橋本昇『内戦の地に生きる』

 たまたまつけていたEテレ日曜美術館」に藤原紀香がゲストで出ていた。クリムトの特集(6月9日の再放送)で、彼女はクリムトが大好きなのだという。私はクリムトには関心がないが、藤原紀香のファンなので見入ってしまった。

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 彼女のブログにはこの番組に出演したことがこう書かれてある。
 《大好きなクリムトと、シーレを、時代背景から掘り下げている番組でした
プロデューサーさん方から、衣装はクリムトの世界観で、とお話がありましたので
TAE ASHIDAの このドレスを選びました
明日の放送、ぜひご覧ください 》
 ドレスもクリムトずくめなのか。けっこうこだわりの人なのである。それしても、もう48歳というのに、この艶やかさはどうだ。
 しかし、彼女、女性に嫌われる女では常にランキング上位に入る。私の周囲の女性(娘や妻を含む)にも受けがよくないので、大っぴらに褒めたりできないのがつらいところだ。苦労した過去があり努力の人で勉強家なんだが・・。好かれる人、嫌われる人はどこが違うのか、考えてしまう。
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 写真家の橋本昇さんから今春発行の著書『内戦の地に生きる―フォトグラファーが見た「いのち」』(岩波ジュニア文庫)をいただいた。
 橋本さんとは、10年ほど前、写真家仲間の年末の忘年会で知り合った。私とほぼ同年という気安さもあって飲んでは激論を交わしたりする間柄だが、彼の過去の仕事についてはよくは知らなかった。
 この本を読んで、橋本さんが紛争地を含む大きな国際ニュースの現場に立ってきた一線級のジャーナリストだと知った。橋下さんはこの本を日本の若者へのメッセージとして書いたという。

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 本の目次には世界の紛争地が並ぶ。
 ソマリア 1992年
 ボスニア・ヘルツェゴビナ 1994年
 南アフリカ 1994年
 ルワンダ 1994年
 シエラレオネリベリア 1996年
 アフガニスタン 2001年
 パレスチナ 2002年
 南スーダン 2003年
 カンボジア 2006年
 飯舘村 2011年~

 最後が飯舘村というのがおもしろい。ここ日本にも「戦い」の現場があることに気づかされる。

 橋下さんは、ベトナム戦争を取材した団塊の世代の次の世代である。そしてこの世代の日本人で、彼ほど長く、そして多くの国際ニュースの現場を踏んだフォトグラファーは珍しいだろう。他には遠藤正雄さん、長倉洋海さんくらいしか思いつかない。

 本を開いてみる。陰影を効果的に使った写真が印象に残る。本格派の報道写真である。

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1994年 南スーダン

 かくも多くの悲惨が起きるこの人間の世界に絶望したくなるが、橋本さんは状況に入れ込みすぎず、写真家として冷静に観察している。一方で、あまりの悲惨さに、揺れる取材者の気持ちもそのまま吐露されている。

 1992年のソマリア、街の通りに何人も死体がころがる極限の飢餓が襲っていた。

 《男の子が虚ろな眼でこちらを見た。カメラを構えて男の子にレンズを向けシャッターを切った。男の子の目がレンズの先を追う。その間、ずっと体が震えているのを感じていた。ここまでの飢餓の現実を目の当たりにするのは初めてだった。

 どうして自分はここにいるのか?自分の健康な体を恥ずかしいとも感じた。写真を撮るということで正当化している自分の存在。何十年の人生まで問われているように心が揺れ、心の中で何かが激しく交差した。》(P18) 

    橋本さんは多くの場所で飢餓を取材しているが、2003年の南スーダンの記述はとくに印象に残る。そのなかで橋本さんは日本の飽食に思いを寄せる。

 《町中に所狭しと溢れる食べ物屋、24時間営業のコンビニ、毎日これでもかとグルメ情報が流れてくるテレビ、今や、我々にとって「食」は飢えを満たすだけのものではなく、「美味いもの」「便利なもの」を提供するという一大産業となった。》

 そして、その便利さ、豊かさの陰で一年間に1900万トンもの食品―世界の7000万人が1年間食べていける量―が捨てられているという現実に考え込む。
 人びとが命をつなぐWFPの配給を取材したあと、橋本さんはある少女と出会う。

 《少し離れた所で誰もいなくなった地面に、一人の少女が座り込んで地面にこぼれ落ちた米を拾っていた。こぼれ飛んで土に混じった米を小さな箒で集めては、手のひらに乗せ、指先で一粒一粒摘んで木のお椀に入れている。

 たった一人で無心に米を拾い集めるその姿を見た時、すべての事がストンと腑に落ちた気がした。いつの間にか忘れてしまっていた米の一粒に一粒に“命”を見るということ。“食べる”ということは“生きる”ということなのだ。

 その時、腹を満たした末に思案していた“清貧”という言葉などはこっぱみじんに大地に吹く熱い風に吹き飛ばされていった。そして、“生きている”ということへのシンプルな感動が心の奥から湧き起こってきた。それは一人の少女が教えてくれた命への感動だった。》

 橋下さんの本は、感じたままの飾りのない率直な筆致で書かれており、とても読みやすい。
 本を書くきっかけになったのは、ある日、所属していた通信社のパリ本社から現像されたポジフィルムが入った大きな段ボール箱がたくさん届いたことだったという。今やデジタルの時代で、送られてきたのはデジタル処理された後の役目を終えたフィルムだった。それを手に取った橋本さんには、シャッターを切ったときの光景、音や臭いまでがまざまざと蘇った。
 「はじめに」で橋本さんは本のモチーフについてこう書いている。
 《苦悩、悲しみ、怒り、祈り、そして愛や憎しみ。紛争の現場、飢餓の現場から、人々は生きる事の意味を問いかけていた。
 フォトグラファーとして見てきた様々な光景。アフリカのどこまでも続く赤い大地、そこに突如現れる動物達、カンボジアの青々と広がる水田に憩うアヒルや水牛、アフガニスタンへと続く荒野にくるくると巻き起こるつむじ風・・・。そんな光景に出合うたびに、この奇跡の星地球の、私達をとりまく世界は「詩」なのだなぁと感じていた。
 そしてこの長い地球の歴史の中で、私達は皆、遠くの星の瞬きのような、ほんの一瞬の時間を生きているに過ぎないのだと思いながらシャッターを切っていた。取材現場で出会った人々から受け取ったのは、そんな私達への一人一人の“命の詩”だったと思う。》
 その詩を紹介しながら、ジュニア新書の読者である若い人々に、こんな問いを投げかけている。
 「人間の一生もまた一篇の詩だとしたら、あなたはどんな詩を書きますか」

 海外の出来事に関心が持ちにくいと言われる今の若い人に読んでほしい一冊である。

 

 よくこれだけたくさんの現場に行けましたね、と感心すると、「それは俺がシグマ(写真通信社、現在はGetty Images)に所属していてアサインメント(仕事の指示)があったから。自分ではとても行けないよ、経費がすごくかかるし」と橋本さんはいう。
 ここが今の紛争地ジャーナリストと決定的に違うところだ。私の周りの紛争地ジャーナリストたちはフリーで、トラック運転手などのバイトで資金を作っては取材に使う。ジャーナリストが、お金を得る手段としての「職業」にはなっていない。
 いま通信社に所属することは非常に狭き門になっているから、この状態は続くだろう。取材をお金にする仕組みがなければ、報道を持続可能な活動にはできない。

 紛争地を取材してきたフリージャーナリストの遠藤正雄さんは「紛争地に行くと、各国のメディアが来てるのに、日本人がいないんですよ。恥ずかしいですよ」と嘆いている。https://takase.hatenablog.jp/entry/20150218
 いまや紛争地を取材するフリーランス絶滅危惧種である。

 日本のジャーナリズムの先細りをどうすればよいのか。橋下さんの本のページを繰りながら、そんなことも考えた。

東電旧経営陣への無罪判決によせて2

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 きのうの夕方、おつかいで駅前に行ったら夕焼けで空が赤く染まっていた。天変地異が起きるのではと思うほど強烈な色合いで、多くの通行人がスマホをかざしている。台風17号はもう大丈夫なのか。
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 鉄道のフェンス沿いに鮮やかな黄色。マツヨイグサ(たぶんオオマツヨイグサ)だ。花は夕方に開くので「宵待ち草」や「月見草」とも呼ばれる。これは朝出勤のときに見た花がしぼんだ状態。北アメリカ原産で明治期に帰化し、野生化したらしい。アスファルトのすきまから元気に育っている。
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 東電の旧経営陣3人に対する無罪判決についての続き。

 裁判の過程で、東電の担当者も、国の長期評価(今後30年内にマグニチュード8前後の地震福島県沖を含む三陸沖北部から房総沖の間で起きる確率は20%程度)を否定することはかなり難しいと考えていたことも明らかになった。
 無罪判決を妥当とする読売新聞の社説でさえこう書いている。
 《ただ、刑事責任が認定されなかったにせよ、原発事故が引き起こした結果は重大だ。想定外の大災害だったとはいえ、東電の安全対策が十分だったとは言い難い。
 2年3か月にわたる公判では、東電の原発担当者や地震学者ら20人以上が出廷した。津波対策が必要だと考えていた、と証言した部下もいた。危機感が共有されず、組織として迅速な対応が取れなかった実態が浮かび上がった。
 強制起訴によって裁判が行われることになり、公開の法廷で、原発の安全対策に対する経営陣と現場との認識のギャップが明らかになった意義は小さくない。》
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190920-OYT1T50032/

 ところで、2017年3月には、民事裁判で津波の「予見可能性」を認める判決が出ている。
 《東京電力福島第一原発事故群馬県内に避難した住民ら45世帯137人が、国と東電に総額約15億円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が17日、前橋地裁であった。原道子裁判長は、国と東電はともに津波を予見できたと指摘。事故は防げたのに対策を怠ったと認め、62人に計3855万円を支払うよう命じた。》
https://www.asahi.com/articles/DA3S12847301.html
 刑事裁判では民事と違って、企業などの「法人」は当事者にはなれず、自然人しか裁けない。今回のように同じ東電内でも危機感の持ち方などで大きな差がある場合、個人の責任をどう判断するのかは難しい。
 私は、今回の判決が、政府の原子力行政を前提にしたバランスを欠いたものであると思うが、同時に日本の現行の刑事裁判が自然人しか対象にできないという問題を何とかすべきだとの以下の信濃毎日の社説に同意する。
 《今回の裁判は、東京地検の不起訴処分を受け、検察審査会で強制起訴が決まった。原発事業者に高い注意義務を求める市民感覚の表れといえるだろう。深刻な被害を出した事故の刑事責任をだれも負わないことは、ほかの原発事業者や経営陣に甘えも生みかねない。
 刑法は個人に処罰を科す。今回の判決は、組織の決定に対する個人の責任を問うことの難しさを改めて浮き彫りにした。企業や法人に対する組織罰の導入を検討しなければならない。》https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190920/KT190919ETI090005000.php

    2005年のJR福知山線で列車の脱線事故が発生、107人が亡くなるという大惨事になった。刑事裁判では、JR西日本の元社長が起訴されたが無罪となり、強制起訴された歴代3社長も無罪となっている。誰にも刑事罰が科せられずにいるのは納得できないだろう。こうした大事故では同様の問題がつねに生じている。

 

 TBS「報道特集」では、飯舘村の期間困難区域である長泥行政区被災地ですすむ「復興事業」も紹介された。国の費用で除染・インフラを整備する代わりに、汚染土を埋め立て、その上に普通の土を盛り、試験農業をやる再生事業プロジェクト進められている。
 鴫原(しぎはら)良友区長が苦しげな表情も見せつつ、「(原発事故から)8年くらいになるので、ある程度は覚悟というか、心に妥協がある。再生事業は夢も希望もるが、どんなふうに変るのか、不安も正直少しある」と言う。

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 汚染土の再利用については以前書いたが、長泥の人々にとって苦渋の決断だった。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20180311
 時間もたつので、不安もあるが妥協しながらでもやれることをやるしかないということだろう。この事業は住民の合意を得ていることになっているのだが、受け入れるまでには反対も葛藤もあったはずだ。そして住民の不満は区長である鴫原さんに集中したことだろう。また村、県、中央との調整などでも苦労があっただろう。


 原発事故の翌年、鴫原さんから苦しい毎日を生き抜く覚悟を聞いて感銘を受けたことを思い出す。
 《「忙しくてどうしようもない」「金がなくて困った」「仕事がうまくいかない」、こういうのが最高の幸せですよ》こう鴫原さんは言ったのだった。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20120713

 鴫原さんは、判決については、「東電が悪いとか国が悪いとかいう問題じゃないと思う。復興に対して住民が納得できるような方向に持っていってもらいたい」と語る。

 もう前を向いて進むしかない。そんな鴫原さんの心中に思いを馳せた。

東電旧経営陣への無罪判決によせて1

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 近所の栗の実が大きくなって、雲も秋らしくなってきた。スーパーで栗が安く出ていたので手が伸びた。茹でてみよう。
 きょうはお彼岸。秋分だ。夜が長くなり、本格的な秋へと向かう。 
 23日から初候「雷乃収声」(かみなり、すなわちこえをおさむ)。雷雲(積乱雲)から秋の雲に変っていく。次候は「蟄虫坏戸」(むし、かくれてとをふさぐ)が28日から。虫たちが巣籠もりの準備にはいる。末候の「水始涸」(みず、はじめてかるる)が10月3日から。これは、田んぼから水が抜かれることだという。柿やキノコが楽しみになる。
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 政府はようやく、台風15号がもたらした被害を激甚災害と指定するという。遅すぎる。非常に強い台風で、鉄道各社が計画運休するほど要警戒だったにもかかわらず、千葉県が大変なことになっている最中、組閣に夢中になって首相は現地を訪れることもしていない。復旧の遅れへの怒りが東電社員に向けられているというが、責任は行政にある。安倍首相は、小泉進次郎環境相につづき、今日からアメリカに外遊だ。
 一方、22日午後10時現在、千葉県内ではなおも、八市町の計約2300戸で停電が続いているという。台風17号の接近にブルーシートを張り直したり現地では不安が募っているようだ。大きな被害になりませんように。
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 東電福島第一原発の事故を巡り、業務上過失致死傷罪に問われた勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の旧経営陣3人に対し、19日、東京地裁が無罪を言い渡した。
 検察は3人を不起訴にしたが、市民で構成する検察審査会の議決で強制起訴された。安全対策を怠り、東日本大震災津波による原発事故を発生させた結果、避難を強いられた入院患者を死亡させるなどした、という内容だ。
 各紙の評価は割れた。読売は社説で妥当な判決だとした。https://www.j-cast.com/2019/09/21368151.html?p=all
 《裁判のポイントは、3人が津波の発生を予見できたかどうかだった。検察官役の指定弁護士は、事故前に「最大15メートル超」の津波の可能性を指摘した試算を根拠に「対策を取るか、運転を停止していれば事故は防げた」と主張した。
 これに対し判決は、試算の基となった政府機関の地震に関する長期評価について、「専門家から疑問が示されるなど、信頼性に欠けていた」と判断した。その上で、津波発生の予見可能性を否定し、3人の無罪を導いた。
 刑事裁判で、個人の過失を認定するには、具体的な危険性を認識していたことを立証する必要があるが、それが不十分だったということだ。刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう。
 また判決は、「自然現象についてあらゆる可能性を考慮して対策を講じることを義務づければ、不可能を強いることになる」との考え方を示した。当時の原発の安全対策に、「ゼロリスク」まで求めなかったのはうなずける。》

 これと反対に、21日のTBS報道特集はこれを原子力ムラの影響下での判決だとして厳しく批判した。

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 裁判では、東電の津波担当の社員が証言台に立ち、試算でこれまでの想定を大きく超える15.7mという高さの津波の可能性を報告したと証言。海抜10メートルの原発敷地を優に超える数字で、2008年6月、当時原子力・立地本部副本部長だった武藤氏に報告した。

 だが武藤氏は翌7月、津波対策を保留する方針を決め、専門家でつくる「土木学会」に試算方法の検討を委ね、対策が実施されないまま事故当日を迎えた。従来想定を上回る津波の可能性については、旧経営陣3人出席の「御前会議」でも示されていた。
 武藤氏の「再検討」決定について、東電の社員Aは「ずっと対策の計算をしたり検討に携わっていましたので、予想していなかった結論で力が抜けました」と裁判で無念を語った。
 また、別の津波担当社員Bは「結局あの計算をしていなかったら心底想定外だと思えたのに、ちょっと計算しちゃってるから、想定外だということに関しては気持ちの整理がつきませんでした」と勇気ある証言をしている。東電内でも、あの津波が「想定外」とは思っていなかった社員たちがいたのである。裁判では、こうした重大な内部事情が明らかになってきた。
 永渕裁判長は判決で、「絶対に事故が起きないレベルの安全性の確保までを前提としていなかった」とし「(防潮堤などの対策が)事故までに完了できたかは明らかではなく、事故を回避するためには原発の運転を停止するしかなかった」と書いた。
 ところが、東電の中にははじめから「万が一」という発想がなかったという。東電の原子力部門の関係者がTBSの取材にこう内情を明かす。
 「そもそも当時の原発の安全思想では『万が一の際の対応を考える』という発想自体がなかったように思う。原子力という性質上、万が一のことが起きた場合の結果は甚大で、そのことを考えること自体が、あたかも安全対策が不備であることを認めるような結果となり、タブー視されているような空気があった」。
 また、15m超の津波予測は、2002年公表の国の長期評価にもとづくものだが、これは、福島県沖を含む三陸沖北部から房総沖の間でマグニチュード8前後の地震がどこでも発生する恐れがあるとし、確率を「今後30年以内に20%程度」と予測していた。この信頼性が論点の一つになった。

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 勝俣氏は「信頼性のないものをベースに企業行動は取れない」と主張した。一方、東電の津波対策担当者は「国の機関による長期評価で、多くの学者が内容を支持した。想定に取り入れるべきだと思った」と証言。東電内で、まっこうから評価が対立したが、永渕裁判長は長期評価の信頼性や具体性に疑いがあるとした。

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 この国の長期評価作成に関わった東京大学の島崎邦彦名誉教授(原子力規制委員会の委員長代理もつとめた)は、「(長期評価には)客観的な信頼性も具体的な根拠もある。(判決は)結論ありきから、それに有効な証拠を集めているとしか思えない。(武藤氏が再検討を依頼した「土木学会」には)電力会社で原発津波担当社員が委員に入っている。中立性どころじゃない。」といわゆる原子力ムラの存在を指摘し、土木学会という「身内」に検討させるのははじめからデキレースであり、判決には政府の原子力行政への忖度があると批判した。

(つづく)

高須基仁さんとのちょっとした思い出

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 通勤途中に咲いていた西洋アサガオ。遅咲きで今が見ごろだ。
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 FNN,jp プライムオンラインに香港記事を2本書きました。関心のある方はお読みください。


「香港デモのスローガンは“Be Water” 革命の「水」はどこへ流れていくのか~ジャーナリストが現地取材で見た混沌」(17日公開)
https://www.fnn.jp/posts/00048180HDK/201909170700_takasehitoshi_HDK


「中国で逮捕状なしの拘束・尋問  香港を脱出した男が語る恐怖の真相~香港デモの原点は「銅鑼湾書店」事件だった」(19日公開)
https://www.fnn.jp/posts/00048213HDK/201909191900_takasehitoshi_HDK

 2本目で書いた「銅鑼湾書店事件」は、「逃亡犯条例」改正が出てきたときに香港人が想起して恐怖感にかられたという意味ではデモの「原点」である。
 12日付のブログで、周庭さんがこの事件に触れてこう言っている。
 《2015年の時に中国共産党を評論する、批判する本を売っている本屋さん銅鑼湾書店の人たちが、香港含めていろんな場所から中国大陸に捕まえられました。それはすごくおかしいですね。
 もともと中国の警察や中国共産党の人が香港や違う国で直接人を捕まる権力を持っていないので、だからそのことに関してもやっぱり香港市民はもちろん怒っていましたし、そして恐怖感がすごくありましたね、2015年の時に。いつか私たち中国が好きじゃないことやれば、いつか中国に誘拐されるんじゃないかなとか、こういう恐怖感があの時すごいありました。https://takase.hatenablog.jp/entry/20190912
 この事件、日本ではあまり知られていないので記事に書いてみました。
 このブログでも次回詳しく紹介します。

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 新聞で高須基仁(もとじ)さん(71)の死亡記事を見た。
 《芸能プロダクション経営などを経て、モッツ出版を起業し多数のヘアヌード写真集をプロデュース。女優の天地真理(67)、島田陽子(66)、高部知子(52)ら約400人を脱がせ、「人たらし」との言葉を生み出した》という人だが、私もちょっとしたご縁があった。
 あれはもう10年ほど前のことだったな、と思い出す。大学時代からの友人の東京新聞記者、鈴木賀津彦さんを介して「会いたい」と連絡があった。何だろうとモッツ出版に行くと、「高世仁さんとは高と仁の字が共通で、前からお会いしたかったんだよね」と言う。一気に雰囲気が和らいで、このへんが「人たらし」と言われる所以なのかと思った。
 すぐに酒盛りになった。そこにいたのが将棋の武者野勝巳7段。当時将棋連盟会長の米長邦雄氏の反対派の筆頭格で、高須さんが応援していた。私も米長氏の言動はおかしいと思っていたので、米長批判で盛り上がった。

    そのあと、私も知り合いのテレビ局の人や出版社の人たちもまじえて盛大な飲み会になり、朝方までワイワイ楽しく飲んでいた覚えがある。

 さっき、調べたら、この日のことが高須さんのブログで紹介されていた。2007年のことだった。
 2007.02.13XML「北朝鮮問題・高世仁朝日ニュースタージンギスカン
https://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji/diary/200702130000/ 

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高須さん(中)と私(右)

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 ブログではこの宴会の席から浅草の「ハレム」に流れていったと書いてある。この「ハレム」というのは、私もこのブログで何度か紹介した、かつて東京新聞「したまち支局」の名物記者、さっちゃんこと丹治早智子さんが夜バイトしていた店である。(https://takase.hatenablog.jp/entry/20151119

 このとき私もさっちゃんに会っていたはずだが、その辺の記憶は定かでない。
 高須さんは「ハレム」の行きつけで、さっちゃんが亡くなったときもブログで書いていた。https://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji/diary/20151002/

《★9月18日(安保法案改正の夜)に60歳で乳ガン転移で逝去した東京新聞社下町支局丹地早智子さんを若鮎&清流のイメージと共に思い出す!!
昼間は東京新聞新聞記者丹地早智子、夜は浅草ひさご通り老舗スナック「ハレム」のホステス稼業のさっちゃん。
約15年にわたる永い間、お世話になりました。
東京新聞の私の短期集中連載「わが町 わが友」の24回編集担当者。
又、毎春先にタケノコの煮物を届けてくれた「ハレム」の同僚ホステス稼業のなっちゃんも68歳で今夏8月に乳ガン転移で死んだ。
8月中旬から9月中旬には浅草観音裏に「弔い」で浅草の旧い友人達と秘かに何回も何回も出向きました。》

 どんどん思い出がつながっていく。

 高須さんは「脱がし屋」と言われ、なにか無頼なイメージがあったが、話していると、とても他人に気を使う人のようだった。

    女優やタレントを連れて海外に行くときに気を付けていることがあるという。空港では必ず出発ゲートで待ち合わせる。その理由は、「韓国籍のタレントも多くて、なかにはそれを隠している人もいるでしょ。イミグレの出国手続きで僕に国籍がばれちゃうのはいやだろうと思って」。気遣いの人なのである。
 《長男の基一朗さん(42)によると、歩行障害があったため今年5月に検査したところ、肺がんが見つかり、入院。すでに脳に50カ所以上転移しており、余命は1週間単位と告げられた。
 それでも8月15日には東京・新宿ロフトプラスワンで行われたイベントに、車いすに乗って出席。これが最後の公の場になった。プロデュースしている毎年恒例の反戦イベントと、自身の最新刊の出版イベントを兼ねていた。基一朗さんは「参加したのは30分だけだが、直後に体調を崩した。本人は『死んでもいい』という覚悟で、すさまじかった」と話した。
 高須さんはサンケイスポーツおはよう面で「激ヤバAV嬢」(毎週月曜掲載)、夕刊フジで「人たらしの極意」(毎週水曜掲載)を連載しており、18日付夕刊フジの原稿が絶筆。ベッド脇に置いたスマートフォンで原稿を書き、送信したのが亡くなる約10時間前の17日午前11時15分。基一朗さんは「最後の瞬間まで、“高須基仁”でした」と語った。
 基一朗さんによると、死の数時間前、孫を病床に呼ぶか聞くと「うるさいから連れてこなくていいよ」。これが最後の言葉となった。自らひげをそり「いい笑顔で、家族に見守られて」旅立ったという。》(sanspo.com
 人の亡くなる時の様子にはとても関心があるが、亡くなるわずか10時間前に原稿を送信したとはすごい。
 高須さんのブログにはきょう19日付けで「長男・高須基一朗より最後のブログ更新」が載っている。来週水曜の「夕刊フジ」の連載が最後になるという。https://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji/diary/201909190000/

 ご冥福をこころよりお祈りします。

「暴力」を肯定する香港の若者たち

 きょう近所で鐘太鼓の音がするので通りに出たら、山車が練り歩いていた。近所の神社の秋祭りだった。

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 今年の夏はせわしく花火も祭りも見られなかったなあ。きょうの朝日俳壇を眺めていると、

アテルイも牛若丸も秋祭 (久慈市 和城弘志)
 アテルイとは平安時代初期に、胆沢地方(現在の岩手県水沢市)で大和朝廷の北進に激しく抵抗した蝦夷のリーダー。802年征夷大将軍坂上田村麻呂に降伏し処刑された。大和朝廷から見れば「賊軍」の首領なのだが、数年前、青森のねぶた祭りアテルイのねぶたが出てニュースになった。歴史上の出来事や人物を善悪で色分けすることから少しづつ自由になっているという点では望ましいことだろう。

蟻の列空を見上ぐることありや (多摩市 田中久幸)
 目の前の仕事やトラブルやであたふたと日を過していると地面しか見えなくなる。いつも青い空や月や星空を眺めて爽やかな気持ちを取り戻すことを意識的にしないと、と自戒させられる一句。
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 「逃亡犯条例」改正への反対運動が6月から歴史的な盛り上がりを見せているが、香港政府は4日、条例改正の「撤回」を正式に表明した。これで運動が収まるかと思ったら、そうではなかった。
 周庭さんのツイートは運動参加者の最大公約数だろう。

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9月4日の周庭さんのツイート

 この3カ月で、香港政府とくに警察への不信感が決定的になり、運動の目標が「5つの要求」に拡大した。それは1. 改正案の完全撤回、2.警察と政府の、市民活動を「暴
動」とする見解の撤回、3. デモ参加者の逮捕、起訴の中止、4. 警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施、5. 林鄭月娥の辞任と民主的選挙の実現だ。もう改正案の完全撤回などそのうちの一つに過ぎないのだ。
 多くのデモ参加者が逮捕されても運動が潰れずに続く要因の一つは、リーダーがおらず、市民一人一人が自主的に参加する運動形態にある。周庭さんも自分は今回はリーダーではなく、ただ市民の一人としてやっていると私に語っている。
 しかし、リーダーがいないと今後、政府と交渉して落としどころ(あまり好きな言葉ではないが)をさぐるといったことができない。5つの要求の中の民主的選挙の実現などとてもすぐに北京指導部が認めるわけがないと思うのだが、中学生までが「五大訴求 缺一不可」(五つの要求は一つも欠けてはならない)のスローガンを掲げるほど浸透しており、運動が収まる兆しはない。

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デモや集会に参加する中学生(6年制)は非常に多い

 気になるのは、警察との衝突を経てデモ隊側が火炎瓶を投げるなど暴力がエスカレートしていることだ。運動側の言い分は、「沒有暴徒 只有暴政」(暴徒はいない暴政あるのみ)、警察の暴力こそが問題だという。
 私はデモ隊への警官隊の規制の実態を見るため、深夜の衝突現場に2晩、未明まで張り付いて取材したが、たしかに警察の取り締まりは横暴だった。

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出動した警察の機動隊。この後、乱暴な逮捕がカメラの前で行なわれた(9月3日未明)

 その一部はフジテレビ「Mr.サンデー」で紹介したが、私たちのカメラの前で、警官隊に向かって「恥を知れ!」と大声で叫んだだけの若者を数人がかりで警官が地面に押し倒して逮捕した。どこか怪我をしたらしくTシャツの首のあたりに血に染まっている。また若い女性が逮捕の際、地面に2回強く頭を叩きつけられ失神、救急車で運ばれた。別の通りがかりと思われる若い女性を警官が何度も突き飛ばす場面は、私自身がカメラを回していた。まわりにいる市民からは警官隊に向けて「警察ヤクザ」との罵声が浴びせられた。
 日本に住む人には意外に思われるだろうが、運動参加者の中では、デモ隊の暴力を肯定する声が非常に多い。市民へのアンケート調査でも、デモや集会が暴力的になっている責任は政府・警察の側にあるとの答えが最も多い。
 ある集会に制服姿で参加した女子中学生(6年制なので4年以上は日本でいう高校生)に、デモ隊の一部が暴力的な行為をすることをどう思うかと聞いたところ、問題は「完全に平和的な方法では解決しないと思う」と答えた。さらに「これは革命なので、流血は避けられないのではと思う。歴史をみてもそうだ」とまで言った。
 暴力の連鎖が続く先にどんな事態が来るのか。澄んだ目で「革命」を語る若者たちの行く末が心配でならない。

周庭さん香港の闘いを語る3~香港の良さを守りたい

 ゆうべは雲に隠れて見えなかった中秋の名月。今夜はくっきりと美しい。
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 5歳児の1日の唾液生産量をユニークな実験により500mlと推定した日本人がイグ・ノーベル賞を受賞した。こういうニュースはうれしい。

 《人々を笑わせ、考えさせた研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が12日(日本時間13日)、米ハーバード大であった。自身の息子の協力も得て、子どもの唾液の量を推定した明海大(千葉県浦安市)の渡部(わたなべ)茂教授(68)が化学賞に選ばれた。日本人の受賞は13年連続。》(朝日新聞

 その一方で・・
 《日本の大学の理系論文数が、政府による研究予算の抑制や競争原理拡大と軌を一にして2000年ごろから伸びが止まり、20年近く頭打ちの状態になっていることが分かった。世界では米国や中国の論文数が飛躍的に伸びており、質の高い論文数を示す国別世界ランキングで日本は00年の4位から16年は11位に低下。研究活性化策として導入した競争原理の拡大が奏功しなかった形で、政策に疑問の声も出ている。》東京新聞8日)

 日本のノーベル賞受賞者たちも、政府の学術政策が日本の研究機関や研究者をだめにしているとこぞって非難している。、科学研究の分野での日本の凋落はなんとか食い止めたい。
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 きのう紹介した部分では、周庭さんは「デモが暴力的になったことには警察と政府が責任がある」と語っていたが、それはどういうことか。

 

Q:周庭さんは、いろいろ弁護士と相談したと思いますけど、どういう風に生きていきますか?

 そうですね、すごい難しい質問がきてましたけど。私はもちろんこの運動に参加していきますし、5つの要求を私たち、私にとってもすごく重要だと思いますね。
例えば他の国、日本だったら政治に興味があったら立候補するとか色んな方法があるかもしれませんけど、私は去年立候補しようとしていたんですけれども、立候補の資格まで取り消されましたので政府に。だから今はこの香港の政治システムの中にも、私も政治参加ができる方法がもう残っていないくらいなりましたので、だからやっぱりこれからも街で香港の、私たち香港人の未来、香港の民主主義のために戦っていきたいと思います。

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催涙弾や放水よけの傘をさしながら政府本庁舎ににじり寄る若者たち

Q:集会に参加した人から聞いたんですけど、こういう運動が起きて自分がやっぱり香港人だと非常に強く意識して、自分の故郷というか「私の香港」っていう意識が強くなったと。

 はい。香港人というアイデンティティは、私にとってすごく重要だと思います。今回の運動の中にも、いろんな例えば香港人がんばれみたいなスローガンもみんな叫んでいましたし、やっぱり香港人だから、私たち香港人としての誇りを持っていますから、香港はこれからもっと良い場所になるために今一生懸命戦っていると思いますね。


Q:香港人だなって自覚は、闘ってから出てきましたか?

 そうですね、特にいろんなデモや集会の現場に行って参加してたくさんの香港人の暖かい雰囲気とか暖かい香港人たくさん会いましたので、だからやっぱりみんな同じく香港人だから、ちゃんと自分の家を守りたいという気持ちがますます強くなりました。

Q:その「自分の家」というのは、中国が入ってくると変わっちゃうってこと?
 そうですね、中国が入ってくると変わっちゃうというよりは、もともと「一国二制度」という約束がありますので。今逆に中国政府はこの約束を守っていない、そして中国はもともと民主社会ではない。法治社会とも言えないので、だから中国が香港へのコントロールが強まっていくと、香港のもともとの良さ、いわゆる自由と公平な法律制度とか安全とか全部なくなると思いますね。

 

Q:香港の良さっていうのを、だんだんみんな自覚してきている?
 そうですね、もともと香港は国際金融都市として世界中にすごく有名なんですけど、この国際金融都市なのに民主主義のないというのもそもそもおかしいかなと思いますね。

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ごく普通の女子大生の一面も(彼女のインスタグラムより)

Q:逮捕されて保釈されたとき、やっぱり怖いって気持はお持ちなんじゃないかなって、勝手に想像したんですけど?
 そうですね、「雨傘運動」の時に逮捕されることは怖いなとか、収監されることは怖いなとか、考えたことはありましたけど、今は逆に逮捕されることに対しても、収監されることに対してもあんまり怖くないです。
 私にとって、そしてたくさんのデモに参加している人にとって一番怖いというのは、殺されることですね。だから今警察の暴力もエスカレートしていて、銃も脚に向けるでなく頭に向けて銃を使うことになりましたので、目を失った子もいましたし、だからいつか命が失ったんじゃないかなとか、そういう恐怖が確かにありますね。
 そしてまあ私は逮捕されたときは大丈夫だったんですけども、たくさんのデモ隊の人たちが逮捕されてから、例えば警察署で、そして警察の車の中に警察にそういう暴力的な対応をされたり、あとセクハラされたり、そういうことがありましたので、やっぱりそうですね、恐怖感があります。でもそういう恐怖感がますます強まっているからこそ私たちは戦わないといけないと思いますね。

Q:香港ではすでに何人の若い人が自ら命を絶ったそうですが、それを知ったときに、どういう気持ちだったんですか?。
 そうですね、悲しいですね。6月からも少なくとも6人の仲間たちが自殺という方法で命を失ったんですけれども、なぜ香港はこんなに絶望的な場所になったのかって香港人としてはすごく悲しいです。

Q:命を絶った、自殺をした人たちの気持ち、どうして彼らは自殺したのか
 そうですね、やっぱりすごく絶望だったんじゃないかなと思います。香港政府はなかなか私たち香港人の意見を聞かないし、どんだけ頑張っても。キャリーラムも北京政府もすごくはっきり言いました。5つの要求は聞こえないじゃなく納得しないということもはっきり、キャリーラムが言いましたので、なぜ香港人はこんなに頑張って戦っているのに政府は、そして良くないことをしている人たち、警察を含めて、なぜまだこういう権力乱用や、民意を尊重しないことはできるなんだろって色んな絶望的な気持ちがあります。

Q:抗議して自殺した?
 はい。

Q:そこまで追い詰められる、よほど強い意思があった?
 そうですね、やはり自殺した仲間がいるからこそ、そしてたくさん怪我をした仲間がいっぱいいたからこそ、私たちにとってもっと強い意志を持ってそういう人たちの代わりに、もっと頑張らなきゃいけないという気持ちがますます強くなりました。

Q:今回逮捕されたということは、あなたに対する最大の暴力だと思いませんか?
 私にとって最大の暴力はもちろん警察の暴力も大きいなんですけど、最大の暴力というのは香港のシステム、そして香港政府の姿の見えない暴力だと思います。
 例えば香港は民主主義じゃないとさっきも言いましたけど、実はこの20年間香港人は一生懸命、民主主義のためにいろいろ戦っていきましたけど、なかなか民意が尊重されていなくて、そしてそういう政党、システム的な弾圧がすごく多かったと思います。例えば私たちの政治システムはすごく不民主なので、だから政治システムもともと本当の民意を代表するができない。なので、こういうシステム的な弾圧、システムの暴力は一番大きいだと思います。

周庭さん香港の闘いを語る2(暴力の責任は)

 トランプ大統領は10日、「狂犬」と言われたボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)をクビにし、翌11日、ボルトン氏について、北朝鮮政策で大きな失策があったと批判した。(ロイター)
 金正恩をやたらと持ち上げているこ最近のトランプ大統領を見ていると、北朝鮮に対して無原則な妥協を重ねないか心配になる。ボルトン氏を私はインタビューしたことがあり、すぐに武力行使を(とくにイランに)口にする強硬派ぶりには辟易したが、今の米国の戦略なき外交のストッパーになっていた。トランプ氏が暴走しないといいが。


日韓を嗤(わら)うが如く飛翔体 (兵庫県 横山閲治郎)
ひたすらに祈りの中の拉致家族 (福岡県 河原公輔) 朝日川柳11日


 今の朝鮮半島情勢のなかで、拉致問題は忘れ去られてしまったかのようだ。
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 周庭さんは、15歳の若さで愛国教育に反対する運動に飛び込んだ。そして・・

周庭さん:私たち愛国教育に反対する運動は、集会もデモも何回もやりました。最大12万人の抗議デモがありました。そのあとで、政府が愛国教育はしばらくやらないという決定がありました。

Q:勝利したんですか。
 完全な勝利と言えないと思いますが、今政府も色んな他の方法で愛国教育の内容をやろうとしていましたが、確かに結果のある運動だったと思います。

Q:やはり戦うとちゃんと結果があるんだなと体験したという感じ?
 そうですね。やはり、私が初めて参加した社会運動は愛国教育に反対する運動なので、愛国教育の運動もちゃんと結果を残す運動なので。だから、もちろん社会運動を成功させることはすごく難しいことだと分かっていますが、ちゃんと戦わないとダメだなと、反抗しないとダメだなとわかりました。

Q:あなたが15歳でそういう運動始めた時に、周りのお友達は?
 そうですね。周りの友達そんなに政治に興味がない子も多かったんですが、愛国教育運動一番ピークの時期の時に、私のクラスメイトとかも、黒いリボン、あの時運動の象徴の一つは黒いリボンなんですが、黒色のカバンにつけたりしましたので、だから社会運動は人の心を変える力があるんだってすごい感じられました。

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レノンウォールに立つ周庭さん

Q:今ちょっと思い出したんですが、皆さん黒いシャツ着てるのそこからきてるんですか?
 いえいえ。色んな運動がありましたけど、一つ一つの運動も象徴するものや色とかロゴとかあります。

Q:そうすると色んな人達、グループがいるってことなんですね?一つじゃなくて。

 そうですね。色んな組織や団体もいました。

Q:周庭さんだけじゃなくて、こんなに長いこと、たくさんの人が戦うのはどうしてなんでしょう?
 そうですね。まずは香港はもちろん社会問題もおおいし、そして民主主義がないんですね。でも香港は民主主義の制度がないんですけど、システムはないんですけど、香港市民は民主の重要さがすごく分かっていると思います。
 だから、一生懸命戦っていると思いますし、特にもともと香港には一国二制度という北京の約束があります。その一国二制度を私たちの基本法というミニ憲法の中に書いてありましたので。今、北京政府はその約束を守らず、自ら香港の自治一国二制度のシステムを破壊しようとしていましたので、私たち香港人がもともと持っている権利や自由もどんどん弾圧されていますし、民主主義もなかなかこないし、だからたくさんの市民が私たちの権利、私たちの未来、私たちの次の世代の人たちのためにちゃんと街に出て戦わないといけないなとそういう思いがありましたね。

Q:「自由」というスローガンをたくさん見るんですけど
 自由と民主主義と人権は私たちにとってもすごく大事だなと思います。

Q:いま自由とか人権が危ないなと思うような具体的な事例ありますか?
 たくさんあると思いますね。まずは例えば、中国は全人代というものがありますが、全人代もともと香港のシステムにあるものではなく、中国のもの、中国の国会みたいなものなんですけれども、でも全人代が、例えば法解釈、私たちの基本法を再解釈する権力をよく使って、私たちの基本法の内容を変えようとしていました。法解釈も何回も何回も行ったことがありまして、例えば2016年の時に法解釈から私たち6名の立法会議員が資格を取り消されたというものがあります。(注)
 日本には民主主義のある国なので、例えば、国会議員の資格が政府に取り消されたということは、なかなかたぶん日本人は想像できないと思いますけど、香港はまさにこんなおかしなことが起きているので、しかも毎日起きているので、だからみんな怒りますね。
(注)2016年の立法会選挙で当選した議員のうち、反中国色の強い6人が議員資格を剥奪された。また、去年3月の立法会補欠選挙への周庭さんの立候補は無効とされた。このインタビューの翌日の9月2日、香港の高等法院(高裁に相当)は周庭さんの立法会補選への立候補を無効とした選挙管理委員会の手続きについて「不適切」とする判断を下している。

Q:ある本屋さんで問題が起きた事件もありました。
 そうですね、2015年の時に中国共産党を評論する、批判する本を売っている本屋さん銅鑼湾書店の人たちが、香港含めていろんな場所から中国大陸に捕まえられました。それはすごくおかしいですね。
 もともと中国の警察や中国共産党の人が香港や違う国で直接人を捕まる権力を持っていないので、だからそのことに関してもやっぱり香港市民はもちろん怒っていましたし、そして恐怖感がすごくありましたね、2015年の時に。いつか私たち中国が好きじゃないことやれば、いつか中国に誘拐されるんじゃないかなとか、こういう恐怖感があの時すごいありました。
(注)この銅鑼湾書店事件については後日特集します。

Q:それは今回の逃亡犯条例にも関係していますか?
 今回もともと逃亡犯条例の改正をみんな反対していた、改正が可決されたら銅鑼湾書店みたいな事件が合法的になってしまうということになるかと思いますね。でも今この運動も単純に改正案に反対する運動じゃなく、私たち5つの要求というのを求めています。

Q:じゃあ運動が逃亡犯条例から始まってるけども、もっと大きな要求になっている?
 はい、もともとは単純に改正案に反対する運動だったんですけども、でも運動の中で警察からの暴力はますますエスカレートしていて、だから警察の暴力、警察の行為に対して外部調査を行う必要があるという要求もあるし、今香港政府側が外部調査を行う要求はすごくはっきり断りましたけど、私たちにとってすごく重要だと思いますね。今の警察の行為はすごく問題的だと思いますし、ルール違反の弾圧とかもたくさんありました。そして5つの要求の中に1番重要な要求というのは、普通選挙。いわゆる民主主義を求めています。

Q:昔の香港警察はもっと優しかったって聞いたんですけど。
 確かに今回の運動の中で警察がすごく狂っていたと思いますね。昔の警察はもちろん権力乱用とかもたくさんありましたけど、今回の運動は特にひどくなって、警察で権力どんどんどんどん大きくなって、やりたい放題になってしまったというのはすごくひどいだし、もともと警察の責任というのは市民を守るということなんですけれども、今警察は完全に市民を守ることはできなくて、逆に市民を攻撃しようといつもしていました。

Q;昨日(31日、インタビューしたのが9月1日)の集会には周庭さんは行かなかったんですか?
 そう昨日参加してないんですけれども、でもやっぱり色んな国際メディアの取材をしたりしました。やっぱり一昨日逮捕されましたので、だから今保釈の条件というのもあって、今そういう、法律違反の活動に参加することはもっと気を付けないといけないですね。

Q:保釈の条件というのは?
 保釈の条件はまずは、1万香港ドル。あとは夜の11時から朝の7時まで家にいないとダメ。そして警察本部、警察本部の近くの町に行っちゃダメ。そして外国に行けない。ということです。

Q:そうすると、あんまり政府を刺激するようなことをするとまた問題になっちゃう?
 えっとね、法律違反や申し込みを入れてないデモに参加することはちょっともっと考えなきゃいけない状況になってしまいました。

Q:昨日の集会の後も、朝までずっと取材してたんですけど、デモ隊がかなりバイオレンスというか暴力的な感じになっていきました。その原因はなんですか?
 私にとってまずは、一番暴力を使っていたのは警察だと思います。昨日だけではなく、6月から銃を撃ったり、催涙弾を使ったり、人を逮捕したり、警棒で人を殴ったり、本当にいろんな暴力、様々な暴力を使いました。私にとって1番危険というのは、警察はどんだけ暴力を使っても法律的な責任がないんですよ。いわゆる警察は合法的にいろんな暴力を使うことができる。合法的に銃を撃つこと、人々たちの頭に向けて銃を撃つことができる。それはすごく危険だと思います。本当に人を殺しても合法的なんだとか、法律違反ではなかったので、なのでそれはすごく危険だと思います。だから香港市民も警察の暴力、そして権力乱用について怒りの気持ちがますます増えてました。


Q:じゃあデモが暴力的になったのは警察に責任がある?
 そう、まずは警察に責任もありますし、もちろん香港政府も責任をとらないといけないと思います。香港政府は、私たち香港人は6月から5つの要求を出していましたけど、今香港政府はまだ1つの要求も聞いていない。尊重していない。もともと政府の責任は市民の意見を尊重することで、今その政府キャリーラム(行政長官)は全然政府としての責任をとっていないので、だからみんなもそういうデモに参加する人数もどんどんどんどん増えました。
(つづく)