企業だが、水田氏はこの企業とも特別の関係を持っているようだ。

 水田氏については、『女帝』著者、石井妙子氏も懸命な取材をし本書の8ページを費やしているのだが、人物像に迫り切れずに終わっている。

 「基金」の加藤博さんによると、1996年ごろ早稲田大学在学中の水田氏が加藤さんの講演会を聞きに来て知り合ったという。卒業後、中国に留学して中国語と朝鮮語を学んでいた彼に通訳を頼み、大連で落ち合った直後に二人して拘束されたという。小池氏の「親戚」だと知ったのは解放されたあとだった。
 加藤さんが水田氏と小池事務所に挨拶に行って、「中国の乱暴なやり方を注意してください」と言ったら小池氏に「私は台湾派だからダメよ」と言われたという。水田氏とはその後、疎遠になったそうだ。
 この02年の拘束事件までは、小池氏は水田氏のことをほとんど知らず、会ったこともなかったらしい。
《拘束事件が小池と水田とを引き合わせるきっかけとなったようだ。その後、留学を終えて帰国した水田は、小池事務所に出入りするようになる。「小池さんが二階さんに頼んで救ってくれた。そうでなければ、もっと長く拘束され、殺されていたかもしれない」と周囲には語っていたという。
 一方、小池もまた、水田という存在を積極的に語るようになる。北朝鮮拉致問題に関わる彼女にとって「脱北者を支援して拘束された親戚」がいることは、プラスに働くと考えたのだろう。》(『女帝』P297)
 水田氏が中国に拘束されたとき、小池氏は中国通の二階俊博に相談したと言われている。二階氏は今回の都知事選で東京都連に小池支持をのませ、小池氏をバックアップしている。

 いまのところ水田氏に関してはこれしか情報がないのだが、小池百合子氏のお金の「闇」に関するキーパースンだとされているので、今後も注目していきたい。

 

 さて、ベストセラーの『女帝』だが、周知のとおり、テーマの中心は小池氏の学歴詐称問題だ。学歴を詐称する政治家は数多いが、彼女の場合はその重要性が異なる。
 彼女がテレビ界から政界に進出し、都知事までのし上がっていくのに必須のアイテムが「カイロ大学卒業」(しかも日本女性ではじめて)だった。小池氏の最大のセールスポイントであり、アイデンティティの根幹である。

 小池百合子氏は前回の都知事選の公約で、「情報公開は1丁目1番地」と言っている。
 これだけながく疑惑が取りざたされているのだから、大学を卒業しているのなら、その証明を示すのが、最低限の情報公開だろう。

小池百合子と拉致問題

 もう夏至、蒸し暑い日が続く。
 21日から初候「乃東枯」(なつかれくさ、かるる)。夏枯草(かごそう)=うつぼ草が黒ずんでくるころ。
 26日から次候「菖蒲華」(あやめ、はなさく)。梅雨はアヤメ、カキツバタハナショウブがきれいに咲く。
 7月1日からが末候「半夏生」(はんげ、しょうず)。半夏(からすびしゃく)が生えると田植えを終えるのが目安とされたという。

 西国分寺駅の北にある姿見の池を通りかかると、ちょうど半夏生が咲いている。水辺の花菖蒲も咲き、自粛前のように散策する人が戻ってきた。

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 都知事選、現状では小池百合子圧勝だという。

 この人は4年前、都知事選に圧勝し、さらに野党第一党の党首をたらしこんで、党を粉砕してしまった。中身のない政治屋なのに、人をだますのがなぜ、こんなに上手なんだ。

 彼女は拉致問題のイベントに一時よく顔を出しており、何度かごく近くで同席した。
 気になったのはまず、年配の被害者家族に、まるで幼稚園の先生が子どもをたしなめるようなタメ口で話しかけること。いつも「上から目線」を感じさせた。
 写真撮影となると、いつの間にか中央のポジションにおさまっている。拉致問題を「利用」している様子がありありで、私は彼女を信用できない政治家だと思った。

 『女帝 小池百合子』を買ってきた。

 拉致問題に関わる箇所は、一部の人たちには常識に属することなのだが、彼女の立ち回り方を典型的に示しているので紹介しよう。以下、『女帝』から。

 超党派で結成された、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する銀連盟(拉致議連)」は、2002年4月に改組され、自由党の小池も副会長のうちの一人になっていた。

 小泉が訪朝した9月17日、東京の外務省飯倉公館には被害者家族と、この拉致議連の議員たちが待機していた。そこへ「5名生存、8名死亡」という残酷な情報がもたらされる。沈痛な空気が流れる中で記者会見が開かれたが、被害者家族が並ぶ中央に、なぜか小池の姿があった。「いつもテレビに映り込もうとする」と拉致議連の中でも問題になっていたという。ある議員は、こう振り返る。

「自分の人気取りのために拉致問題を利用しようとする議員が多かった。拉致問題への国民の関心が高く、北朝鮮への憤怒が渦巻いていたので拉致議連に入れば選挙に有利だと、そんなふうに考える議員もいた。拉致被害者のご家族との写真を宣伝に使ったり」

 死亡という知らせを聞かされ、記者会見で横田めぐみさんの父、滋さんはマイクを握ったものの、涙に言葉が詰まってしまった。妻の早紀江さんは気丈にも自分の思いを、夫の分まで訴えた。夫妻の真後ろに立つ黄緑色のジャケットを着た小池の姿は、嫌でも目立った。小池が被害者家族の肩に手を回しつつ、涙を拭う姿が映し出された。

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どのアングルでも写ってしまう、涙をぬぐう(ふりの?)小池百合子

 だが、テレビが報じたのはここまでだった。

 会見が終わると取材陣も政治家も慌ただしく引き揚げてしまい、部屋には被害者家族と関係者だけが残され、大きな悲しみに包まれていた。するとそこへ、いったんは退出した小池が足音を立てて、慌ただしく駆け込んできた。彼女は大声を上げた。

 「私のバッグ。私のバッグがないのよっ」

 部屋の片隅にそれを見つけると、横田夫妻もいる部屋で彼女は叫んだ。

 「あったー、私のバッグ。拉致されたかと思った」

 この発言を会場で耳にした拉致被害者家族の蓮池透さんは、「あれ以来、彼女のことは信用していない」と2018年8月22日、自身のツイッターで明かしている。(P226~227)

 
 この記述のとおりである。

 私は02年9月17日の会見の場にいたので、覚えている。取材している我々まで涙をこらえられない、悲しみと怒りが濃密に充満した空間だった。そこで、被害者家族の保護者でもあるかのように寄り添う彼女の姿に、強烈な違和感をもった。

 こういう人が圧勝するようでは、トランプを選んだアメリカを笑えない。なんとか一矢報いなければ。
 都民のみなさん、棄権せずに投票しましょう。

横田滋さんの逝去によせて13-「パイプを作ろう」と滋さんは言った

 トランプ大統領の元側近、ジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の暴露本が注目されている。米政府が、出版差し止めを申し立てていたが、裁判所はこれを却下して出版が実現した。

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朝日新聞

 ボルトン氏はブッシュ政権時代からタカ派ご意見番で、私も対北朝鮮戦略についてインタビューしたことがある。筋金入りの保守強硬派である。

 この回顧録の内容をメディアが報じているが、それを読む限り、トランプとは、政治家にはなってはいけない、ましてや米国という超大国のトップには絶対になってはいけない人であることをあらためて確信させる。
 習近平に農産物を爆買いして自分の選挙を有利にしてくれと頼む一方で、ウイグル族強制収容所を容認したという。この人に国家戦略とか政治信条などというものはなく、恥ずかしげもなく私利私欲を前面に出している。まさに「トランプ・ファースト」。

    回顧録の中で、安倍首相は、トランプと「最も親しい首脳」として登場するという。またトランプは、在日米軍を全面撤退するぞと日本を脅して、「思いやり予算」の大幅アップを突きつければいいと言ったそうだ。さんざん追従してきた日本は甘く見られてますよ、安倍首相。すぐに読んで「真摯に反省して」ください。

 米朝関係についても興味深い内容が暴露されている。
 シンガポールベトナムハノイ板門店と3回のトランプ・金正恩首脳会談は、ボルトン氏の在任中に行われた。
 《おととし6月にシンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談については北朝鮮との事前の交渉が行き詰まるなか、トランプ大統領が「これは宣伝のためだ」とか、「中身のない合意でも署名する」と述べたなどとして、非核化の実現よりみずからのアピールに関心があったと指摘しています。
 また会談のさなかに同席していたポンペイ国務長官からトランプ大統領の発言について、「でたらめだらけだ」と書かれたメモを渡され、ボルトン氏も同意したと記しています。
 またこの会談の実現に向けては当初、韓国のムン・ジェイン文在寅)大統領の側近が北朝鮮のキム委員長に働きかけていたと指摘し、「戦略よりも南北の統一という目標のための創作だった」として、韓国側の思惑が強く影響していたと主張しています。》
NHKhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20200623/k10012480841000.html


 トランプは、「やってる感」を出すことだけを考えて首脳会談に臨んでいる。彼の危なっかしい、子どものような暴走を、ボルトン氏ら取り巻きが懸命に抑えたという。
 一方、文在寅金正恩とトランプの斡旋役として描かれている。それも北朝鮮側に軸足を置いて取りまとめる役割だ。ボルトン回顧録出版で、韓国政界はひと騒動起きそうだ。
 ここに暴露された北朝鮮―韓国―米国の首脳同士のやり取りは、日本の対北朝鮮戦略を考える上で重要な判断材料になる。今の状態では、日米韓が連携して北朝鮮に対応するということを実現することは非常に困難だ。では、どうするか・・・
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 私的なスナップで恐縮だが、これは2013年2月、横田さん夫妻と有田芳生さんと私の4人で会食したときのもの。私の「還暦祝い」をやっていただいた。

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赤いちゃんちゃんこを着せられた。このころ、滋さんはまだお酒を楽しんでいた。

 このころ、夫妻はウンギョンさんに会うべきかどうか、悩み続けていた。

 8か月後の13年10月、横田滋さんはウンギョンさんに会うことを決断し、安倍首相と岸田外相に手紙を書いて「直訴」する。その後の「ストックホルム合意」に至る展開は22日のブログに書いた通りである。

 「ストックホルム合意」では、「1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査」と4つの問題を抱き合わせにしている。

 拉致被害者の「調査」は後回しにして、「遺骨」などで時間を稼ぐつもりだろうという批判が起こった。私も北朝鮮はそういうつもりだったと思う。ただ、だから無意味だとはならない。
 北朝鮮との交渉、合意は、一つピースを間違えて触ったら、せっかく積み上げた積木がガラガラと崩れるリスクをいつも抱えている。リスクを覚悟で踏み込んでいく、そう腹をくくるしかない。

 政府の拉致問題への取り組みについて、横田滋さんが珍しく、公の場で意見を唱えたことがある。

 2012年4月、「北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会」が開かれた。会のあとの記者会見で、松原仁拉致問題担当大臣、黒岩神奈川県知事もいるなか、滋さんはこうコメントしている。

 「制裁はもちろん必要だが、やっぱり交渉しなければ解決しない。
 北朝鮮に、終戦のときに残してきた遺骨を収集したいと申し入れるとか、日本人妻の帰国をさせると計画しているとか、いろんなことでまずパイプを作って、拉致の解決につないでいきたい」

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6月13日TBS「報道特集」より

 圧力はそもそも、交渉を促すためのものではないかという滋さんの考えが吐露された場面だった。
 「遺骨」、「日本人妻」に関するコメントは、「ストックホルム合意」の先取りのようであり、「いろんなことでパイプを作って」というのは、後にウンギョンさんとの対面が日朝対話を促したことを予言するかのようである。

 実は、北朝鮮で死亡した日本人の遺骨の返還や遺族の墓参などについては、民主党政権下で水面下の交渉があり、赤十字会談も視野に入っていたが、金正日の死去(2011年12月)などで動きが止まっていた。これを踏まえての発言だった。

 滋さんに、ウンギョンさんと会うと決断させたのは、「孫に会いたい」という肉親の情だけでなく、進展が見えない拉致問題を、ウンギョンさんとの対面をきっかけに動かしたいという意図もあったのではないか。
 1997年にめぐみさんの実名公表を決断したのは、滋さんが、実名でないとインパクトがなく問題を打開できないと考えたからだった。滋さんは、社会の動きへの大局観を持っている人である。
 ウンギョンさんと対面をする自らを、二国間での交渉の一つの駒として差し出すという発想が、滋さんにはあったのではないか。一連の流れから、私にはそう思えてくる。

 

 いま思えば、横田さん夫妻に12年も我慢を強いることなく、早くウンギョンさんに会わせてあげるべきだった。滋さんに長い苦悩の末の「決断」などさせてはいけなかった。
 むしろ政府の方から、お孫さんに会えるよう手配しましょうと対面を進めるべきだったのではないか。そうすれば結果として、政府の北朝鮮との交渉のオプションも広がったかもしれない。

 本気で拉致問題に風穴をあけようとするなら、ウンギョンさんとの対面などの「人道」的な問題をはじめ、ありとあらゆる機会やルートを利用することに知恵を絞るべきだろう。効果的な「圧力」を加えながら。
 安倍首相が「やってる感だけ」と批判されるのは、何としても拉致問題を動かそうという本気度が全く見えないからだ。

 いまウンギョンさんは32歳。夫、娘の3人で、平壌市中心部の公営マンションで暮らしている。夫は教育関連の役所勤めのかたわら、副業で中国相手の貿易も手がけているという。娘さんはもう7歳で小学生だ。
 「部屋にはピアノがあり、旦那さんも弾くし、娘さんも習っているはずです。北朝鮮で家にピアノがあるのは特別な地位にある証拠。拉致被害者の家族だからでしょう。米や野菜、肉の配給は通常週2回ですが、若干多く配給されるそうです」(有田芳生さん)

 早紀江さんは今も、モンゴルでの写真を引き出しから取り出して、あの夢のような日々を懐かしんでいることだろう。早紀江さんが、飛行機で旅をするのはもう厳しい。もう一度会いたいと思っているに違いないが、早紀江さんの性格からして、自分からは決して言い出さないだろう。

 もうこうなったら、政府主導で、ウンギョンさんを日本に呼んで早紀江さんに再び会ってもらうというのはどうか。この「人道」問題には北朝鮮も反対しないはずだ。

 「いろんなことでまずパイプを作って、拉致の解決につないでいきたい」
 この言葉が滋さんの遺言のように思えてくる。
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 「滋さんの逝去によせて」の連載はきょうでいったん終わります。お読みいただきありがとうございました。
 連載中、若い人から、拉致のことをほとんど知らなかったので、一から勉強になりますという声が寄せられたり、問題の闇の深さに気が付かされ、とてもおもしろいので続けてほしいなどの励ましもありました。
 今後、もっとオタクな話も交えて、北朝鮮問題を深掘りする企画を適宜書いていきます。
 よろしく!

横田滋さんの逝去によせて12-「孫に会う」決断が引き寄せたストックホルム合意

 連日、韓国を口汚く罵る金与正(キム・ヨジョン)。彼女に注目が集まっている。

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 ジン・ネットはロイヤルファミリーの取材でもいくつかスクープがある。
 スイス・ベルンには、のべ7~8人の取材班を出して、3兄弟(正哲、正恩、与正)の留学時代を洗っている。
 当時は正哲(ジョンチョル)がターゲットで、激しい取材競争のなか、彼が学んでいたインターナショナルスクールにはフジテレビに次いで二番目に辿りついた。同級生や先生にインタビューし、当時の写真をたくさん入手した。
 彼らが滞在していたアパートにたどり着いたのは、ジン・ネットが最初だったと思う。カネも組織力も劣る中、大企業メディアに先んじたのだから、よくやったものだ。

 正恩は一時、兄と同じインターナショナル・スクールに在籍したが、なぜかすぐに退学し、公立学校に転校した。与正も公立学校に入り、小学3年から6年まで(96年から2000年末まで)在籍している。これだけ長く公立学校にいたからには、彼女はドイツ語がかなりできるはずだ。バレーも習っていたという。

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スイス時代のキムヨジョン

 ただ当時、我々は与正には関心を持っていなかったので深い取材をしていない。

 この3兄弟の母親が、高ヨンヒ(漢字は不明)という在日朝鮮人であることは、日本では知られている。

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コ・ヨンヒ(デイリーNKより)

 高ヨンヒを知っているという、Kさんという女性に、東京で会ったことがある。
 Kさんは在日朝鮮人で、1959年から84年まで行われた「帰国事業」で北朝鮮に渡った9万3千人の一人だ。およそ半世紀を北朝鮮で暮らし、命がけで脱北して日本に帰ってきた。
 「帰国事業」と言っても、日本の在日のほとんどは南の出身で、北には親戚も知り合いもいないから、帰国というより見知らぬ土地への「移住」である。
 北朝鮮の住民とソリが合わないこともあり、いきおい「帰国者」同士のコミュニティができていく。

 Kさんによると、高ヨンヒ(当時は別名)は踊りが上手できれいな娘だったが、ある時、その一家が忽然と消えてしまった。偉い人に見染められたと噂が立ち、しばらくたって、知り合いがその一家のところを訪ねたら、御殿のような家だったと驚いていたという。
 Kさんのところには、私は友人に誘われて遊びに行った。お茶を飲んで雑談していたら、そんな話になって驚いた。考えてみると、「帰国者」コニュニティは狭い世界だから、コ・ヨンヒを知っている「帰国者」がいるのは当たり前だ。
 日本の政府関係者から話を聞かれたことはありますかと尋ねると、一度もないという。貴重な情報源なのに、もったいないことである。

 拉致問題を進展させようとするなら、拉致に直接に関係する情報以外にも、北朝鮮の政治・経済・社会事情、軍の動向などと並んで権力の中枢の構造、とりわけ金一族の内部に関する情報を入手することは必須ではないか。
 脱北して日本に帰ってきた「帰国者」は200人いる。なかには高ヨンヒにつながる人がいる可能性もある。金一族の誰がどんな役割をしているか、性格はどうか、中枢につながるルートは作れないか、どんな圧力が効果があるかなどなど、対北朝鮮戦略を考える上でのヒントが得られるかもしれない。

 政府はいつも、情報収集に最大限つとめてまいります、というが、ほんとにやっているのか、はなはだ疑問である。
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 孫娘の金恩慶(キム・ウンギョン)さんに会いたい気持ちを封印してきた横田さん夫妻だったが、高齢化と体力の衰えを自覚するにつけ焦りも出てきた。

 このまま会えないままになってしまうのではないか。

 迷い、悩み続けてきた滋さんが、ウンギョンさんに会うと決めたのは2013年10月だった。その決意を早紀江さんに告げ、すぐに安倍首相と岸田外務大臣に手紙を書く。
 11月半ば、首相からは実現しましょうという意思が伝えられた。

 この対面のために水面下で日朝間の協議がはじまり、場所は第三国のモンゴルでとなった。

 横田さん夫妻が長年、ウンギョンさんとの交流について相談してきた人がいる。参院議員の有田芳生さんだ。相談が始まったのは、国会議員になる前の2006年秋だったという。ウンギョンさんに関する情報を、政府からは全く教えてもらえないと、横田さん夫妻は悩んでいた。
 15日のブログで書いたように(https://takase.hatenablog.jp/entry/20200615
有田さんは、「ニューヨークタイムズ」紙に意見広告を出すなど、早くから拉致問題解決のために活動しており、夫妻と信頼関係を築いていた。

 有田さんによれば、横田さんが孫に会うことを決めたことで、安倍政権が北朝鮮側と水面下で交渉を開始したという。
 小野啓一北東アジア課長と新「ミスターX」との水面下交渉で、横田さん夫妻の孫との初対面が実現。それによって環境が整い、局長級会談へと進み、「ストックホルム合意」が結ばれたのだった。

 滋さんは、ウンギョンさんとの対面の経緯について、モンゴルから帰国後の記者会見でこう語っている。 

 「会いたいという気持ちは以前からありました松木さんのお母さんのように、高齢の家族の方が亡くなったこともありますし(注)、今、夫婦そろってというのは私のところと有本さんだけなんです。被害者の方はみんな片親か、両方とも亡くなっている。 

 できれば何かの機会に会いたいということを外務省とお話ししていましたら、時間がかかりましたけど、セットして下さいましたんで、ありがたく思っております。
 その直後に、赤十字会談が瀋陽で開かれるようになって、外務省からも交渉する機会がでてきたんで、この話があったからそれができたということはないですけど、両国の交流が起きて、その結果以前のような交渉が開かれるということであればいいなと思っております
 「松木さんが亡くなったり、我々ももうそういうことになる年齢なんで、できれば1回でも行ってみたいなあと思ってお願いしました
(注:1980年、留学先のスペインから拉致された松木薫さん(当時26)の母、松木スナヨさんが2014年1月11日に92歳で亡くなった)

 滋さんがここで触れた「中国・瀋陽での赤十字会談」は、2014年3月3日、1年7ヵ月ぶりに行われ、北朝鮮に残された日本人の遺骨や墓参などを協議している。

 3月10日から14日にかけて横田さん夫妻はモンゴルに行き、ウンギョンさんと対面した。

 その後、14年5月26日から28日まで、スウェーデンストックホルムで日朝政府間協(日本側代表・伊原純一アジア大洋州局長/北朝鮮側代表・宋日昊ソン・イルホ)外務省大使)が開かれた。

 ストックホルム合意では、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」としてきた立場を改め、「特別調査委員会」を設置して、拉致被害者を含む日本人行方不明者、戦後北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨、残留日本人、日本人配偶者などの調査を行うと約束した。日本政府は、見返りに独自制裁の一部を解除することで合意した。

 残念ながら、この合意は2年後、北朝鮮が核実験と弾道ミサイル発射を行い、日本政府が独自制裁を科したことで機能しなくなった。

 この合意については評価が分かれるが、その前まで北朝鮮がずっと言い続けてきた「拉致問題は解決済み」の立場を転換させ、その後に含みを持たせた点では「進展」とみなしうるものだったと思う。

 ともあれ、あのとき日朝交渉が進んだのは、横田滋さんの孫に会うという決断と首相への要請がきっかけだった。
 では、横田滋さんは、「孫に会いたい」という肉親としての情だけで決断し行動したのだろうか。
 実は、滋さんは、政府の拉致問題への取り組みに大きな疑問をもっていた。
(つづく)

横田滋さんの逝去によせて11-ウンギョンさん一家との3日間

 おまえの破産の話がニュースになってるぞと知らされ、ネットを見ると、ほんとだ・・。

news.mynavi.jp


 破産申し立てをしたのは2ヵ月近く前だったが、コロナで裁判所が動かず、だいぶ遅れて破産開始決定になった。こちらは「まな板の鯉」で、早くやってほしいが、手続きが終わるまでこれから3ヵ月近くかかりそうだ。もっとも、生死にかかわるような重大事ではないので、ご心配なきよう。
・・・・・・・・・
 この連載では、拉致問題の動きを決定づけた、被害者側の二つの決断を取り上げてきた。
 1997年1月の横田滋さんによる「めぐみさん実名公表」の決断、そして2002年10月の蓮池薫さんによる「北朝鮮に戻らない」決断だ。

 きょう紹介するのは、横田滋さんが、何年も悩みぬいた末に下したもう一つの決断である。

 

 横田家の引き出しに、大切にしまってある写真がある。
 滋さんと早紀江さんは、折に触れそれを取り出してはあの時のことを思い起こしていた。苦しみばかりに見える二人の人生にも、忘れられぬすばらしい思い出があったのだ。

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横田さん夫妻とひ孫(10ヵ月)

 

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滋さんとウンギョンさん

 2014年3月、横田さん夫妻はモンゴルで、めぐみさんの娘で「孫」にあたるウンギョンさんとその夫、二人の間に生まれた10ヵ月の「ひ孫」と会い、同じ建物で3日間を過ごした。
 それがどれほどの喜びだったかは、帰国後の記者会見での夫妻の表情を見ればわかる。

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記者会見の二人(Foresightより)

 「めぐみちゃんの若い頃を、私たちは見られなかったんですけど、若いときのめぐみの感じによく似てるなあと感じることが多かったし、赤ちゃんも思いがけなく大きく育っていて元気で、ニコニコして奇声を上げながら笑いかけてくれて、夢のような、長いこと願っていたことを実現したと、私たちにとっても奇跡的な日だったと思っています。希望していたことがかなえられたことが本当にうれしくて、肉親として、祖父母と孫として会いたいと思っていたことが、静かに実現したことが、私たちには喜ばしいことであり、不思議な瞬間で、一つ一つが感動しながら過ごした日々でした」(早紀江さん)
https://www.huffingtonpost.jp/2014/03/16/north-korea-abductees_n_4976862.html

 金恩慶(キム・ウンギョン)さんは1987年9月、めぐみさんと夫、金英男氏(高校生だった1978年に韓国の海岸から拉致された)の長女として生まれた。08年11月、金日成総合大学コンピューター科卒業。09年8月、国家科学院発明指導局研究生。11年5月、23歳で結婚し、13年5月、長女を出産している。

 ウンギョンさんによれば、子どものころ、めぐみさんが絵本を読み聞かせたとき日本語も教えてくれたので、母は在日の帰国者(注)だと思っていた。母のめぐみさんが拉致被害者だと知ったのは02年の小泉訪朝の時だったという。
(注:1959年から84年まで、在日朝鮮人の「帰還事業」として日本国籍者の家族を含む9万3千人が北朝鮮に集団移住し、その後日本との往来はできないままになっている)

 夫は大学の同級生で1歳年上。交際一年後にウンギョンさんが拉致被害者の娘であることを告白したさい、同席した父が「あなたの将来のためによくない。それでもいいのか」と言うと彼は「ずっと愛します」と答えたという。

 滋さんもウンギョンさんの夫と会って安心したようだ。
 「ご主人もウンギョンさんも金日成総合大学という、北朝鮮ではいちばんいいと言われている大学を出て、2人ともコンピューター学科の先輩、後輩で、自宅から歩いて10分ぐらいのところに勤めていると聞きました。赤ちゃんすぐ抱いてくれたりしますので、やさしい良い人と結婚できたということでうれしく思っています」(会見で)

 ウンギョンさんは母が日本人と知ってから日本語を学び、夫は高校、大学と日本語を学んでいて、横田夫妻とウンギョンさんの話を翻訳することができた。最終日の夕食は、通訳が同席することなく、家族水入らずで過ごしたという。

  横田さん夫妻は、まさに夢のような楽しい時間をもつことができたのだった。

 

 横田さん夫妻が孫娘に会うまでには、その存在が判明して実に12年近い年月が経っていた。それはなぜか。

 めぐみさんの娘、ウンギョンさんの存在が分かったのは、2002年9月17日の小泉訪朝のときで、横田さん夫妻は翌日、外務省から知らされた。
 当時15歳で名前は「ヘギョン」だという。(のちに本名はウンギョンと判明)
 9月19日、外務省の平松賢司・北東アジア課長から電話で「めぐみさんの娘さんと言われている子どもにお会いになりますか」と聞かれ、滋さんは「会いたい」と答えている。
 10月1日、「ヘギョン」さんの血液を政府調査団が持ち帰り、DND鑑定でめぐみさんの娘と確認された。
 10月15日、「ヘギョン」さんは、順安空港で、帰国する5人の拉致被害者を見送っている。蓮池さんたちは、彼女と涙の別れをしたと語っている。

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空港で蓮池薫さんとヘギョン(ウンギョン)さん

 彼女が空港に来たのは「おじいさん、おばあさんも来てるかな」と思ったからだった。会えなかったことに、「ヘギョン」さんは失望したという。

 早紀江さんは、その少女の写真をみて「めぐみがいなくなったころの年頃でもあったので、まるで探し続けた娘の姿を見るようでした」と振り返る。(『私とめぐみの35年』)

 その後、日本のテレビで「ヘギョン」さんのインタビューが流れた。彼女は「おじいさん、おばあさんにとても会いたい。こちら(北朝鮮)に来てください」と横田さん夫妻を誘っていた。

 めぐみさんが「死亡」とされながら突如現れためぐみさんの娘。
 横田さん夫妻ともに、すぐに孫娘に会いたいという気持ちは強かった。しかし、当時の政治的な事情でその願いはかなわなかった。支援団体「救う会」が、「会えばお母さんは亡くなったと言わされる」と反対したからだ。

 私も当時、横田さん夫妻が北朝鮮に行って「ヘギョン」さんに会うことには反対した一人だった。

 横田さん夫妻は「ヘギョン」さんと会うことを封印した。
 《かわいい娘ですから、すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたい。主人も会いたい気持ちを抑えきれずにいましたが、二人で北朝鮮へ行けば、ヘギョンちゃんも政府に利用され、あの国の謀略に乗せられることになります。もし、ヘギョンちゃんが「お母さんは死にました」と私たちに言えば、主人は「こんな可愛い子をおいて亡くなって」と抱きしめ、泣いてしまうでしょう。そんな映像がニュースで流れれば、「めぐみの死」を認めることになり、娘を取り戻すことはできなくなります。何をされるかわからない怖さがあるので、私たちは会いたい気持ちを堪えて遠くから見守ることにしました》(横田早紀江『私とめぐみの35年』P151-152)

 二人はながく公の場では、肉親としての感情を隠してきた。
 しかし、拉致問題がまったく進展を見せないまま、時間だけが過ぎていく。高齢になり、体調を崩すことも増えてきた。
 いま会っておかなければ・・・
 
 滋さんがある決断を下す。
 その決断が、日朝の水面下での交渉を促し、2014年3月のモンゴルでの面会実現、そして5月のストックホルム合意をもたらすのである。
 2013年10月のことだった。
(つづく)